『神様メール』のエアから何かを変えるを学ぶ
【スポンサーリンク】
行動によって結果的に何かが変わることを学べる映画
今回は『神様メール』のエアから何かを変えるを学びました。ベルギー、フランス、ルクセンブルクの共同制作した映画です。この記事は※ネタバレがあります注意してください。基本的には神様である父よりもっと世界をよくしたいと考える娘のエアが地上に降り立ち6人の使徒と出会い世界を変えるという話です。特定の名言は避けていますが聖書やJCが出てきます。あくまで今回はファンタジー作品として観ました。
映画内においての神
この映画においての神はパソコンで全ての情報を管理していました。
最初神は色々な動物を世界に創りますがどうも納得いきません。試行錯誤していくうちに自分に似せた人を創り観察します。すると徐々に増えて神は納得しました。
そして暇をつぶすかのように闘いを行わせたり災いを創ります。“普遍的な不快の法則”を創っていたのはとても面白いです。(必要な睡眠の長さはあと10分、ジャム側からパンは落ちる)よくある不快に思うようなことはこの神様がパソコンで創っていたよってことです。
娘エアと住んでいる場所
エアは神の娘として生まれ10年もの間ずっと閉じ込められていました。
その場所は寝室が3つ書斎が1つキッチンとランドリーと特別珍しい感じがあるわけでもなく人間と同じような生活をする場所です。ですが違う点がいくつかあります。
入り口の扉も出口の扉もないということ、そして書斎で父によってパソコンを通して世界が情報を管理されているということ。
エアの父に対する想い
ある日書斎の扉が開いていてエアはパソコンを覗いてしまいます。そこに映っていたのは父が引き起こした数々の悲惨な事故の画像でした。書斎に勝手に入ることにより父は激昂しエアを暴力で懲らしめます。
その瞬間エアは決心しました。その目的は父よりうまく世界を管理すること。そして父への“怒り”による復讐です。
エアと兄JC
エアは家を出るにあたり兄JCにどうすればいいか聞きます。そこで6人の使徒を集めて聖書を書けば何かが起こること、地上へ出る方法、そして父はパソコンがないと何もできないことを知ります。
何故兄がこんなことを知っているかというとかつて12人の使徒を集めたことがある背景があるからです。
地上へ降り立つエアと神
6人の使徒を集めるため地上へ
地上に出るにあたりメアは人類にパソコンを使って余命を宣告します。人類に自分の死を意識させたのです。そして人は自分の余生をどう生きるか真剣に向き合うようになりました。
ヴィクトール
地上に降り立ったエアはヴィクトールという男性に出会います。見た目はホームレスのような恰好をしているおじさんでした。彼についてエアはこう言っていました。
エア「私にとって理想の父親像」
映画『神様メールより』引用
そんな2人が天国について会話するシーンが印象的だったので紹介します。
エア「天国は想像と違ったわ」
ヴィクトール「天国?」
エア「ここよ」
ヴィクトール「こんなところが天国なら俺でも創れるよ 天国は死後の場所だ」
エア「いいえ 死後は何もない 天国はここよ」
映画『神様メールより』引用
ヴィクトールの感覚とエアの神の娘としての感覚の違いが歩きながらの会話になんとなく含まれていました。そして「フィールド・オブ・ドリームス」の時の天国の考え方をなんとなく思い出しました。ちなみに彼は携帯をもっておらず寿命がわからないそうです。
6人の使徒
- オーレリー
- ジャン=クロード
- マルク
- フランソワ
- マルティーヌ
- ウィリー
これがエアが選んだ6人になります。ヴィクトールには聖書を書かせる役割を与えて順番に出会っていくのです。エアは心の音楽を各自に教え奇跡を起こしていきます。
オーレリー
美しい彼女の体の一部は子供の頃事故によって失われていました。でも彼女は体の一部だけでなく笑うことも失っていました。ある日老人に言われた安っぽい哲学が彼女の救いでした。
オーレリー「“若いお嬢ちゃん 人生はスケート場だ 大勢が滑って転ぶ”」
映画「神様メールより」引用
オーレリーの曲はヘンデルの歌劇『リナルド』のアリア『私を泣かせてください』でした。イタリア語でLascia ch'io pianga。詳しくは調べてみてください。
リナルド (オペラ) - Wikipedia(参考サイト)
ジャン=クロード
子供の頃の彼は冒険家でした。成長するにつれて人生がつまらなくなっていきます。それが“現実”だからです。意味のない仕事に意味もなく時間を使い意味のない人生を過ごしていました。
ジャン=クロード「空気がなければ鳥は落ちるか?」
映画「神様メールより」引用
ジャン=クロードの曲はラモーの『鳥のさえずり』でした。フランス語ですがここの組曲の5番にLe Rappel des Oiseauxというのがあります。この曲です。クラヴサン曲集と運指法とかで調べてもいいかもしれません。
Deuxième livre de pièces de clavecin de Rameau — Wikipédia(参考サイト)
マルク
マルクは自称“性的妄想者”。子供の頃いつも我慢して暮らしてきたようです。でも余命83日と知り自分の性欲のために1日も無駄にしないと決めました。お金がもたくなった彼はエアにより自分の声が仕事になることを告げられます。
マルクの音楽はパーセルの『孤独』でした。パーセルの曲はZ番号で管理されていてZ 406の "O solitude, my sweetest choice" (1687)『おお孤独よ、我が甘き選択』とも訳されていました。英語版ですが下の楽曲一覧のZ406を探せば見つかります。
List of compositions by Henry Purcell - Wikipedia(参考サイト)
フランソワ
フランソワは子供の頃から自分は殺し屋だと知っていました。生と死の境界線をしっていて自分はその“渡し守”の役割を果たすことであると言っています。
彼の曲はシューベルトの『死と乙女』。ヘンデルと合うとエアはいいます。エアの発言、死、乙女これらが絡み合っていきます。
Death and the Maidenと書かれているのが死と乙女のことです。
String Quartet No. 14 (Schubert) - Wikipedia(参考サイト)
マルティーヌ
マルティーヌは子供の頃の彼女はいつも恋に憧れていました。旦那は余命が39年あり自分の余命が5年という差。しかし旦那は悲しむのではなく安心している様子だったのです。
彼女の曲はサーカスの音楽でした。そしてサーカスである動物に出会い本当の愛に触れます。
一応調べてみたらフチークの『剣士の入場(雷鳴と稲妻)』という曲に行きつきました。『剣闘士の入場』とありますが剣士の入場とも表記される場合があるみたいです。
剣闘士の入場 - Wikipedia(参考サイト)
ウィリー
彼は病気がちでした。母親に注射を打たれ続けます。7歳の時手術を受けます。母親が注射していた抗糖尿病薬により膵臓の機能がおかしなってしまったようです。そして余命を知ります。54日でした。
そしてメアがウィリーに出会ったのは死ぬ約1週間前のことです。そしてウィリーは男の子から女の子になることを望みます。
ウィリーの曲はC・トレネの『ラ・メール』でした。フランスの歌手シャルル・トレネが作詞作曲した1946年の曲だそうです。
ラ・メール (曲) - Wikipedia(参考サイト)
そしてウィリーは魚が海に還りたいと望むなら僕も海で死ぬと決意をしました。
最期の1週間
- 月曜日 ウィリーは両親の家具を全部売る、海で死ぬためにお金がかかる
- 火曜日 オーレリーに頼まれフランソワはもう誰も撃たない約束します
- 水曜日 マルティーヌは生き方を整理し旦那と別れます
- 木曜日 マルクとマルクの運命の人が結ばれます
- 金曜日 ウィリーとエアは曜日で呼ぶのではなく月で呼ぼうと決める1週間で7か月生きたことになるから
- 土曜日 ジャン=クロードは鳥に導かれるがままに北極圏に到達し運命の人に出会う
- 日曜日 みんなで海に着く
海にあるもの
みんな考えることは同じなようで海に広がる景色は最期を迎える人とそれを見送る人で溢れかえっていました。そこには生と死がたくさん存在していました。
世界を変える
6人の使徒が揃いJCの12人とあわせて18人になったとき母は今まで父がいて出来なかったことをします。
歌を歌い、掃除をするのです。その際に掃除機をかけるためパソコンのコンセントを抜きます。そして掃除が終わりコンセントを戻すとそこには再起動の画面がありました。母は思いのままに空を変え人々に幸せを与えていきます。そこに広がる世界はまさにファンタジーでした。
学んだことと書きたいこと
この映画から学んだことは何かを変えたいならとりあえず行動することです。それは変えるのに必要なことをこなしていくということ。
今やっている行動が正しいか正しくないかは誰にもわかりません。でも目的をもって信じてやりきるのです。結果的に何かを変えたのが他の誰かであってもそれは自分の行動によって辿り着いたものであるし目的はしっかり果たせているのだと。
あくまでも何かを変えるというのがこの映画では世界でした。そして世界を変えるためには常識からぶっとんだような考えが必要なのかもしれません。べつに特定の何かを批判しているわけではなく、ただ行動して、信じて、やりきると何かが変わっているというのを面白く表現してくれている映画だなと感じました。目的を果たす先に夢を叶えるがあると感じます。そしてそれは『フィールド・オブ・ドリームス』で学んだようにたしかに地上は天国なのかもしれません。あくまで一個人の解釈です。
最後に自分なりに6人の使徒に文字をあててみました。僕にはこんな風に捉えましたがみなさんはどうでしょうか。またいろんな音楽も学べたので是非聴いてみてください。
- オーレリー「哀」
- ジャン=クロード「偽」
- マルク「性」
- フランソワ「死」
- マルティーヌ「愛」
- ウィリー「生」
広告
予告編はこちら
天国の表現が近いと感じた映画があったのでその記事はこちら