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『大統領の執事の涙』のセシルから時代の流れを学ぶ【第1回】

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アメリカの時代の流れを学べる映画

この映画を観た経緯について

今回は大統領の執事の涙のセシルからアメリカの時代の流れを学びました。この映画は実話に着想を得た物語です。一部ネタバレがあるかもしれません。アメリカの映画です。まずこの映画を観るまでの経緯が少しあるのでお話しします。記事にはしていませんが以前『それでも夜は明ける』という映画を僕は観ました。これは1840年頃のアメリカの話です。 

 昨日『それでも夜は明ける』を見たのですがちょっと記事にするのが難しすぎてもうちょっと勉強しないとダメだとなりまして

最高の人生の見つけ方のカーターから学ぶ - ニートが好きだね?

 そしてつい先日『フィールド・オブ・ドリームス』という映画を観ました。その映画内で1960年代は激動時代だった、公民権運動などがアメリカでは起こっていたことを知りこの作品でアメリカの流れを知れるのではないかと思い今回観させていただきました。 

この辺はアメリカの歴史を勉強しておくとわかりやすいかもしれません。60年代のアメリカは公民権運動やベトナム戦争などが起こった時代です。

フィールド・オブ・ドリームスのレイから夢の叶え方を学ぶ - ニートが好きだね?

なので『それでも夜は明ける』『フィールド・オブ・ドリームス』この2つの映画を観てアメリカの歴史に興味が沸いて観たくなったという流れがあります。

基本的にはホワイトハウスで歴代大統領7人に執事として仕えたセシルの半生を描いた映画になります。

1920年代~セシルの少年時代

1926年のジョージア州メーコンでセシルは家族と共に綿花畑で働いていました。しかしある日雇い主に父を殺されます。それを見ていた雇い主の母からセシルは給仕見習いとして屋敷の中で働くことを許可します。この綿花畑のシーンを観て1840年頃の綿花畑で働いていた『それでも夜は明ける』のソロモンと80年以上も経っているのに何も変わっていない印象を受けました。ずっと農園の中で生きてきたセシルはいつか自分も父と同じように殺されてしまうと悟り外に出ることを決心します。そのときのセシルの気持ちのシーンです。

セシル「農園を出るのは怖かった 私は外の世界を知らない」

映画「大統領の執事の涙」より引用

仕事も食べ物も何も無いセシルにとって外の世界は残酷に感じたようです。そして法の不平等さを目にしながら空腹のあまりある屋敷に侵入します。そして母が廃人になり父は殺されたことを話し給仕ならできる仕事が欲しいと頼むのです。そこで世話をしてくれたメイナードから執事のスキルを学びます

そんな生活を過ごしていくうちにワシントンD.C.のホテルの支配人が執事を探している話が飛び込んできます。そしてメイナードは年齢を理由に断り代わりにセシルを推薦しておいたと伝えるのです。そしてメイナードから2つの顔を持つことを教わります。“本当の顔”と“演じる顔”です。出世するためには演じる顔が必要であると気づかせたのです。

1957年~ホテルでの執事からホワイトハウスへ

1957年にワシントンD.C.セシルはその仕事に就きます。少年時代のことから予想すると30後半~40歳くらいだと考えられます。そしてメイナードの教えを守りながらしっかり仕事をこなしていきます。そのおかげでセシルは想像もしていなかった生活を送れるようになりました。そして2人の息子を持ちます。

メイミー・ティルとエメット・ティル

そんな中家族の会話の中である話が出てきました。「メイミー・ティル」という息子を殺された女性の話です。これについては以下にリンク載せておきます。

エメット・ティル - Wikipedia(参考サイト)

このエメット・ティルという人物がこの映画に出てくるメイミーの息子のことを指していると思います。是非一度読んでみてください。そして1本の電話から大きく進展していきます。

ホテルで給仕したウォーナー氏が事務主任で電話の内容はホワイトハウスの執事として働ける人材を探しているというものでした。本来は給仕長であるファロウズが執事を選んでいたため不信感を抱いていたようですが培ってきた知識で無事に採用されます。そこでファロウズから“見ざる聞かざる”で給仕することを教わります。

リトルロックに軍を派遣

そしてセシルにとって初めての大統領への給仕は1957年アイゼンハワー政権下でのことでした。様々な戦争に関係する映画で軍人としての彼の名前は知っていました。大統領としては記事でも紹介した『キャロル』でも大統領の就任祝いという名前だけ登場したのでそのへんの時代という繋がりが出てきました。

そして大統領とセシルの会話で学校の話が上がります。そこで生徒の登校が妨害されて大統領は軍を派遣するにいたります。その大統領令のシーンで扱われていたのが以下の事件です。詳しい内容が知りたい方は是非読んでみてください。

リトルロック高校事件 - Wikipedia(参考サイト)

父と息子のすれ違い

この大統領令でセシルは大統領が動いてくれた現実を見ていました。しかし息子のルイスが見ていたのは違う現実でした。このすれ違いがわからないままルイスはアメリカ南部の大学へ進学します。

1960年~別々の道へ進むセシルとルイス

ナッシュビルでの座り込み

ルイスはフィスク大学で目的にしていたロウソン牧師のゼミに参加します。その規範にあるものはガンジーでその戦略をナッシュビルで実践するというものでした。おそらく内容からもこのことを指すと思われます。是非気になる方は読んでみてください。

ナッシュビル座り込み - Wikipedia(参考サイト)

衝突する父と息子、ばらばらになる家族

座り込み等の活動により刑務所に拘留されたルイスは父セシルと衝突します。革新的な運動を行いたいルイス、法を犯したことを責める父。一部会話を引用します。40分くらいのシーンです。

ルイス「革新的な運動なんだ」

セシル「刑務所に入るのが?誰が学費を出している?大学には?」

ルイス「僕は変革を・・・」

セシル「お前は法を犯した 刑務所に30日も入れられるんだ 殺されるぞ」

ルイス「好きな席にも座れない世の中って?」

映画「大統領の執事の涙」より引用

そして妻グロリアも家になかなか帰れない旦那にたいして徐々に不満が募っていきました。家族が徐々にばらばらになっていったのです。

1961年~ケネディ政権時代

フリーダム・ライド運動

ルイスは刑務所を出ても活動を続けていました。フリーダム・ライド運動という活動です。以下に記事があったので引用しておきます。

人種による座席の区別を公然と破ってみせました。彼らは自分たちを「フリーダム・ライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢をただしたのです。

フリーダム・ライダーズ 人種隔離バスへの抵抗 | Democracy Now!  より引用

このような活動のなかである団体との衝突によりルイスは死の恐怖を経験するのです。

演説と公民権法

一方セシルはケネディ大統領との会話の中でデモを見て考えが変わったことを知ります。そして1963年演説の中である法案について触れます。以下に載せておきます。詳しく知りたい方は是非読んでみてください。

1964年公民権法 - Wikipedia(参考サイト)

そして1963年にケネディ大統領は暗殺されました。

今日学んだこと

あまりにも長くなりすぎてしまうため今日はこのくらいにします。珍しく映画を2つに分けて記事にしますがそれだけたくさんのことが起きたのだと改めて書いてて思いました。またこの記事はあくまで自分自身の勉強のために書いてあります。どのようなことが起きて現在に繋がっているのかそういう意味でもこの映画はとても勉強になっています。明日は続きを書いて終わらせます(終わりませんでした)公民権運動を通してアメリカでなにが起きたのか自分なりに詳しく勉強していきたいとおもいます。

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大統領の執事の涙(字幕版)

予告編はこちら

www.youtube.com

 1960年代のアメリカの歴史に興味が沸いた映画の記事はこちら

www.slpneet.work

 冷戦下のイギリスで少女が大人になっていく映画はこちら 

www.slpneet.work

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