ニートが好きだね?

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昨日と違うニートになる。頭はたくさん動かした。手の動くままにやってみるよ。

ニートが好きだね?

『大統領の執事の涙』のセシルから時代の流れを学ぶ【完結】

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アメリカの時代の流れを学べる映画

今回は大統領の執事の涙のセシルからアメリカの時代の流れを学びました。この映画は実話に着想を得た物語です。一部ネタバレがあるかもしれません。アメリカの映画です。昨日の続きで今日で完結になります。最後に全てまとめる予定ですが良かったら1から読むとスムーズに理解できると思います。下に載せておきます。

 昨日までの振り返り

昨日は主に1963年以降から1969年にかけて映画を通してアメリカの歴史を勉強してきました。1920年代~はじまったこのシリーズ記事で主に取り扱った出来事を下に載せておきます。

第1回

大統領の執事の涙のセシルから時代の流れを学ぶ1 - ニートが好きだね?

  • メイミー・ティルとエメット・ティル
  • リトルロック高校事件
  • ナッシュビル座り込み
  • フリーダム・ライド運動、フリーダム・ライダーズ
第2回

大統領の執事の涙のセシルから時代の流れを学ぶ2 - ニートが好きだね?

  • バーミングハム運動
  • ケネディ大統領暗殺
  • 公民権法
  • マルコム・X暗殺
  • 血の日曜日
  • 投票権法
  • (ワッツ暴動)未掲載
  • (ブラックパンサー党結成)未掲載
  • (デトロイト暴動)未掲載
  • (ブラックパワー・サリュート)未掲載
  • ベトナム戦争
  • キング牧師暗殺 

これらを自分なりに勉強していきました。それでは続きを勉強していきたいと思います。ベトナム戦争が泥沼化、キング牧師が暗殺され、兄ルイスと弟チャーリーのすれ違いそして前回の最後は1969年にニクソン政権に繋がるところから今回はじまります。

1965~69年公民権法の成立後の補足

1964年の公民権法が成立したことによって法的には平等な権利を保障したわけですが現実的な問題は解消されなかったようです。そのため上のリストに書いてある未掲載の部分について補足します。以下のサイトを参考にさせていただきました。

https://www.y-history.net/appendix/wh1604-010_1.html(参考サイト)

ワッツ暴動

1965年の8月11~17日かけてワッツ市で発生した暴動事件です。死者・負傷者を多数出し逮捕者は約4000名にも及んだ様です。詳しくは以下に載せておきます。

ワッツ暴動 - Wikipedia(参考サイト)

ブラックパンサー党の結成

1966~67年に結成されました。日本では新聞などで「黒豹党」と呼ばれることが多かったみたいです。映画のシーンでも出てきますが貧困層の児童に朝食の無料配給を行ったり治療費が無料の病院の建設を行いながらも武装蜂起を呼びかけた面もあるようです。これについては映画内のルイスとキャロルの違いのシーンで触れます。また記事にはしていませんが「フォレスト・ガンプ」という映画で出てきたのを思い出しました。

ブラックパンサー党 - Wikipedia(参考サイト)

デトロイト暴動

1967年7月23日から27日にかけてミシガン州デトロイトで発生した暴動です。ワッツ暴動と同じく死者・負傷者を多数出しこちらは自動車産業で栄えていたデトロイトに打撃をあたえた一因にもなったようです。

デトロイト暴動 (1967年) - Wikipedia(参考サイト)

ブラックパワー・サリュート

1968年10月17日のメキシコシティオリンピックにおいて男子200メートル競走の表彰式で拳を高く掲げた近代オリンピックの歴史においても有名な政治行為みたいです。

ブラックパワー・サリュート - Wikipedia(参考サイト)

補足だけでもこれだけの量になってしまいましたが、僕が感じたのは公民権法が1964年に成立してからも各地で色んなことが起きていて現実的な問題解消にはなっていないことがよくわかりました。

1969年ニクソン政権

ルイスとキャロルそれぞれの道へ

このようなことが起こる中、ニクソン大統領も動き始めます。そしてオークランドのブラックパンサー党本部でのルイスとキャロルの会話のシーンが印象的だったので紹介します。

ルイス「何の集まりだ?社会奉仕じゃないのか?」

キャロル「社会奉仕よ」

ルイス「殺しあうのが?」

キャロル「自己防衛よ」

ルイス「誰かを殺す覚悟が?俺はない」

キャロル「あるわ」

映画「大統領の執事の涙」より引用

60年のフィスク大学での出会いから共に様々な活動を続けてきた二人ですがキング牧師についてきたルイス、またマルコム・X講演の際に疑問を感じていた事等から社会奉仕活動においては賛成しつつも武装蜂起によって引き起こされる暴力においては納得できない様子でした。しかしキャロルにおいては武装蜂起によって引き起こされることまでもが社会奉仕活動として捉えていた違いがあります。キャロルにはそれしか道はないという覚悟のようなものを感じました。このすれ違いからそれぞれ二人は別々の道へ進んでいったのです。

ベトナム戦争による息子チャーリーの死

セシルの誕生日の夜そと報せは突然やってきました。家じゃないとすぐに現実を受け入れられない夫婦。そして葬式でセシルが感じていたことを紹介します。1時間35分くらいのシーンです。

 セシル「ベトナムは息子を奪った 一体何のための戦いだったのか?」

映画「大統領の執事の涙」より引用

 大統領の執事としてではなく、一人の国民として、チャーリーの父として出た感情だと素直に思いました。またよく見ると席が1つ空いています。前列の両親の隣であることからルイスのための席だと推測できます。しかしルイスは来ませんでした。父として弟の葬式に来てほしいと願う父と弟との約束を守った兄とのすれ違いも感じました。詳しくは前回の記事のチャーリーとルイスの会話の引用を気になる方は見てください。

1974年第2期ニクソン政権からフォード政権へ

ウォーターゲート事件と大統領辞任

映画内でボロボロな状態のニクソンが映し出されます。そして辞任だなんだとセシルと会話するシーンがあります。これはおそらくウォーターゲート事件でのニクソン大統領の状態をあらわしているのだと思いました。

 そして1974年8月8日夜、ホワイトハウスからテレビで全米の国民に大統領を辞任することを表明し、ウォーターゲート事件の責任をとる形で8月9日に正式に辞任した。なお、大統領の辞任はアメリカ史上初めてのことであり、その後も辞任した大統領は現れていない。

リチャード・ニクソン - Wikipedia より引用

ウォーターゲート事件に関しては発端となった1972年に6月に大統領選挙の予備選挙の終盤に民主党全国委員会本部へ不法侵入をおこない盗聴を行った事件から辞任までのすべての経緯の総称を指しています。詳しくは以下に載せておきます。

ウォーターゲート事件 - Wikipedia(参考サイト)

父セシルとルイスの埋まらない確執

ルイスはキャロルと別の道に進んでから大学を卒業して修士号をとっていました。しかし弟の葬式に来なかったルイスを許せず聞く耳を持ちませんでした。

フォード大統領

ニクソン大統領がアメリカ史上初めて辞任した大統領でありそのためフォード大統領は選挙を通さずに大統領になった唯一の大統領のようです。そのような環境下の中での就任式の映像が今までの大統領と同じような宣誓部分が使われていたので何か意図があるように感じました。

ジェラルド・R・フォード - Wikipedia(参考サイト)

1975年~この頃のLGBTの社会運動

今でこそだいぶ浸透してきたと個人的には感じるLGBTという言葉ですが当時のアメリカの社会運動として映像がに登場していたので紹介します。

1970年代初頭の急進的なゲイ解放運動は次第に衰退する。代わってホモファイル時代の運動を継承し、社会的少数者としてのゲイやレズビアンらが公民権(civil rights)の獲得を求める運動である「ゲイ・ライツ・ムーブメント」(Gay Rights Movement)が生まれた

LGBTの社会運動 - Wikipedia  より引用

Gay Rights Movementの看板を掲げてデモ行進している姿が映画からわかります。

1976年カーター政権

オイルショック 1973年~

エクソンモービルの看板と車がたくさん映る映像とともにカーター大統領が石油危機を訴える映像が使われていました。総合エネルギー企業であり、石油の大手メジャーだそうです。まだフォード政権から1973年~オイルショックについてのシーンだと思います。読んでて驚いたところがあったので紹介します。

アメリカ合衆国では奇数偶数配給制が採られた。車のナンバープレートの末尾数字が奇数であるか仮ナンバーである者は奇数日にのみガソリンを入れることを認められ、偶数ナンバーの者は偶数日にのみ認められた。この規則は31日ある月の31日には適用されなかった。

アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980) - Wikipedia より引用

エクソンモービル - Wikipedia(参考サイト)

ナンバープレートの末尾数字でガソリンの配給日が振り分けられていたのですね。結構衝撃的でした。日本だとトイレットペーパーみたいなイメージが僕にはあります。

1981年レーガン政権

レーガン大統領暗殺未遂

1981年1月に就任して3月には銃撃されていました。参考サイトを読んでて思いましたがこの犯人の動機が印象的でした。カーター大統領の頃から狙っていたみたいですね。

レーガン大統領暗殺未遂事件 - Wikipedia(参考サイト)

正直この辺は映画としては数分の映像で一気に取り扱っていた感がありました。あくまでこの映画で訴えたいのは別の物なんだなと改めて思います。

1986年セシルに手紙を渡すシーンから感じたこと

このシーンではある市民に側近反対されている、秘密のミッションだと映画内のレーガンは述べていました。これはレーガンの行った市民に第2次世界大戦中の損害賠償を支払っていることを指しているのだと僕は感じました

人種差別問題の解消に対しては積極的な態度を取り続け、1988年には戦後長らく懸案の課題だった第2次世界大戦中の日系人の強制収容に対して謝罪と1人当たり20,000ドルの損害賠償を行っている。また、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日が国の祝日となったのもレーガン政権においてである(1983年)。

ロナルド・レーガン - Wikipedia より引用

ウォーナー氏と長年続けてきたやりとり(給料のアップと昇進)についてを大統領がそのことについて話があるというシーン、そして客としてホワイトハウスの晩餐会に招待されるシーンを考えると積極的な態度をとっていたレーガン大統領の様子がうかがえます。そしてついに妻グロリアをホワイトハウスへ連れて行くという約束を果たします

そしてその晩餐会で初めて給仕される側にたったセシルは自分の顔が“演じている顔”だということを悟ります。出世するために2つの顔を持つことをメイナードから教わり自分自身がずっとそういう生き方をしてきたのだと気づくのです。

80年代の南アフリカへの経済制裁と拒否権の行使

南アフリカでは1980年代に国内でアパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策に対しての反対運動が激化していました。国際社会が経済制裁に動く中でレーガン大統領は制裁が可決されたら拒否権を行使する立場をとったのです。映画内では周囲が説得しても心は決めている様子でした。ちなみに日本がどういう立場だったかも書いてあります。

アパルトヘイト - Wikipedia(参考サイト)

 父セシルのルイスへの気持ちの変化チャーリーとの繋がり

晩餐会で自分の顔が“演じている顔”だと悟ったセシルは息子ルイスへの気持ちに変化があらわれます。それは犯罪者や親不孝者としてのルイスではなくアメリカの良心のために闘ったヒーローであると気づいたのです。そしてチャーリーはベトナム戦争で国のために戦って戦死しました。あのときの対立はルイスは自分の国と戦っているように見えていたのだと考えられます。国と戦う兄国のために戦う弟から国のために戦う、戦った兄弟として父セシルは考えられるようになったのです。

執事を退職する時

そしてそれ以来今までの執事の仕事に打ち込めなくなってしまったセシルはついに退職します。その前にセシルは自分が育った綿花畑を訪れました。そして以下のように語ります。

セシル「アメリカ人は自国の歴史の暗部にずっと目を背けてきた 海外の歴史にはあれやこれや言う 強制収容所がいい例だ アメリカでは同じような人種隔離が200年も続いていたのだ」

映画「大統領の執事の涙」より引用

200年てことを考えると1840年代の『それでも夜は明ける』等のシーンと綿花畑が被ったのもようやく頷けます。強制収容所についてはここでは触れません、話が終わらなくなります。そして別れ際でレーガン大統領に言われます。立ち位置を間違えたかもしれないと。これは南アフリカの一連の対応のことを指しているものだと感じました。

セシル「私も変化を恐れてきました ですがもう恐れません」

映画「大統領の執事の涙」より引用

そして大統領の執事としての職を終えます。

ルイスとの絶縁から復縁

ルイスはマンデラ釈放を訴えるデモを起こしていました。そんな中セシルがそこに現れます。デモに参加するためです。素敵なシーンだったので紹介します。

ルイス「何しに?」

セシル「デモに参加しようと」

ルイス「仕事をなくすよ」

セシル「お前を失った すまなかった 許してくれ」

映画「大統領の執事の涙」より引用

こうして息子との復縁と拘留を初めて経験します。

2009年オバマ政権

しかし2008年の大統領選挙その投票前日に妻グロリアを失いました。そして翌年アメリカ史上初の黒人の大統領が誕生しました。この瞬間をルイスと共に迎えたのです。

そしてケネディ大統領のネクタイ、ジョンソン大統領からもらったネクタイピンをつけ自分が歩んできた歴史と共にホワイトハウスに向かいました。そして大統領室に案内される際に案内はいらないと一人で行くセシルにこの映画の全てを感じました。

完結

物凄く長くなってしまいましたが、3回に分けてとりあえず完成させることができました。この映画の根幹にはやはり公民権運動というものがあります。それをアメリカの人にとっては外国人である自分という立場からどう観るべきかすごく難しかったです。しかしこの映画を通してとにかく「まず知ろう」という思いで観ました。そして歴史を学んでいく中でそこにはたしかに色んな人が生きていて何かを思ってそして動いていた、その積み重ね、足跡を感じました。この映画はあくまで事実から着想を得た物語ですがモデルの方も存在しています。そして紹介しきれなかった様々なことがこの隙間にはたくさんあるでしょう。ただ大まかなアメリカの時代の流れを知る、公民権運動の流れを知るという意味ではこの映画はとても勉強になりました。ここからさらにいろいろなことに興味を持ち調べて学んでいく中で必ず役に立つときが来ると信じて、そして自分の国のこともちゃんと知ろうそんな風に再認識させてくれるような映画でした。

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大統領の執事の涙(字幕版)

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