『神様メール』のエアから何かを変えるを学ぶ
行動によって結果的に何かが変わることを学べる映画
今回は『神様メール』のエアから何かを変えるを学びました。ベルギー、フランス、ルクセンブルクの共同制作した映画です。この記事は※ネタバレがあります注意してください。基本的には神様である父よりもっと世界をよくしたいと考える娘のエアが地上に降り立ち6人の使徒と出会い世界を変えるという話です。特定の名言は避けていますが聖書やJCが出てきます。あくまで今回はファンタジー作品として観ました。
映画内においての神
この映画においての神はパソコンで全ての情報を管理していました。
最初神は色々な動物を世界に創りますがどうも納得いきません。試行錯誤していくうちに自分に似せた人を創り観察します。すると徐々に増えて神は納得しました。
そして暇をつぶすかのように闘いを行わせたり災いを創ります。“普遍的な不快の法則”を創っていたのはとても面白いです。(必要な睡眠の長さはあと10分、ジャム側からパンは落ちる)よくある不快に思うようなことはこの神様がパソコンで創っていたよってことです。
娘エアと住んでいる場所
エアは神の娘として生まれ10年もの間ずっと閉じ込められていました。
その場所は寝室が3つ書斎が1つキッチンとランドリーと特別珍しい感じがあるわけでもなく人間と同じような生活をする場所です。ですが違う点がいくつかあります。
入り口の扉も出口の扉もないということ、そして書斎で父によってパソコンを通して世界が情報を管理されているということ。
エアの父に対する想い
ある日書斎の扉が開いていてエアはパソコンを覗いてしまいます。そこに映っていたのは父が引き起こした数々の悲惨な事故の画像でした。書斎に勝手に入ることにより父は激昂しエアを暴力で懲らしめます。
その瞬間エアは決心しました。その目的は父よりうまく世界を管理すること。そして父への“怒り”による復讐です。
エアと兄JC
エアは家を出るにあたり兄JCにどうすればいいか聞きます。そこで6人の使徒を集めて聖書を書けば何かが起こること、地上へ出る方法、そして父はパソコンがないと何もできないことを知ります。
何故兄がこんなことを知っているかというとかつて12人の使徒を集めたことがある背景があるからです。
地上へ降り立つエアと神
6人の使徒を集めるため地上へ
地上に出るにあたりメアは人類にパソコンを使って余命を宣告します。人類に自分の死を意識させたのです。そして人は自分の余生をどう生きるか真剣に向き合うようになりました。
ヴィクトール
地上に降り立ったエアはヴィクトールという男性に出会います。見た目はホームレスのような恰好をしているおじさんでした。彼についてエアはこう言っていました。
エア「私にとって理想の父親像」
映画『神様メールより』引用
そんな2人が天国について会話するシーンが印象的だったので紹介します。
エア「天国は想像と違ったわ」
ヴィクトール「天国?」
エア「ここよ」
ヴィクトール「こんなところが天国なら俺でも創れるよ 天国は死後の場所だ」
エア「いいえ 死後は何もない 天国はここよ」
映画『神様メールより』引用
ヴィクトールの感覚とエアの神の娘としての感覚の違いが歩きながらの会話になんとなく含まれていました。そして「フィールド・オブ・ドリームス」の時の天国の考え方をなんとなく思い出しました。ちなみに彼は携帯をもっておらず寿命がわからないそうです。
6人の使徒
- オーレリー
- ジャン=クロード
- マルク
- フランソワ
- マルティーヌ
- ウィリー
これがエアが選んだ6人になります。ヴィクトールには聖書を書かせる役割を与えて順番に出会っていくのです。エアは心の音楽を各自に教え奇跡を起こしていきます。
オーレリー
美しい彼女の体の一部は子供の頃事故によって失われていました。でも彼女は体の一部だけでなく笑うことも失っていました。ある日老人に言われた安っぽい哲学が彼女の救いでした。
オーレリー「“若いお嬢ちゃん 人生はスケート場だ 大勢が滑って転ぶ”」
映画「神様メールより」引用
オーレリーの曲はヘンデルの歌劇『リナルド』のアリア『私を泣かせてください』でした。イタリア語でLascia ch'io pianga。詳しくは調べてみてください。
リナルド (オペラ) - Wikipedia(参考サイト)
ジャン=クロード
子供の頃の彼は冒険家でした。成長するにつれて人生がつまらなくなっていきます。それが“現実”だからです。意味のない仕事に意味もなく時間を使い意味のない人生を過ごしていました。
ジャン=クロード「空気がなければ鳥は落ちるか?」
映画「神様メールより」引用
ジャン=クロードの曲はラモーの『鳥のさえずり』でした。フランス語ですがここの組曲の5番にLe Rappel des Oiseauxというのがあります。この曲です。クラヴサン曲集と運指法とかで調べてもいいかもしれません。
Deuxième livre de pièces de clavecin de Rameau — Wikipédia(参考サイト)
マルク
マルクは自称“性的妄想者”。子供の頃いつも我慢して暮らしてきたようです。でも余命83日と知り自分の性欲のために1日も無駄にしないと決めました。お金がもたくなった彼はエアにより自分の声が仕事になることを告げられます。
マルクの音楽はパーセルの『孤独』でした。パーセルの曲はZ番号で管理されていてZ 406の "O solitude, my sweetest choice" (1687)『おお孤独よ、我が甘き選択』とも訳されていました。英語版ですが下の楽曲一覧のZ406を探せば見つかります。
List of compositions by Henry Purcell - Wikipedia(参考サイト)
フランソワ
フランソワは子供の頃から自分は殺し屋だと知っていました。生と死の境界線をしっていて自分はその“渡し守”の役割を果たすことであると言っています。
彼の曲はシューベルトの『死と乙女』。ヘンデルと合うとエアはいいます。エアの発言、死、乙女これらが絡み合っていきます。
Death and the Maidenと書かれているのが死と乙女のことです。
String Quartet No. 14 (Schubert) - Wikipedia(参考サイト)
マルティーヌ
マルティーヌは子供の頃の彼女はいつも恋に憧れていました。旦那は余命が39年あり自分の余命が5年という差。しかし旦那は悲しむのではなく安心している様子だったのです。
彼女の曲はサーカスの音楽でした。そしてサーカスである動物に出会い本当の愛に触れます。
一応調べてみたらフチークの『剣士の入場(雷鳴と稲妻)』という曲に行きつきました。『剣闘士の入場』とありますが剣士の入場とも表記される場合があるみたいです。
剣闘士の入場 - Wikipedia(参考サイト)
ウィリー
彼は病気がちでした。母親に注射を打たれ続けます。7歳の時手術を受けます。母親が注射していた抗糖尿病薬により膵臓の機能がおかしなってしまったようです。そして余命を知ります。54日でした。
そしてメアがウィリーに出会ったのは死ぬ約1週間前のことです。そしてウィリーは男の子から女の子になることを望みます。
ウィリーの曲はC・トレネの『ラ・メール』でした。フランスの歌手シャルル・トレネが作詞作曲した1946年の曲だそうです。
ラ・メール (曲) - Wikipedia(参考サイト)
そしてウィリーは魚が海に還りたいと望むなら僕も海で死ぬと決意をしました。
最期の1週間
- 月曜日 ウィリーは両親の家具を全部売る、海で死ぬためにお金がかかる
- 火曜日 オーレリーに頼まれフランソワはもう誰も撃たない約束します
- 水曜日 マルティーヌは生き方を整理し旦那と別れます
- 木曜日 マルクとマルクの運命の人が結ばれます
- 金曜日 ウィリーとエアは曜日で呼ぶのではなく月で呼ぼうと決める1週間で7か月生きたことになるから
- 土曜日 ジャン=クロードは鳥に導かれるがままに北極圏に到達し運命の人に出会う
- 日曜日 みんなで海に着く
海にあるもの
みんな考えることは同じなようで海に広がる景色は最期を迎える人とそれを見送る人で溢れかえっていました。そこには生と死がたくさん存在していました。
世界を変える
6人の使徒が揃いJCの12人とあわせて18人になったとき母は今まで父がいて出来なかったことをします。
歌を歌い、掃除をするのです。その際に掃除機をかけるためパソコンのコンセントを抜きます。そして掃除が終わりコンセントを戻すとそこには再起動の画面がありました。母は思いのままに空を変え人々に幸せを与えていきます。そこに広がる世界はまさにファンタジーでした。
学んだことと書きたいこと
この映画から学んだことは何かを変えたいならとりあえず行動することです。それは変えるのに必要なことをこなしていくということ。
今やっている行動が正しいか正しくないかは誰にもわかりません。でも目的をもって信じてやりきるのです。結果的に何かを変えたのが他の誰かであってもそれは自分の行動によって辿り着いたものであるし目的はしっかり果たせているのだと。
あくまでも何かを変えるというのがこの映画では世界でした。そして世界を変えるためには常識からぶっとんだような考えが必要なのかもしれません。べつに特定の何かを批判しているわけではなく、ただ行動して、信じて、やりきると何かが変わっているというのを面白く表現してくれている映画だなと感じました。目的を果たす先に夢を叶えるがあると感じます。そしてそれは『フィールド・オブ・ドリームス』で学んだようにたしかに地上は天国なのかもしれません。あくまで一個人の解釈です。
最後に自分なりに6人の使徒に文字をあててみました。僕にはこんな風に捉えましたがみなさんはどうでしょうか。またいろんな音楽も学べたので是非聴いてみてください。
- オーレリー「哀」
- ジャン=クロード「偽」
- マルク「性」
- フランソワ「死」
- マルティーヌ「愛」
- ウィリー「生」
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天国の表現が近いと感じた映画があったのでその記事はこちら
『ある天文学者の恋文』のエドとエイミーから星を通して恋愛を学ぶ
星と人を結び付けてくれる映画
今回は『ある天文学者の恋文』のエドとエイミーから星を通して恋愛を学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。イタリアの映画です。基本的にはエドという天文学者と教え子のエイミーの禁断の恋の話なのですが特殊な部分があります。物語の大半がエドの死後の話ということです。今回は天文学者ということで星と恋愛に焦点をあてて観てみました。
星の寿命について
太陽のような恒星も生き物に例えられる誕生と死があります。そしてその一生は、星の質量によって大きく変わってきます。質量の小さい星ほど寿命が長く、質量の大きい星ほど短い期間で死に至ります。太陽と同じくらいの質量をもつ星の寿命はおよそ100億年と考えられています。私たちの太陽は誕生してから約46億年が経っているので、およそ一生の半分くらい過ぎたことになります。一方、太陽の10倍の質量をもつ星の一生はおよそ1,000万年程度です。
星は死ぬって本当ですか?│星の一生│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」(参考サイト)
ちょっと自分には難しかったのでJAXAの子供向けサイトのところも読んできました。ようするに生き物とか人間で例えるなら星にも生と死があって寿命がある。それは質量によって大きくかわるから生き物みたいに寿命の長さはそれぞれってことですね。
星の光
星座を形作っている星を「恒星こうせい」といい、これらの星を光らせているエネルギーの源は、星の中心部で起きている核融合かくゆうごう反応です。この核融合反応は、主に水素を燃料としています。この燃料を使い果たしてしまうと、もはや星は光り続けることが出来なくなり、「死ぬ」ことになってしまうのです。
星の死が近づくと核融合反応以外にも水素が使用されるのですが気になる方は読んでみてください。
僕らが見ている星の光について
自分で光っている太陽のような星を「恒星こうせい」と呼んでいます。恒星の中で地球から一番近い星は太陽ですが、他の恒星はとても遠い所にあります。たとえば太陽から一番近い恒星は「ケンタウルス座アルファ」といって、太陽から光の速さで旅して4年ちょっとかかる所にあります。太陽が近いと言っても、地球に光が届くのに8分かかるわけですから、私たちが見ている太陽は、正確に言うと8分前の太陽ということになります。
先ほどの子供向けサイトにもうひとつ気になったことが載っていたので紹介します。恒星と地球の距離が離れるほど光が届くまでに時間がかかるので一番近い太陽でも僕たちが見ている光は8分前の光ということになります。
この星の3つの知識をこの映画にあてはめてみる
- 星には寿命がありそれぞれ長さが違う
- 星は光るために燃料をつかう、その燃料が尽きると死ぬ
- 星の光は地球との距離が離れているほど僕たちは遅れて見ている
ざっくり3種類をまとめてみましたがでは映画の話に移ります。
エドの死を知るエイミーとその後
この映画の特徴としてエドが死んだ後にも手紙が届いたりプレゼントが来たりエイミーとエドの繋がりは続いているのです。そしてエイミーはエドが死んだことを死んでから何日も経ってから知ります。僕にはそれがまるで実際の星の光と僕らが見ている星の光に時間差があるのと同じように感じました。
ですが実際にはエドが自分が死ぬ数か月前から入念に計画して彼女ならこう行動すると全て予測しながら行っていた事でした。そして周囲の人がそれだけエドに協力的だったのは彼がどれだけ慕われていたかが伺えます。エドが死んだ後(距離が離れる)遅れてエイミーにプレゼントやメッセージ(エドの想い)が届く。つまり星のような愛し方なのです。
エドの死の前
エドは病気で亡くなります。そして死ぬ数か月前から入念にエイミーのために計画していました。しかし愛する人のために何度もビデオを撮り直したりメッセージを書くエドの燃料が徐々に減っていくのが伝わってきます。
エイミーの映画内での論文
星の最期に起きる大惨事は超新星爆発であれ重力崩壊であれ極超新星であっても同様だが それらによって理解できるのは星の不滅性というものは想像を超えてはるかに不可解であるということだ 数千億もの恒星の地球からの距離と光の速度との関係によって星が死に存在しなくなった後もその姿を見続ける。それこそがまさに星の悲惨な最期であると言える“その姿が見えるのは数世紀 数か月 または数秒間 それは数十億年前に起きた死の顕れなのである 科学者の研究とはもはや存在しないものとの対話である”
映画『ある天文学者の恋文』より引用
なんか僕が言いたかったことを超難しく言うとこうなるみたいです。ちなみに超新星爆発やブラックホールのことなども最初の方に載せたサイトに書いてあったので気になる方は読んでみてください。そして映画内で「客星から超新星へ:死せる星との対話」という論文で天体物理学と宇宙論で優位学位を授かります。
学んだことと書きたいこと
それぞれ寿命の長さが違うものの星も人間も例外なくやがて死ぬ。星は地球との距離によって期間は違うけれど死んだ後も人間は見れる。その星として残された最期の時間を人間の場合だったらどのように活用できるかが学べる映画でした。
そしてその活用しだいで死後も変化や影響を与えられるし心の中に足跡を残すことができる。ただそれは何もしなくてもなるのではないのです。
生きている間に何をしたかが残された時間を数秒にしたり永遠にしたりすることができるのです。まるで魔法使いのように。
とても心が温まる作品でした。天文学者ならではの恋愛の仕方とエドの変わらない人間としての愛し方と星がすべて合わさってとても綺麗でした。そして星は距離が遠いほど届くまでの時間が長くなりますが人間は心の距離が近いほど時間が長くなるように感じました。良かったら是非観てください。星についても少し勉強できました。
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『エブリデイ』のリアノンとAから憑依を学ぶ
不思議な恋愛を通して憑依が表現したいものを学べる映画
今回は『エブリデイ』のリアノンとAから憑依を学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。アメリカの映画です。この映画は色んな見方ができる映画だと思いますが今回は憑依に焦点をあてて観ています。アメリカの映画です。基本的には毎日違う体に憑依してその人間として人生を送ってきたAという存在とリアノンという16歳の女の子が恋愛する物語です。別に憑依だからといってホラー映画ではありません。
憑依とは
この映画に登場するAは毎朝、目が覚めると自分と同じ歳の子に憑依していてその子になりきって1日生活をするという人生を送ってきました。では憑依とはどいういうことでしょうかとりあえず調べてみました。
1 頼りにすること。よりどころにすること。
2 霊などがのりうつること。憑依(ひょうい)とは - コトバンク より引用
この映画ではシーンによってこの憑依の意味が分かれるところだと思います。僕には2番の意味が最初に出てきましたが1番の頼りにする、よりどころにするという意味もあるということが分かりました。
そして誰から見るかによってこの憑依の意味が変わる映画なような気がしました。うまく言葉で説明ができません。
リアノンにとっての憑依
ある日事情があってAから連絡がこなくなるときがあります。そのときリアノンはAに対して異常なまでに不安になるのです。A戻ってきてと連続で打ち込み続けPC画面に一時エラーが表示されるシーンがあります。
そいういう意味ではAという存在を心のよりどころにしている様に僕は感じました。それは1番目の意味の憑依と言えるのではないでしょうか。
Aにとっての憑依
Aが人間かどうかは定かではないですが毎朝誰かにのりうつるという意味では2番目の意味として考えるのが妥当だと思います。
またAは自分の記憶をもちのりうつった体の持ち主の記憶にも徐々にアクセスできるようになると言っていました。また実際に憑依されたネイサンは自分が悪魔に憑りつかれたみたいだとリアノンに語りました。
置き換えられそうなものに考えてみる
ではこの憑依をもうすこしイメージしやすいものに置き換えれるとしたらどんなものが存在するでしょうか?
この映画でAは自分と同じ歳の子に毎朝憑依しているとメーガンの時に言いました。
だからこの憑依が表現したいことは10代の子たちの思いや悩みや不安や過ちを表現しているのではないかと考えてみました。
もう少し具体的に書いてみます。
つまりAは毎朝誰かに憑依してその人として生活を送ってきました。そしてリアノンと出会いリアノンと恋愛をしながら色んな人に憑依することによって同年代の悩みもたくさん体験してきたのです。自殺するほど心を病んだ少女、家族との関係、友達との関係、学校の悩み、心と性の悩み、体型や見た目の悩み、そして恋愛の悩みというものをAがたくさんの同年代に憑依することによって表現している様に僕は感じました。
2つの意味の憑依が衝突
そしてアレクサンダーに憑依したときにAは一つの答えに辿り着きます。1時間20分くらいのシーンです。
A「こんなのよくない アレクサンダーやフリン 君にも」
リアノン「何の話?」
A「君の理想の相手を僕が邪魔してるように思う」
映画『エブリデイ』より引用
Aは1日以上その人間に憑依できることを気づいてからアレクサンダーに憑依してリアノンと恋愛をしているうちに彼こそがリアノンの理想の相手であると気づくのです。そして自分は彼の人生の時間を奪い続けていると考えます。
つまり彼女の理想の相手に憑依することによって彼女の本来の頼るべきところ、心のよりどころを奪ってしまっているという答えに辿り着いたのです。これは辞書の意味で考えると2つの憑依が衝突しているように僕は感じました。
心の足跡
そしてAはリアノンの元から消えていきます。しかしA自身が消えたわけでもなくどこかで今日も憑依していてその足跡を画像として記録にのこしているのでした。それがAがいた証なのです。
学んだことと書きたいこと
今回は憑依ということを焦点にあてこの映画を観ました。
個人的にはこのAという存在による憑依は10代の頃のいろいろな悩みを表現しているのではないかと解釈しています。
つまりAを通して恋愛を知ったり、家族との悩みを知ったり、心の悩みを知ったり、性別の悩みを知ったり、憑依した数だけの10代の悩みがあってそれを写真という形で記録に残すことにより僕たちはそういう世代にたくさんの悩みがあって大人になった時に振り返れるし次の世代に教訓を残せるだけではなく今の自分達はどういう風に向き合っていけばいいのだろうかと考える機会を与えてくれているのではないでしょうか。
また憑りつかれなくても人は変わっていくものでありみんなが変わっていっても頼れる人、心のよりどころを見つけて生きていけるようにそんなメッセージを感じるような映画だと僕は思いました。
最近記事自体が長くなりすぎる傾向にあるのでなるべく2000字程度に収めていきたいと思います。あくまで一個人の解釈として楽しんでいただけたら嬉しいです。
表面だけ見れば誰でもいい恋愛に見えるかもしれません、でも中身はいつも性別をこえてAという存在を見ていました。周りからは当然軽い人だと見られます。でもちゃんと中身をみて私をわかってほしいというのも悩みの1つではないでしょうか。
またリアノンの父親について今回あまり触れていませんが重要な要素があると思うので是非気になった方は観てみてください。
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なんとなく不思議な感覚になれた映画だったので同じような不思議になれた映画の記事を載せておきます。
星のような恋愛の映画の記事はこちら
『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』のポーラとトリップから実家暮らしからの自立を学ぶ
実家暮らしからの自立の1つの形を学べる映画
今日は『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』のポーラとトリップから実家暮らしからの自立を学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。アメリカの映画です。基本的には実家暮らしの35歳の男トリップが親離れ出来ず両親と同居し気楽に暮らしていて自立させるスペシャリストのポーラに両親が依頼して息子を自立させていく話です。
日本とアメリカの親との同居率の違いと捉え方
日本における未婚者の親との同居率(18歳から34歳)
というわけでなかなか実家暮らしの引きこもりニートな自分にとって思うところがある映画を観たわけですがまず日本における親との同居率のデーターをみてみました。
出典 第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所
今回は映画を観るにあたり職業には注目はしていませんが18~34歳の総数の部分は男性でだいたい70%前後、女性で75%前後が親と同居ということが表から分かると思います。ちなみに僕はこの70%前後に2015年代含まれています。
アメリカにおける親との同居率(18歳から34歳)
ではトリップは海外の方なので制作国のアメリカではどうなのでしょうか?以下のサイトによりますとアメリカの18~34歳では約32%が親と同居だそうです。結婚しないのではなく初婚時の年齢の中央値が上がり続けているみたいです。つまり結婚から遠ざかっている若者が多いということでしょうか。
登場人物のトリップは35歳という設定なので上の資料からの対象からは外れてしまいますが僕が言いたいのは僕が含まれている18~34という年齢だと日本とアメリカで結構差があるなという印象です。だから実家暮らしに対するそもそも捉え方が日本とアメリカではだいぶ違うということを頭にいれて観る必要があるのかなと僕は思ったので載せておきます。
この映画から自立を考えてみる
実家暮らしが失恋の原因に?
それでは映画に入っていくわけですがトリップは女性を家へ誘っていくわけですがその女性は実家暮らしであることが判明した途端幻滅して家を飛び出していくシーンがあります。
トリップの恋愛はいつも実家暮らしであることが判明すると失恋に繋がっていたようです。まぁ日本でもなんとなく各自言いたいことはあると思いますがただ上に載せたように30代の男性が実家で親と暮らしているところに女性は連れ込まれたことがとても衝撃的なことだったようです。
これだけが原因では無いと思う方ももちろんいると思います。それはあとでポーラが説明してくれますがトリップには実家暮らしという点以外に原因になりそうな点が特にないのです。
映画内においての息子側の思いと両親側の思い
トリップは友達のエースとデモという2人の友達がいます。2人とも実家暮らしでトリップ含む3人の意見としては実家暮らし最高という意見です。
それに対してある日実家から子供が出ていかない親たちのグループが庭で食事をしています。そこで1組の夫婦が自分のところの子供が自立したというのです。トリップの親は成功の秘訣を聞きたがっていました。そしてそれは“恋人”だというのです。
トリップは毎週違う女性を連れてきていたみたいですが“運命の人”に巡り会うことが成功の秘訣であると言われます。
つまり親サイドは早く親離れしてほしいという意見です。あくまでこの映画ではそういう風な意見に分かれているということです。
両親が選んだ対策
早く親離れしてほしいという意見を持っている両親は息子を自立させるために知人の成功の秘訣をもとにある人物に依頼をします。それは息子トリップにとって“運命の人”を演じてもらうことでした。それを引き受けたのがポーラです。
ポーラから見たトリップと自立できない原因と対策
ポーラ「トリップはナイスガイよ 頭が良くて優しくて陽気 今後が大いに期待できます」
アル「計画通りだな」
ポーラ「あった印象ではここから追い出せそうよ 6月15日までに自立させます」
アル「ハレルヤ!」
ポーラ「自立できない大人が大勢います その原因は自信が持てないからよ」
スー「トーク番組でも話題に」
アル「下らん わしらは時代の波をくぐって自立した」
映画『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』より引用
つまり父アルと母スーは息子が自立をするためにポーラに“運命の人”を演じてもらうことを依頼しているわけです。そしてポーラから見たトリップは外見も性格も特に問題ないのです。後のシーンでわかりますが船のセールスマンという職にも就いていますしアウトドア大好きで引きこもりでもないです。
ではなぜトリップが自立できないのか?というのをポーラは自信を持てていないからであると分析しています。
ちなみにこの6月15日がいつからこの期限をさすのかがわかりませんが一応情報として映画が公開されたのは2006年の3月です。そしてポーラはトリップに対して恋愛を通して自信を持たせ自立を助けるという仕事をしていきます。
恋愛を通して近づく2人と敏感な2人
依頼としてポーラはトリップとデートを積み重ねていきます。その中でポーラが人生でしてこなかったことを体験する中でトリップに徐々に惹かれていきます。トリップはいつも通り恋愛を楽しみポーラに惹かれます。
そんな中ポーラの友達のキットとトリップは敏感にアンテナが働きます。キットはポーラがいつもの顧客と様子が違うことにいちはやく察知するのです。そしてトリップもいつもの流れだともうすぐこの恋愛が終わると察知します。
自然、動物から自立を考える
この映画を通してトリップは3種類の動物に噛まれます(シマリス、イルカ、トカゲ)です。
・シマリスは縄張り意識が強く単独生活を好むという特徴があります。
シマリス - Wikipedia (参考サイト)
・イルカについてはこちらを載せます
授 乳 は2~3年 の 間続 くが,生 まれ て
半 年 ほ どで餌 の魚 も食べ 始 め る。 そ して,お よそ3歳 で
母 親 との 生活 を終 えて,若 者 にまで育 った子 イル カに は
調 教 が行 われ,イ ル カ シ ョーの スター に育 ってい く。https://www.jstage.jst.go.jp/article/arepj1962/47/0/47_14/_pdf より引用
『イルカの子育てと自立』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arepj1962/47/0/47_14/_pdf (参考サイト)
※ただこちらは水族館においてのイルカについてです。他にはセイウチとかアザラシについても書かれています。
・トカゲは卵の保護はするそうです。爬虫類についての項目は以下を参考にしました。
動物の子育て - Wikipedia (参考サイト)
つまりこの映画に登場する3種の動物に噛まれるということは親から離れないトリップの行動は自然に反している行動なのではないか?という表現のように僕は感じました。
・モッキンバードについて
ちなみにこの映画においてもう1羽動物が出てくるのですがそれがモノマネ鳥です。キットとエースの関係を結ぶのに重要な役割を果たします。
「モッキンバード」は、「物まね鳥」の意味である。和名をマネシツグミという、メキシコなど北米大陸南部に生息する鳥で、他の鳥の鳴き声をまねする性質があることからこの名がある。
モッキンバード - Wikipedia より引用
ちなみにエースもモッキンバードに噛まれます。そしてエースも親離れできていない実家暮らしという点があります。この時のキットのてんぱり具合がとても可愛いです。
徐々に浮かび上がる2人の秘密
ある日喫茶店でトリップ以外の男性と親しげに話すポーラをエースが目撃してしまいます。そして野球を観戦している時にポーラはデモからトリップの甥は婚約者の連れ子で婚約者は亡くなっていたことを知るのです。そしてデモは全てをトリップに話します。
衝突するトリップとポーラ
そして全てを知ったトリップは家を出ていきます。ポーラは追いかけますがトリップは聞く耳を持ちませんでした。依頼を果たせなかったのでお金を返しに家を訪れます。初めてのことに混乱し取り乱すポーラはスーからトリップに恋したことを気づかされます。本気で好きになった人を信じ合えなかったショックでコロラドの実家に帰る決意をするのです。
トリップと2人の友人の違い
トリップ「親元に住む負け犬の助言を聞けと?」
エース「僕の持ち家だ」
デモ「まさか」
エース「相続税対策で数年前にお袋から買った」
デモ「賢い」
エース「デモは“さすらい人”の人生を選んだ 法律上は親と同居だが彼の本籍地は心の中にある 風来坊さ」
映画『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』より引用
動物のところで書いたことにも通じる部分ですが これでなんとなく3種類に噛まれたのがトリップでモッキンバードに噛まれたのがエースなのが分かった気がします。デモは噛まれていない、エースは空気銃(BB銃)で撃つという自分から自然に反抗したことにより噛まれました、そしてトリップは何もしてなくても噛まれていることからすでに自然に反していると表現したいのだと感じました。
母親の本音
スー「立ち去る日を怖れてたわ あまりにも寂しすぎて でもそれは理由の1つにすぎないの お前が去ったあと パパと暮らすのが不安なのよ」
映画『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』より引用
トリップだけの問題ではなく親にも自立問題つながる不安があったようです。父親が仕事を引退してからいつも家にはトリップがいてくれたおかげで夫婦間のクッションの役割を果たしてくれていました。つまり母親はトリップがいなくなり夫婦2人だけの生活に戻ることで夫に嫌われることを怖れていたのです。
この母親の本音にはトリップが自立できなかった問題は個人だけの問題ではなく家族というコミュニティとしての問題でもあるということを物語っている気がします。
全員招集、そして選択の時
ここで関わってきたみんなでトリップとポーラをあるべき姿で恋愛してもらうという作戦を計画するわけです。そして多少強引ではありますが2人を話し合わせることに成功します。“一生楽しんで暮らすか”“私と生きるか”という選択する時が訪れます。
トリップが答えたのはどちらでもありませんでした。気になる方は是非観てください。
噛まないイルカ、取らない浮き輪
そして海でイルカと泳ぐトリップはイルカから噛まれずに何かを言われます。そして浮き輪を受け取らないで笑顔の素敵なナイスガイになりました。
学んだことと書きたいこと
この映画から学んだことはまず親と同居することの捉え方が日本とアメリカで違いがあるということ。紹介できていませんがヨーロッパの同居率の数値もアメリカに近いものでした。
そのうえでこの映画からは自立しないことは動物的には自然に反している生き方なのではないか?という訴えをとても感じました。
そして日本でも昨今話題になりつつあります。しかし高齢化する日本においては同居することで介護を行う、映画の例であれば夫婦間のクッションを実はしている等の役割を果たしている部分もあります。
そのうえで個人の問題ではなく家族、または自分が所属しているコミュニティとしてしっかり問題に取り組んで本人に気づかせ本人が生きていくうえで最善の選択をしてもらうのが人間だからできる自立の1つの形なのだと思いました。
※あくまでこれが自立の形であるというものではなくこの映画をみて学んだ自立の形の一個人の解釈であることをご理解お願いします。
自分が親離れできていない18~34歳に含まれている現実を考えるととても意味のある映画を観れたと感じています。僕の場合は引きこもりの改善、収入の確保、そして自立という3つの流れが必要であると感じました。これらを踏まえていまのライフスタイルを改良できないかすこし挑戦してみます。
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『仕事は楽しいかね?≪最終講義≫』のマックスから完璧の先を学ぶ
完璧の先を学べる本
仕事は楽しいかね?≪最終講義≫のマックスから完璧の先を学びました。一部ネタバレがあるかもしれません。毎度のことですが僕は仕事をしていないし会社に勤めたことがないのでそれでも学べるところを教科書として今回は完璧の先に焦点をあてて読んでみました。このシリーズを読むのは3冊目になります。この本の結論としては完璧なものを見つけてそれを良くすることを挑戦することからすべては始まる。です。
この本を読んだ経緯と前作までで学んだこと
ちなみにこの本を読んだ経緯と今まで学んだことを少し書いておきます。経緯としては今までに前作を読んできたから≪最終講義≫が気になって読んだ流れです。前作までに学んだこととしては最初に『仕事は楽しいかね?』を読んだ時に僕は挑戦することの大切さを学びました。そして『仕事は楽しいかね?2』で理想の人間関係を学びました。
- 挑戦することの大切さを学んだ
- 理想の人間関係を学んだ
このブログを始める前に読んだ本であり、心療内科を受けるきっかけ、ブログを始めるきっかけ様々なことに挑戦するきっかけを作ってくれたのはこのシリーズです。また自分の聞き籠りや288Daysという計画にアップデートに繋がるヒントをくれているシリーズでもあります。
そもそも完璧とは?
《傷のない宝玉の意から》欠点がまったくないこと。また、そのさま。
完璧(カンペキ)とは - コトバンク より引用
デジタル大辞泉の完璧の意味を引用させていただきましたが「完璧」とはこういう意味だそうです、ではその先というのはイメージできるでしょうか?この本からはそれを学ぶことができました。
カラスは6より大きい数を数えられないの教訓
3章でマックスがカラスの話をしました。それがとても印象的だったので紹介します。
この話には教訓があるんだ 。六人の猟師が森に入り 、五人出てきたなら 、まだ一人森に残っているとカラスにも分かる 。だけど 、七人入って六人出てきたら 、もう森は安全だと思ってしまうんだ 。カラスには 、猟師が大勢森に入り 、大勢出てきたことしか分からない 。出てきたんだから問題なし 、というわけだ 。この話の驚くべき教訓が分かるかい ?
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
カラスは事態を完全に把握していると考えます。※カラスは自分が6までしか数えられないことを知らないのです、そして7という数字が存在することすらしりません。そしてこれと同じようなことが人間にも言えるということ。ただ場所が塔だったりとか似たような話があるようで数字もすこし違う情報もあったのであくまで話の流れの教訓として読みました。
ダーウィンの名言
そしてマックスはダーウィンの名言を一部使っていました。調べてみたら紹介されていたので下に載せておきます。
無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。科学によってこれやあれやの問題を解決することは絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。
Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge: it is those who know little, not those who know much, who so positively assert that this or that problem will never be solved by science.
これらのことが書かれていて僕は自分の無知さの恐怖を感じました。たしかに知らない、存在すらわからないと恐怖やそういったものは感じないです。しかしそれが知識を得たうえでの判断でないととても危険であるということが分かりました。
自分の能力と完璧を判断する
上に書いた2つのこと(カラスの話とダーウィンの名言)からあることに気づきました。つまり僕は自分の能力を正しく判断するためにもしっかり学ぶ必要があるようです。そうしないと自分にとっての完璧がまず正しく判断できません。そして学ぶことでさらに学ぶ必要があることにどんどん気づいていくのです。僕の場合はまずここをしっかりしなければいけません。
そして完璧の捉え方その先
〝完璧 〟という言葉は創造性をオフにするスイッチだよ
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
完璧で満足をするとそこからは何も進まなくなってしまいます。これは『仕事は楽しいかね?2』の時に少しふれていたように感じます。そしてここで大事なのは“完璧以上に素晴らしい概念”というものが存在することを理解することでしょう。
この本では組織での具体例としては任されたことの80%をこなし次の人にまわす、その人も残りの80%で次の人へと必要な回数繰り返すことで“完璧”というプレッシャーから解放されて完璧を超えることができると言っています。
でも僕の場合は1人です。ただ共通するキーワードがありました。“どうしたらもっと良くできるだろう?”です。完璧の先があるということを理解し、自分の実力においての完璧をわかったうえで“どうしたらもっと良くできるだろう?”と問いかけることで全てがはじまると学びました。この発想自体が僕には存在していませんでした。まるでカラスと同じように。
3つの解決策について
自分の気に入っているアイデアが相手にも一番気に入ってもらえることは滅多にない。そして求められるのを待つ必要はなく複数の解決策を用意しておくことが完璧な先(ハイパーロジックと本では名付けられていた)に辿り着くためには必要であるようです。
最初の解決策は人からの借り物 、
二つ目の解決策は常識の範囲内 、
三つ目の解決策が天才のアイデアだ 。
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
なんとなく自分にあてはめてみました。たしかに僕は誰かのマネから始めることがよくあります。こういうのを作りたいだれか作っていないだろうか?とそれを自分のスキルや知識でなるべく似せてみる。これが最初の部分なのだと感じます。
そして2つめあくまでも誰かが思いついたことがあるようなものの先にあるもののことだと思われます。誰かが思いついたアイデアとアイデアを足すと新しいアイデアになることはこのシリーズの最初で学んだがありきたりのアイデアとありきたりのアイデアを掛け合わせてもたくさんの偉人がいるためにたいていはもう誰かがやったことのある常識の範囲内に収まってしまうということだと解釈しました。ただここでも満足してしまうくらいの報酬や罠があるように僕は思います。
天才(特別な人)のアイデアの解釈
では天才のアイデアとはなんでしょうか。これはあくまで人と違うアイデアというものだと僕は解釈しています。つまりすごく頭がいいとかそういうことではなく常識という範囲内にとらわれず誰もが思いもつかないようなそういう領域のアイデアだと僕は解釈しているということです。そのヒントが4章に書かれていました。
人とは違う考え方をするのは 、人より多くのことを知っているから 。彼らが人より多くのことを知っているのは 、人より多くの質問をするからだ 。
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
やはりそれだけたくさんのことを知っているということが重要になっているようです。ただ僕が疑問に感じたのは人より多くの質問をするからだという部分です。
僕は今ではネットですぐ答えが出せる時代になり答えに辿り着くまでの過程がわからなかったり楽しめなくなったりしているような感覚に疑問を感じています。だからすぐに質問して答えを聞くことを恥じましたと以前Twitterに書いたことがあります。
引きこもりニートがブログを始めて毎日もがいています。
— すろまる@冬眠準備 (@slpneet) September 9, 2019
何が正しくて何が違うのか自分で判別できないからとにかく挑戦しています。すぐに答えを聞こうとするを恥じました。あブログの宣伝です。気軽にDMください。https://t.co/FBizE7pTZ4#ブログ初心者#ニート#引きこもり#友達募集
まだPRO化していなかったりした時代のであれですけど上に書いてある通りです。しかしこの本では多くの質問をするからだと書いてあります。一体何が違うのでしょうか。
僕がおこなっていた人に答えを聞くというのは依頼だということです。そしてここでの質問は依頼ではなくお願いであったという違いがありました。依頼として指示を出しても見返りがなければそんなものには誰も反応しない、早い話が答えが欲しいならお金で買ってくださいとなる。そうではなくお願いとしてコミュニケーションをとることを介さなかったし理解していなかったのだ。そして本当に優秀な人は
相手が必要なときに、必要な方法で情報を伝える。
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
つまり裏を返せばいつでもすぐ質問すればいいということではない。本当に必要なときに必要な方法で質問するということを人より多くしているということだと解釈しました。ちなみにこれ余談ですが似たようなことはFF14のプロデューサーのインタビュー内容からも学びました。
特別な人は誰でもなれる
〝思い出した 〟人々なのです 。私たちはみんな 、才能つまり人間性の宝を持っています 。でも 、それを使うことを思い出したからこそ 、彼らは特別なのです 。
「仕事は楽しいかね?≪最終講義≫」より引用 きこ書房
僕たちはみんな特別な人になる力を持っていますが生きてきた中でどこかでその方法を忘れてしまいました。その思い出し方をこの本はしっかり書いてくれていたのです。いろんな人の例をあげながら丁寧に。
この本から学んだこと
人は自分が思った以上に自分の能力を理解していない、しっかり自分の実力を知るために勉強をして知識をつけることが必要です。
そして知識をつけることでまた学ぶべきものが見つかり延々と繰り返されていきます。その知識を活用することまでを含めることが頭の成長を止めないことだと考えています。
そうすることで自分の中の完璧を知ることができます。自分の完璧が理解できたうえでさらにそれを良くするにはどうしたらいいのだろう?と動き始めることが完璧の先に行くためのスタートラインなのです。
そしてそこに行けるのは天才だけではなく特別な人だけです。ですが特別な人は誰でもなれます。
なぜなら才能は僕らの中にちゃんとあって僕らはその使い方を忘れてしまっただけなのですから。
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仕事は楽しいかね?の記事はこちら www.slpneet.work
『ペイントさん』という物語をかきました
いろんなコミュニティがあります。小さいものもあれば大きいものも。そしてそれはいろんな色で出来ています。それは“心の色”の集合体。
ペイントさんはずっと“演じていた”のです。“心の色”をそのコミュニティに合わせて塗っていた。無意識にそうやってずっと過ごしてきました。
今回もペイントさんは黄色を演じるために無意識に体に塗ります。そしてそのコミュニティに参加していきます。
ペイントさんは黄色を演じてコミュニティに参加します。全然違和感はありません。だって溶け込むのですから。
こんな感じでしょう。どれがペイントさんか分かりません。上手に溶け込んでいます。しかし黄色にはいろんな黄色があります。
よく観察してみます。上手に溶け込んでいれるのは最初だけ。塗る色を間違えたり、時が経てば色は徐々に変化したり剥がれ落ちます。すると問題が起こります。
ペイントさんは追い出されてしまいました。ちょっと違う。みんなちょっとずつ違うのにその違いが目立つほど追い出されてしまうのです。でもペイントさんはどうしてか分かりません。
ペイントさんは追い出されるたびにまた“心の色”を変えていろんなコミュニティに参加しました、しかし何処に行っても何故か追い出されてしまいます。そしていつの間にか自分の元の心の色が何色かわからなくなってしまいました。そしてこの色を塗り直す作業はとてもエネルギーを消費します。人によっては倒れてしまいます。
ペイントさんは絞り出した力で自分の“心の色”を思い出すためにたくさん勉強します、知識をつけます、行動します。そして色は色でも“心の色”は無限であり演じなくても“心の色”は変わることを知るのです。ペイントさんはそれを“成長”と名付けました。
ペイントさんは思います。コミュニティには実は線はなくていろんな“心の色”の人が何処にいても何かのパーツにちゃんとなれていて“自分の心の色”を自分ではっきりと言えるように。そういう世界にするために自分にできることを1歩から。
『ペイントさん』作者すろまる
制作画像はCanvaにて制作
制作時間は2時間くらいです。なんとなく思ったことをなにもいじらずそのまま書き続けました。絵本みたいなものを作りたいのでその1歩だとおもってください。絵を描く能力がまだないので画像で代用しています。今までいろんな映画や本を学んできてみてきて一つの作品として形に残したかったのかもしれません。誰かに響けば嬉しいです。
あなたの“心は何色”ですか?
『大統領の執事の涙』のセシルから時代の流れを学ぶ【完結】
- アメリカの時代の流れを学べる映画
- 1965~69年公民権法の成立後の補足
- 1969年ニクソン政権
- 1974年第2期ニクソン政権からフォード政権へ
- 1976年カーター政権
- 1981年レーガン政権
- 2009年オバマ政権
- 完結
アメリカの時代の流れを学べる映画
今回は大統領の執事の涙のセシルからアメリカの時代の流れを学びました。この映画は実話に着想を得た物語です。一部ネタバレがあるかもしれません。アメリカの映画です。昨日の続きで今日で完結になります。最後に全てまとめる予定ですが良かったら1から読むとスムーズに理解できると思います。下に載せておきます。
昨日までの振り返り
昨日は主に1963年以降から1969年にかけて映画を通してアメリカの歴史を勉強してきました。1920年代~はじまったこのシリーズ記事で主に取り扱った出来事を下に載せておきます。
第1回
大統領の執事の涙のセシルから時代の流れを学ぶ1 - ニートが好きだね?
- メイミー・ティルとエメット・ティル
- リトルロック高校事件
- ナッシュビル座り込み
- フリーダム・ライド運動、フリーダム・ライダーズ
第2回
大統領の執事の涙のセシルから時代の流れを学ぶ2 - ニートが好きだね?
- バーミングハム運動
- ケネディ大統領暗殺
- 公民権法
- マルコム・X暗殺
- 血の日曜日
- 投票権法
- (ワッツ暴動)未掲載
- (ブラックパンサー党結成)未掲載
- (デトロイト暴動)未掲載
- (ブラックパワー・サリュート)未掲載
- ベトナム戦争
- キング牧師暗殺
これらを自分なりに勉強していきました。それでは続きを勉強していきたいと思います。ベトナム戦争が泥沼化、キング牧師が暗殺され、兄ルイスと弟チャーリーのすれ違いそして前回の最後は1969年にニクソン政権に繋がるところから今回はじまります。
1965~69年公民権法の成立後の補足
1964年の公民権法が成立したことによって法的には平等な権利を保障したわけですが現実的な問題は解消されなかったようです。そのため上のリストに書いてある未掲載の部分について補足します。以下のサイトを参考にさせていただきました。
https://www.y-history.net/appendix/wh1604-010_1.html(参考サイト)
ワッツ暴動
1965年の8月11~17日かけてワッツ市で発生した暴動事件です。死者・負傷者を多数出し逮捕者は約4000名にも及んだ様です。詳しくは以下に載せておきます。
ワッツ暴動 - Wikipedia(参考サイト)
ブラックパンサー党の結成
1966~67年に結成されました。日本では新聞などで「黒豹党」と呼ばれることが多かったみたいです。映画のシーンでも出てきますが貧困層の児童に朝食の無料配給を行ったり治療費が無料の病院の建設を行いながらも武装蜂起を呼びかけた面もあるようです。これについては映画内のルイスとキャロルの違いのシーンで触れます。また記事にはしていませんが「フォレスト・ガンプ」という映画で出てきたのを思い出しました。
ブラックパンサー党 - Wikipedia(参考サイト)
デトロイト暴動
1967年7月23日から27日にかけてミシガン州デトロイトで発生した暴動です。ワッツ暴動と同じく死者・負傷者を多数出しこちらは自動車産業で栄えていたデトロイトに打撃をあたえた一因にもなったようです。
デトロイト暴動 (1967年) - Wikipedia(参考サイト)
ブラックパワー・サリュート
1968年10月17日のメキシコシティオリンピックにおいて男子200メートル競走の表彰式で拳を高く掲げた近代オリンピックの歴史においても有名な政治行為みたいです。
ブラックパワー・サリュート - Wikipedia(参考サイト)
補足だけでもこれだけの量になってしまいましたが、僕が感じたのは公民権法が1964年に成立してからも各地で色んなことが起きていて現実的な問題解消にはなっていないことがよくわかりました。
1969年ニクソン政権
ルイスとキャロルそれぞれの道へ
このようなことが起こる中、ニクソン大統領も動き始めます。そしてオークランドのブラックパンサー党本部でのルイスとキャロルの会話のシーンが印象的だったので紹介します。
ルイス「何の集まりだ?社会奉仕じゃないのか?」
キャロル「社会奉仕よ」
ルイス「殺しあうのが?」
キャロル「自己防衛よ」
ルイス「誰かを殺す覚悟が?俺はない」
キャロル「あるわ」
映画「大統領の執事の涙」より引用
60年のフィスク大学での出会いから共に様々な活動を続けてきた二人ですがキング牧師についてきたルイス、またマルコム・X講演の際に疑問を感じていた事等から社会奉仕活動においては賛成しつつも武装蜂起によって引き起こされる暴力においては納得できない様子でした。しかしキャロルにおいては武装蜂起によって引き起こされることまでもが社会奉仕活動として捉えていた違いがあります。キャロルにはそれしか道はないという覚悟のようなものを感じました。このすれ違いからそれぞれ二人は別々の道へ進んでいったのです。
ベトナム戦争による息子チャーリーの死
セシルの誕生日の夜そと報せは突然やってきました。家じゃないとすぐに現実を受け入れられない夫婦。そして葬式でセシルが感じていたことを紹介します。1時間35分くらいのシーンです。
セシル「ベトナムは息子を奪った 一体何のための戦いだったのか?」
映画「大統領の執事の涙」より引用
大統領の執事としてではなく、一人の国民として、チャーリーの父として出た感情だと素直に思いました。またよく見ると席が1つ空いています。前列の両親の隣であることからルイスのための席だと推測できます。しかしルイスは来ませんでした。父として弟の葬式に来てほしいと願う父と弟との約束を守った兄とのすれ違いも感じました。詳しくは前回の記事のチャーリーとルイスの会話の引用を気になる方は見てください。
1974年第2期ニクソン政権からフォード政権へ
ウォーターゲート事件と大統領辞任
映画内でボロボロな状態のニクソンが映し出されます。そして辞任だなんだとセシルと会話するシーンがあります。これはおそらくウォーターゲート事件でのニクソン大統領の状態をあらわしているのだと思いました。
そして1974年8月8日夜、ホワイトハウスからテレビで全米の国民に大統領を辞任することを表明し、ウォーターゲート事件の責任をとる形で8月9日に正式に辞任した。なお、大統領の辞任はアメリカ史上初めてのことであり、その後も辞任した大統領は現れていない。
ウォーターゲート事件に関しては発端となった1972年に6月に大統領選挙の予備選挙の終盤に民主党全国委員会本部へ不法侵入をおこない盗聴を行った事件から辞任までのすべての経緯の総称を指しています。詳しくは以下に載せておきます。
ウォーターゲート事件 - Wikipedia(参考サイト)
父セシルとルイスの埋まらない確執
ルイスはキャロルと別の道に進んでから大学を卒業して修士号をとっていました。しかし弟の葬式に来なかったルイスを許せず聞く耳を持ちませんでした。
フォード大統領
ニクソン大統領がアメリカ史上初めて辞任した大統領でありそのためフォード大統領は選挙を通さずに大統領になった唯一の大統領のようです。そのような環境下の中での就任式の映像が今までの大統領と同じような宣誓部分が使われていたので何か意図があるように感じました。
ジェラルド・R・フォード - Wikipedia(参考サイト)
1975年~この頃のLGBTの社会運動
今でこそだいぶ浸透してきたと個人的には感じるLGBTという言葉ですが当時のアメリカの社会運動として映像がに登場していたので紹介します。
1970年代初頭の急進的なゲイ解放運動は次第に衰退する。代わってホモファイル時代の運動を継承し、社会的少数者としてのゲイやレズビアンらが公民権(civil rights)の獲得を求める運動である「ゲイ・ライツ・ムーブメント」(Gay Rights Movement)が生まれた
Gay Rights Movementの看板を掲げてデモ行進している姿が映画からわかります。
1976年カーター政権
オイルショック 1973年~
エクソンモービルの看板と車がたくさん映る映像とともにカーター大統領が石油危機を訴える映像が使われていました。総合エネルギー企業であり、石油の大手メジャーだそうです。まだフォード政権から1973年~オイルショックについてのシーンだと思います。読んでて驚いたところがあったので紹介します。
アメリカ合衆国では奇数偶数配給制が採られた。車のナンバープレートの末尾数字が奇数であるか仮ナンバーである者は奇数日にのみガソリンを入れることを認められ、偶数ナンバーの者は偶数日にのみ認められた。この規則は31日ある月の31日には適用されなかった。
エクソンモービル - Wikipedia(参考サイト)
ナンバープレートの末尾数字でガソリンの配給日が振り分けられていたのですね。結構衝撃的でした。日本だとトイレットペーパーみたいなイメージが僕にはあります。
1981年レーガン政権
レーガン大統領暗殺未遂
1981年1月に就任して3月には銃撃されていました。参考サイトを読んでて思いましたがこの犯人の動機が印象的でした。カーター大統領の頃から狙っていたみたいですね。
レーガン大統領暗殺未遂事件 - Wikipedia(参考サイト)
正直この辺は映画としては数分の映像で一気に取り扱っていた感がありました。あくまでこの映画で訴えたいのは別の物なんだなと改めて思います。
1986年セシルに手紙を渡すシーンから感じたこと
このシーンではある市民に側近反対されている、秘密のミッションだと映画内のレーガンは述べていました。これはレーガンの行った市民に第2次世界大戦中の損害賠償を支払っていることを指しているのだと僕は感じました。
人種差別問題の解消に対しては積極的な態度を取り続け、1988年には戦後長らく懸案の課題だった第2次世界大戦中の日系人の強制収容に対して謝罪と1人当たり20,000ドルの損害賠償を行っている。また、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日が国の祝日となったのもレーガン政権においてである(1983年)。
ウォーナー氏と長年続けてきたやりとり(給料のアップと昇進)についてを大統領がそのことについて話があるというシーン、そして客としてホワイトハウスの晩餐会に招待されるシーンを考えると積極的な態度をとっていたレーガン大統領の様子がうかがえます。そしてついに妻グロリアをホワイトハウスへ連れて行くという約束を果たします。
そしてその晩餐会で初めて給仕される側にたったセシルは自分の顔が“演じている顔”だということを悟ります。出世するために2つの顔を持つことをメイナードから教わり自分自身がずっとそういう生き方をしてきたのだと気づくのです。
80年代の南アフリカへの経済制裁と拒否権の行使
南アフリカでは1980年代に国内でアパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策に対しての反対運動が激化していました。国際社会が経済制裁に動く中でレーガン大統領は制裁が可決されたら拒否権を行使する立場をとったのです。映画内では周囲が説得しても心は決めている様子でした。ちなみに日本がどういう立場だったかも書いてあります。
アパルトヘイト - Wikipedia(参考サイト)
父セシルのルイスへの気持ちの変化チャーリーとの繋がり
晩餐会で自分の顔が“演じている顔”だと悟ったセシルは息子ルイスへの気持ちに変化があらわれます。それは犯罪者や親不孝者としてのルイスではなくアメリカの良心のために闘ったヒーローであると気づいたのです。そしてチャーリーはベトナム戦争で国のために戦って戦死しました。あのときの対立はルイスは自分の国と戦っているように見えていたのだと考えられます。国と戦う兄、国のために戦う弟から国のために戦う、戦った兄弟として父セシルは考えられるようになったのです。
執事を退職する時
そしてそれ以来今までの執事の仕事に打ち込めなくなってしまったセシルはついに退職します。その前にセシルは自分が育った綿花畑を訪れました。そして以下のように語ります。
セシル「アメリカ人は自国の歴史の暗部にずっと目を背けてきた 海外の歴史にはあれやこれや言う 強制収容所がいい例だ アメリカでは同じような人種隔離が200年も続いていたのだ」
映画「大統領の執事の涙」より引用
200年てことを考えると1840年代の『それでも夜は明ける』等のシーンと綿花畑が被ったのもようやく頷けます。強制収容所についてはここでは触れません、話が終わらなくなります。そして別れ際でレーガン大統領に言われます。立ち位置を間違えたかもしれないと。これは南アフリカの一連の対応のことを指しているものだと感じました。
セシル「私も変化を恐れてきました ですがもう恐れません」
映画「大統領の執事の涙」より引用
そして大統領の執事としての職を終えます。
ルイスとの絶縁から復縁
ルイスはマンデラ釈放を訴えるデモを起こしていました。そんな中セシルがそこに現れます。デモに参加するためです。素敵なシーンだったので紹介します。
ルイス「何しに?」
セシル「デモに参加しようと」
ルイス「仕事をなくすよ」
セシル「お前を失った すまなかった 許してくれ」
映画「大統領の執事の涙」より引用
こうして息子との復縁と拘留を初めて経験します。
2009年オバマ政権
しかし2008年の大統領選挙その投票前日に妻グロリアを失いました。そして翌年アメリカ史上初の黒人の大統領が誕生しました。この瞬間をルイスと共に迎えたのです。
そしてケネディ大統領のネクタイ、ジョンソン大統領からもらったネクタイピンをつけ自分が歩んできた歴史と共にホワイトハウスに向かいました。そして大統領室に案内される際に案内はいらないと一人で行くセシルにこの映画の全てを感じました。
完結
物凄く長くなってしまいましたが、3回に分けてとりあえず完成させることができました。この映画の根幹にはやはり公民権運動というものがあります。それをアメリカの人にとっては外国人である自分という立場からどう観るべきかすごく難しかったです。しかしこの映画を通してとにかく「まず知ろう」という思いで観ました。そして歴史を学んでいく中でそこにはたしかに色んな人が生きていて何かを思ってそして動いていた、その積み重ね、足跡を感じました。この映画はあくまで事実から着想を得た物語ですがモデルの方も存在しています。そして紹介しきれなかった様々なことがこの隙間にはたくさんあるでしょう。ただ大まかなアメリカの時代の流れを知る、公民権運動の流れを知るという意味ではこの映画はとても勉強になりました。ここからさらにいろいろなことに興味を持ち調べて学んでいく中で必ず役に立つときが来ると信じて、そして自分の国のこともちゃんと知ろうそんな風に再認識させてくれるような映画でした。
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『大統領の執事の涙』のセシルから時代の流れを学ぶ【第2回】
アメリカの時代の流れを学べる映画
今回は大統領の執事の涙のセシルからアメリカの時代の流れを学びました。この映画は実話に着想を得た物語です。一部ネタバレがあるかもしれません。アメリカの映画です。昨日の続きで第2回目になります。明日の完結で全てまとめる予定ですが良かったら1から読むとスムーズに理解できると思います。下に載せておきます。
昨日の振り返り
昨日は主に1920年代のセシルの少年時代から基本的には1957年以降から1963年にかけて映画を通してアメリカの歴史を勉強してきました。取り扱った出来事を載せておきます。
- メイミー・ティルとエメット・ティル
- リトルロック高校事件
- ナッシュビル座り込み
- フリーダム・ライド運動、フリーダム・ライダーズ
- 公民権法
これらを自分なりに勉強していきました。それでは続きを勉強していきたいと思います。
1963年~
バーミングハム運動
大量逮捕によって運動に参加する大人のボランティアが足りなくなると、SCLCのジェイムス・ビーヴェルに訓練された高校生、大学生、さらには小学生らがデモ行進に参加し、数百名の逮捕者を出した。抗議活動をやめさせるために、ユージーン・"ブル"・コナー署長が率いるバーミングハム警察は、子供たちや無関係の見物人に対しても消防用の高圧放水と警察犬を用いた。
アラバマ州バーミングハムで行われた1963年の春に開始され引用文通りの映像が映画では流れていました。警察犬や放水が用いられこの運動は後の公民権法を後押しする形になったようです。
ケネディ大統領の暗殺
1963年11月22日金曜日、大統領が暗殺されてセシルは大きく落ち込んでいました。僕が映画を観た限りではデモをみて考えが変わったと言った矢先の出来事だっただけではなく心から大統領の執事として職務を全うしていたのだと感じました。詳しいことについては以下に載せておきます。僕はテキサス遊説の背景の部分の3つの理由の2番目の部分がこの映画と関係があるように思いました。
ケネディ大統領暗殺事件 - Wikipedia(参考サイト)
少しずつ向き合う家族
そしてセシルは妻グロリアに大統領夫人からもらったケネディ大統領の形見のネクタイを見せます。しかしグロリアにとって家の事の方が心配だったこと、不安でアルコールに走ったことにようやくセシルは向き合います。1時間くらいのシーンです。
セシル「グロリアはずっと不安だったのだ だから酒に走った 彼女はルイスと和解してくれと だがその方法が分からなかった せめて残業を減らして彼女のそばにいよう」
映画「大統領の執事の涙」より引用
1964年~ジョンソン政権時代
ちょっと余談ですがジョンソン大統領からネクタイピンを渡されるシーンがあります。レディ・バードと私からと手渡されるのですが、レディ・バードは大統領夫人の名前でした。
公民権法
1964年7月2日に公民権法が成立しました。昨日の記事の最後に出てきましたがケネディ政権時代に議会に求めてジョンソン政権で実現にいたったものです。公民権法もたくさんありますがここではアメリカ合衆国における1964年の公民権法のことを言っています。
1964年公民権法 - Wikipedia(参考サイト)
マルコムX講演会
1965年ルイスはマルコムXの講演会でキング牧師と対照的な彼に疑問を感じます。そんな中銃声が鳴り響きます。おそらくこれは1965年2月21日のマルコム・X暗殺事件のことだと思われます。以下のサイトが調べたら出てきたので参考にしました。
https://parstoday.com/ja/news/world-i40293 (参考サイト)
マルコム・X - Wikipedia(参考サイト)
そして大規模な行進デモの話に繋がっていきます。
血の日曜日とセシルとルイス
調べていて驚いたのですが世界では色んな血の日曜日が歴史上起こっていました。ただ今回は1965年3月7日の公民権運動中にアラバマ州の都市セルマで起きた流血事件の名称として映画内で説明されていました。
血の日曜日事件 (1965年) - Wikipedia(参考サイト)
この事件のニュースを見ながら大統領と会話するセシルが自分と息子についてこう語っています。
セシル「長男がどうしてるかは知りません おそらくセルマに 私と息子は別世界に住んでいるようです。ただ無事であれと」
映画「大統領の執事の涙」より引用
そして上にもニュースを見ながらと書いてある通りこの映像はテレビで放映され多くの人に影響を与え投票権法と公民権運動を後押しするかたちになっていきます。
投票権法
そしてジョンソン大統領の演説のシーンが流れます。また参考サイトにて署名時のコメント音声等も聞けたのでよかったら調べてみてください。1965年8月6日のことです。
投票権法 (1965年) - Wikipedia(参考サイト)
1968年~ジョンソン政権とベトナム戦争の泥沼化
サイゴンのグエン・バン・チュー政権と南ベトナム解放民族戦線(北ベトナムが支援しその背後には中ソがいた)との内戦であったベトナム戦争がアメリカのベトナム戦争となり、ベトナム全体が戦場と化した。以後トンキン湾決議に基づき全軍の最高司令官としての大統領に付与された権限を行使して、現地の最高司令官ウエストモーランドの要請に応えて小刻みに増派を繰り返し1965年末に184,000人、1966年末に385,000人、1967年末に486,000人、1968年末には536,000人がベトナムの地で戦い、多くの若者が暑いジャングルの中で心身ともに傷ついていった
そんな中キング牧師はベトナム戦争に反対している様に感じたと同時にこの戦いと運動を分けて見ているように感じました。その中でルイスに執事について説くシーンがあり印象的だったので紹介します。
キング「君の父親は何を?」
ルイス「執事です」
キング「執事は立派な職業だ」
ルイス「皮肉ですか?」
キング「彼らは勤勉に働くことで紋切型の黒人像を変えた 高いモラルと威厳ある振る舞いによって人種間の壁を崩していった 執事やメイドは従属的と言われるが彼らは戦士なのだ 自覚なしに」
映画「大統領の執事の涙」より引用
紋切型というのはきまりきった型ということです。そしてルイスの父セシルは執事という職業を通して自覚無しに闘ってきたのだとルイスに父の偉大さを説きました。
キング牧師の暗殺
そしてテネシー州メンフィスのモーテルで1968年4月4日キング牧師は暗殺されました。詳細については以下に書いてあります。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア - Wikipedia(参考サイト)
余談ですがここでもモーテルが出てきました。僕はあまり馴染みがないですがいろんな映画やゲームにモーテルが出てきたので知っています。最近では『フロリダ・プロジェクト』でモーテルの映画を観ました。
セシルとルイスの衝突
そして職場からの帰り道セシルはルイスが見てきた現実をその目で見ます。そして同胞たちとの距離を身に染みて感じたのです。当然ルイスとの距離も離れていました。僕はこのシーンで2つの顔の話がようやくはっきりしてくるように感じます。ルイスにとって父セシルは“演じている顔”の存在であり自分が“本当の顔”であると感じている様でした。そして自分の活動をどうしても受け入れられない父と衝突します。
兄ルイスと弟チャーリーの違い
この兄弟の会話がとても印象的だったので紹介します。1時間25分くらいのシーンです。
チャーリー「ベトナムに行くんだ」
ルイス「やめろ 使い捨てにされるだけだ」
チャーリー「で ムショに行けと?俺は国のために戦う」
ルイス「葬式には出ない」
チャーリー「いいさ 来てほしくない 黒の革ジャンにピカピカのブーツ 俺の葬式なのに主役を取られる」
映画「大統領の執事の涙」より引用
国のために戦う兄と国のために戦う弟の一体何がここまで兄弟を分裂させてしまったのかとても考えさせられるシーンでした。
そして1969年ニクソン政権へ。
今日学んだことそして次回完結
今日で完結させるつもりでしたが全然終わりませんでした。今回は1963年のケネディ政権から1969年のニクソン政権につながるまでのアメリカの歴史を映画を通して学んでいきました。実際書いてて思いますが自分の無知さにもびっくりしますしこんなにいろんな事起きていたなんて調べれば調べるほど驚いています。そして基本的に国内の公民権運動の大まかな出来事だけでこれなので本当にたくさんの人が作り上げた歴史なんだなと呆然としています。だいたい映画の3分の2くらいは書けたので次回には本当に終わらせます。また本日はイベントで外出するため事前の予約投稿になります。
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予告編はこちら
前日の記事はこちら、1から読むとしっかり流れが理解できると思います。
ロシアの核実験場で起きたことを題材にした映画はこちら
1962年冷戦下のイギリスで少女が大人になる映画はこちら
『大統領の執事の涙』のセシルから時代の流れを学ぶ【第1回】
- アメリカの時代の流れを学べる映画
- 1920年代~セシルの少年時代
- 1957年~ホテルでの執事からホワイトハウスへ
- 1960年~別々の道へ進むセシルとルイス
- 1961年~ケネディ政権時代
- 今日学んだこと
アメリカの時代の流れを学べる映画
この映画を観た経緯について
今回は大統領の執事の涙のセシルからアメリカの時代の流れを学びました。この映画は実話に着想を得た物語です。一部ネタバレがあるかもしれません。アメリカの映画です。まずこの映画を観るまでの経緯が少しあるのでお話しします。記事にはしていませんが以前『それでも夜は明ける』という映画を僕は観ました。これは1840年頃のアメリカの話です。
昨日『それでも夜は明ける』を見たのですがちょっと記事にするのが難しすぎてもうちょっと勉強しないとダメだとなりまして
そしてつい先日『フィールド・オブ・ドリームス』という映画を観ました。その映画内で1960年代は激動時代だった、公民権運動などがアメリカでは起こっていたことを知りこの作品でアメリカの流れを知れるのではないかと思い今回観させていただきました。
この辺はアメリカの歴史を勉強しておくとわかりやすいかもしれません。60年代のアメリカは公民権運動やベトナム戦争などが起こった時代です。
フィールド・オブ・ドリームスのレイから夢の叶え方を学ぶ - ニートが好きだね?
なので『それでも夜は明ける』『フィールド・オブ・ドリームス』この2つの映画を観てアメリカの歴史に興味が沸いて観たくなったという流れがあります。
基本的にはホワイトハウスで歴代大統領7人に執事として仕えたセシルの半生を描いた映画になります。
1920年代~セシルの少年時代
1926年のジョージア州メーコンでセシルは家族と共に綿花畑で働いていました。しかしある日雇い主に父を殺されます。それを見ていた雇い主の母からセシルは給仕見習いとして屋敷の中で働くことを許可します。この綿花畑のシーンを観て1840年頃の綿花畑で働いていた『それでも夜は明ける』のソロモンと80年以上も経っているのに何も変わっていない印象を受けました。ずっと農園の中で生きてきたセシルはいつか自分も父と同じように殺されてしまうと悟り外に出ることを決心します。そのときのセシルの気持ちのシーンです。
セシル「農園を出るのは怖かった 私は外の世界を知らない」
映画「大統領の執事の涙」より引用
仕事も食べ物も何も無いセシルにとって外の世界は残酷に感じたようです。そして法の不平等さを目にしながら空腹のあまりある屋敷に侵入します。そして母が廃人になり父は殺されたことを話し給仕ならできる仕事が欲しいと頼むのです。そこで世話をしてくれたメイナードから執事のスキルを学びます。
そんな生活を過ごしていくうちにワシントンD.C.のホテルの支配人が執事を探している話が飛び込んできます。そしてメイナードは年齢を理由に断り代わりにセシルを推薦しておいたと伝えるのです。そしてメイナードから2つの顔を持つことを教わります。“本当の顔”と“演じる顔”です。出世するためには演じる顔が必要であると気づかせたのです。
1957年~ホテルでの執事からホワイトハウスへ
1957年にワシントンD.C.セシルはその仕事に就きます。少年時代のことから予想すると30後半~40歳くらいだと考えられます。そしてメイナードの教えを守りながらしっかり仕事をこなしていきます。そのおかげでセシルは想像もしていなかった生活を送れるようになりました。そして2人の息子を持ちます。
メイミー・ティルとエメット・ティル
そんな中家族の会話の中である話が出てきました。「メイミー・ティル」という息子を殺された女性の話です。これについては以下にリンク載せておきます。
エメット・ティル - Wikipedia(参考サイト)
このエメット・ティルという人物がこの映画に出てくるメイミーの息子のことを指していると思います。是非一度読んでみてください。そして1本の電話から大きく進展していきます。
ホテルで給仕したウォーナー氏が事務主任で電話の内容はホワイトハウスの執事として働ける人材を探しているというものでした。本来は給仕長であるファロウズが執事を選んでいたため不信感を抱いていたようですが培ってきた知識で無事に採用されます。そこでファロウズから“見ざる聞かざる”で給仕することを教わります。
リトルロックに軍を派遣
そしてセシルにとって初めての大統領への給仕は1957年アイゼンハワー政権下でのことでした。様々な戦争に関係する映画で軍人としての彼の名前は知っていました。大統領としては記事でも紹介した『キャロル』でも大統領の就任祝いという名前だけ登場したのでそのへんの時代という繋がりが出てきました。
そして大統領とセシルの会話で学校の話が上がります。そこで生徒の登校が妨害されて大統領は軍を派遣するにいたります。その大統領令のシーンで扱われていたのが以下の事件です。詳しい内容が知りたい方は是非読んでみてください。
リトルロック高校事件 - Wikipedia(参考サイト)
父と息子のすれ違い
この大統領令でセシルは大統領が動いてくれた現実を見ていました。しかし息子のルイスが見ていたのは違う現実でした。このすれ違いがわからないままルイスはアメリカ南部の大学へ進学します。
1960年~別々の道へ進むセシルとルイス
ナッシュビルでの座り込み
ルイスはフィスク大学で目的にしていたロウソン牧師のゼミに参加します。その規範にあるものはガンジーでその戦略をナッシュビルで実践するというものでした。おそらく内容からもこのことを指すと思われます。是非気になる方は読んでみてください。
ナッシュビル座り込み - Wikipedia(参考サイト)
衝突する父と息子、ばらばらになる家族
座り込み等の活動により刑務所に拘留されたルイスは父セシルと衝突します。革新的な運動を行いたいルイス、法を犯したことを責める父。一部会話を引用します。40分くらいのシーンです。
ルイス「革新的な運動なんだ」
セシル「刑務所に入るのが?誰が学費を出している?大学には?」
ルイス「僕は変革を・・・」
セシル「お前は法を犯した 刑務所に30日も入れられるんだ 殺されるぞ」
ルイス「好きな席にも座れない世の中って?」
映画「大統領の執事の涙」より引用
そして妻グロリアも家になかなか帰れない旦那にたいして徐々に不満が募っていきました。家族が徐々にばらばらになっていったのです。
1961年~ケネディ政権時代
フリーダム・ライド運動
ルイスは刑務所を出ても活動を続けていました。フリーダム・ライド運動という活動です。以下に記事があったので引用しておきます。
人種による座席の区別を公然と破ってみせました。彼らは自分たちを「フリーダム・ライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢をただしたのです。
このような活動のなかである団体との衝突によりルイスは死の恐怖を経験するのです。
演説と公民権法
一方セシルはケネディ大統領との会話の中でデモを見て考えが変わったことを知ります。そして1963年演説の中である法案について触れます。以下に載せておきます。詳しく知りたい方は是非読んでみてください。
1964年公民権法 - Wikipedia(参考サイト)
そして1963年にケネディ大統領は暗殺されました。
今日学んだこと
あまりにも長くなりすぎてしまうため今日はこのくらいにします。珍しく映画を2つに分けて記事にしますがそれだけたくさんのことが起きたのだと改めて書いてて思いました。またこの記事はあくまで自分自身の勉強のために書いてあります。どのようなことが起きて現在に繋がっているのかそういう意味でもこの映画はとても勉強になっています。明日は続きを書いて終わらせます(終わりませんでした)。公民権運動を通してアメリカでなにが起きたのか自分なりに詳しく勉強していきたいとおもいます。
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予告編はこちら
1960年代のアメリカの歴史に興味が沸いた映画の記事はこちら
冷戦下のイギリスで少女が大人になっていく映画はこちら
2ヶ所目のメンタルクリニックで感じたこと2
WAISと診察とお薬と薬局
今日は3週間ぶりに病院へ行ってきました。前回の記事で知っている方はいるかもしれませんが通称ラーメンの上です。そこでWAISという成人知能検査を午前中受けたというのが今日の主な内容です。
WAISとは
まず何それって人のためにとりあえず説明を載せておきます。
ウェクスラー成人知能検査(ウェクスラーせいじんちのうけんさ、Wechsler Adult Intelligence Scale、略称WAIS、ウェイス)は、16歳以上の成人用に標準化された、ウェクスラー・ベルビュー知能検査(1939年)の改訂版として、1955年2月に出版された、知能(IQ)を測るための一般的な検査である。
WAISというのは成人用のIQ検査の名称の頭文字だそうです。もう50年以上の歴史があるのですね。そして今がどうなっているかというと以下に載せます。
全検査IQは、言語性検査と動作性検査から構成されている。なかでもWAIS-IIIは、7言語性検査と7動作性検査の、計14下位検査から成っている。2018年には最新のWAIS-IVが出版された。
去年に最新版が出たみたいですね。で病院によってどっち使ってるかは色々事情があるみたいですがそのへんは曖昧にされてしまいましたね。また子供版は別にあるみたいです。
WAISを受けた経緯と感じたこと
前回こちらの病院を初診した時に検査を紹介され1週間後に親が呼ばれ幼少期の事を聞き今回僕は検査に挑んだという流れです。結構受けたことある人もいるのですかね?調べれば出てくるので興味がある人は調べてみてください。
具体的に何したかはあまり書かないほうがいいと思うので書きませんが簡単なIQ検査を受けたということです。1:1でやりまして検査を進行してくださった先生もとても優しく自然な会話から入り丁寧に検査をやり終えることができましたが長いです。
一生懸命やりましたが2時間30分くらいはかかった気がします。またすこしごまかされたような気もしますがあくまでも何が得意で苦手かを分析できるようなテストであって病気を診断するわけではないと言っていましたね。この得意、苦手のバランスになにかしらのおかしな点があれば何かの疑いがあるのかもしれません。ただ自分が得意なことが知れるいい機会だと思うのでおとなしく検査結果を待ちたいと思います。終わってみて思いましたけどやっぱり得意不得意はありました。全然問題ないところとできなかったところがなんとなくわかった気がします。
診察とお薬
そのあと診察していただいて検査結果がでるまで約3~4週間かかるとのことだったので4週間分お薬を出して頂いたわけであります。新しい薬だったり色々すすめられましたがやはり恐怖心があり今までの薬でいいということに、ただ飲む時間が朝だったのを夜に変えていただきました。セロトニンの勉強をしてから昼型の人間になりたいのと朝薬を飲むとどうしても昼くらいにものすごい眠くなってしまって1回夜飲んだらぐっすり眠れたので相談してみたらすんなり承諾していただきました。
個人的薬局に思うことと学んだこと
帰りに薬局に寄って初めて知ったんですけどお薬手帳てあれ共通なんですね、僕薬局変わったらまた作るのかと思ったら共通ですて教えていただきました。1こお勉強できました。あとどうでもいいんですけど薬局って綺麗なお姉さん居すぎ問題。僕が行ったところがたまたまなのか単純にゲーセンの上もラーメンの上も基本薬局のお姉さんは綺麗な人が多いという知識のまま今を生きています。
今日は結構長い検査で疲れましたが結果が出たときにまた詳しい記事にして書こうと思います。あくまでもWAISと呼ばれる成人知能検査があるよという記事と今日感じたことでした。次回のメンタルクリニック系記事は4週間後になる予定です。
前回の初診の時の記事はこちら
人生初のメンタルクリニックの時の記事はこちら
『50回目のファースト・キス』のヘンリーとルーシーから記憶との向き合い方を学ぶ
記憶との向き合い方を学べる映画
今回は『50回目のファースト・キス』のヘンリーとルーシーから記憶との向き合い方を学びました。先日テレビでやっていたリメイク版を観てこっちも観てみたいと思った経緯があります。この記事は※ネタバレがあります注意してください。またリメイク版と設定が違う部分があるためそのへんはよろしくお願いします。アメリカの映画です。基本的には1日しか記憶がもたないルーシーにヘンリーが毎日恋愛をして人生を過ごしていく話です。今回は記憶というものに焦点をあててみました。
長期記憶と短期記憶とルーシー
人間の記憶には様々な種類があるようです。また学問によっても違うようです。今回は映画に登場した長期記憶と短期記憶を見てみます。
短期記憶
保持期間が数十秒程度の記憶である。保持時間だけではなく、一度に保持される情報の容量の大きさにも限界があることが特徴とされる。
長期記憶
短期記憶に含まれる情報の多くは忘却され、その一部が長期記憶として保持される。この保持情報が長期記憶として安定化する過程は記憶の固定化と呼ばれる。長期記憶は保持時間が長く、数分から一生にわたって保持される記憶である。短期記憶とは異なり、容量の大きさに制限はないことが特徴とされる。記憶の分類 - 脳科学辞典 より引用
ここでは数十秒程度と短期記憶は書いてありましたが色々調べてみると数十秒から数十分、数か月、最長2年までという説もありました。
そしてルーシーはある交通事故による後遺症で長期記憶には問題ないが短期記憶は残らないという記憶障害になります。映画内では「ゴールドフィールド症候群」と医者が言っていましたがこの名称は架空の病名です。短期記憶が長期記憶にうまく変換できないという風に説明されています。また映画内でルーシーの短期記憶は1日でリセットされるというものでした。
挑戦と失敗を続けるヘンリーと事故前後のルーシー
ヘンリーはある日カフェで見たルーシーに一目惚れしてナンパをします。そして盛り上がった二人は次の日も共に朝食をとることを約束するのです。しかし上でも説明したようにルーシーの記憶は1日でリセットされます。なのでヘンリーのことは覚えておらずヘンリーはそこで彼女の記憶について知るのです。それでもヘンリーは毎日リセットされると理解しながらもあの手この手をつくしてルーシーをくどき続けます。この日々の中で事故以前の人の名前などは憶えているが事故後に出会ったヘンリーの名前は憶えていないルーシーを観ることができます。
変化しない家族と変化を与えるヘンリー
ルーシーの家族は事故後からずっと同じ日を演じ続けていました。毎日訪れる父の誕生日、何回も観るスポーツの試合ルーシーには全てが今日初めての出来ことですが家族にとっては事故からずっと演じてきた同じ毎日の繰り返しだったのです。家族はルーシーの記憶障害が変なことに利用されたり悪い男に引っかからないように守ろうとはしていたのです。しかし同時にルーシーが真実を知ることを恐れているように感じました。そこにあったのは先に進まない日常でした。家族から見ればヘンリーがなぜ娘にそこまでこだわるのかがわからず利用しようとしているのではないかと最初は疑います。しかし日々諦めずに娘へのアタックを挑戦し続けるヘンリー、そしてルーシーが彼と会った日だけ歌を歌っている姿を見て徐々に向き合い始めます。そしてあるきっかけからルーシーは真実を知ります。その日から徐々に先に進まなかった日常が進み始めます。
新しい試みと進み始めた日常
そしてヘンリーは彼女の大好きなユリの花と一緒にあるビデオテープを届けます。その一部分を紹介します。約1時間くらいのところのシーンです。
ヘンリー「全部僕の作り話だと思いたいよね?僕もだよ でも聞いて皆 君を想ってるパパもダグも このカフェの友人からのメッセージだ」
映画『50回目のファースト・キス』より引用
こうしてヘンリーは事故にあったこと、ヘンリーとルーシーが日々どうやってカフェで過ごしているか、そしてルーシーの長期記憶にいる演じるのを手伝ってくれていた人々がどんな想いでいるかを1つのビデオにまとめたのです。これを観た後にこれを観たのは何度目か聞くルーシーの自分の現在を受け止めようとしている姿にヘンリー達だけでなく僕はもう号泣してました。このテープの中のカフェの店員スーの言葉もとても素敵でした。
恋から愛へ日常だけでなく進み始めた心
そして色んな場所に行き日々をカメラで記録していきます。そんな中ある時ルーシーがヘンリーに質問をします。そのシーンを紹介します。
ヘンリー「君から質問を」
ルーシー「私を愛してる?強制じゃなくて 情報として聞いただけ 最新版ビデオ用に」
ヘンリー「いいとも“愛”は重みのある言葉だ そうだなぁ・・・毎朝カフェに行き読書中の君を見る そして・・・君をとても愛してる 人が人を愛する以上に」
映画『50回目のファースト・キス』より引用
今までプレイボーイだったヘンリーが遊びではなく真剣に、そして恋ではなく愛になったのです。最初は上手いこと言おうとしたヘンリーの口から正直に出たルーシーへの言葉でした。今までの彼の行動がまぎれもなく証明しているのです。そしてルーシーは「ファースト・キス」をします。
そこから二人はいろんな場所で「ファースト・キス」をします。これは短期記憶を忘れる彼女だからこそできる愛の形とも言えます。それをあらわすかのようにヘンリーの同僚はルーシーと同じセリフを言いきる前に波にのまれる描写がありました。まるであれはルーシーとヘンリーだからできることなんだと言わんばかりに。
そして23回目のキスでついに二人は結ばれます。ルーシーにとっては初めてのキス。平均すると12回のキスという何気ない会話が僕にはとても素敵に見えました。この夜の景色と水族館の生き物たちがまるで二人を祝福するかのように泳ぎ回る行動がとても綺麗です。本当に綺麗です。
ビデオと日記の違いそしてヘンリーの想いとルーシーの想い
ルーシーはある時ヘンリーには夢があることを聞いてしまいます。そしてその夢を自分とのために諦めているのではないかと感じたのです。そしてある決意をしてヘンリーに会いに行きます。1時間15分くらいのシーンです。
ヘンリー「その本は何?」
ルーシー「私の日記よ 毎晩書いてる」
ヘンリー「ビデオは嫌い?
ルーシー「大好きよ でも見てると時々また聞きのような気がするの 日記を読むと自分の人生の実感が・・・」
映画『50回目のファースト・キス』より引用
うまく説明できませんがなんか分かる気がします。ビデオはあくまでみんなで作ったり日々の生活のありのままを記録したものです。しかし日記には誰にも言っていない彼女だけの正直な気持ちを彼女だけで書いてきたという違いがあります。
記憶が残らないルーシーにとって誰にもいっていない彼女だけの正直な気持ちが書かれている日記にこそ自分の人生をなんとなく感じ取っていたのだと僕は思います。そしてルーシーはヘンリーのために自分の中の彼の記憶を完全に抹消することを決意します。つまり日記に残る彼を完全に抹消するということです。
そして二人で日記をパソコンで入力しながら交互にヘンリーだけの記憶のページを破り捨てていく姿はとても切ない共同作業でした。涙でほとんど見れませんでしたが。そして二人は「最後で最初のキスをします」。
出会う前に戻る日常そしてヘンリーの夢
ヘンリーはついに島を出る決意をします。その門出をいわってルーシーの父親はあるCDをくれます。それはルーシーがヘンリーと会ったときだけに歌っていた想い出の曲でした。
そして自分の幸せと夢は彼女無しでは叶えられないと感じ彼女に会いに行きます。しかしそこに居たのはヘンリーのことを忘れているルーシーの姿でした。しかしルーシーはヘンリーを自分のアトリエに案内します。
そのアトリエは夢の中の男であふれていました。そしてヘンリーは自分の気持ちをありのままに伝えます。そして素敵なラストシーンに繋がります。気になった方は是非観てください。
この映画から学んだことと書きたいこと
映画の設定上記憶は外せないワードだと思いますが僕が思ったのはこの映画でルーシーに関わった誰もがみんな自分たちなりに彼女の記憶と向き合おうとしていました。
そしてヘンリーはルーシーだけでなく周囲の人もいい意味で巻き込んでまるで皆が同じ船にのった船員のように同じ方向を向いてルーシーと記憶との問題に諦めずに挑戦し続けました。そしてそれは愛の力であると素直に思います。
僕は8年引きこもりで日々同じような生活をしてある意味記憶に残らない生活をしてきました。なぜならいつを思い出しても同じ日だからです。僕はルーシーみたいに事故ではなく自分の生活習慣からですが今では毎日色んな事に挑戦して記憶に残る日々を過ごしています。記憶との向き合い方は当然人それぞれ違います。でも各自が自分の記憶と向き合って行動することって素敵だなとこの映画から学ばさせていただきました。
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