ニートが好きだね?

ニートが好きだね?

昨日と違うニートになる。頭はたくさん動かした。手の動くままにやってみるよ。

ニートが好きだね?

倫理と道徳

 

 随分と期間が空いてしまったようですが、ようやく書きたいことが見つかったので書いていきましょう。今日書いていくことは前半「倫理」と「道徳」の違いとは何だろうかという疑問に対しての自分が現状どう考えているのかであります。後半は実は「倫理」と「道徳」のせいで自分の行動を制限しすぎているのではないかというお話。

 少し時は遡りますが1月の末に山川出版社の教科書を買ってみました。

 その中で「倫理」の教科書を読みながら自分なりに勉強を楽しんでいました。すると、これまでこのブログで書いてきたことと同じようなことや、ヒントになるようなことがたくさん書かれていることに大変驚いたと同時に感動したわけです。

 そして今、僕が行き着いている疑問が「倫理」と「道徳」の違いとは何だろうかであります。それではのんびり進んでいきたいと思います。

 疑問に思った僕は、まず「倫理」と「道徳」のそれぞれの意味をネットで調べてみたわけです。それぞれ載せておきます。

 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」

倫理(りんり)の意味 - goo国語辞書 より引用

 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。

道徳(どうとく)の意味 - goo国語辞書 より引用

 意味を調べてみて僕が率直に感じたのは「倫理」の説明の中に「道徳」が出てきてるから同じものなのだろうかというものでした。たしかに、似たようなことが書かれています。どちらも人として守るべきもの、善悪の判断の基準になるものそんなところでしょうか。

 注目したのが“強制を伴う法律と異なり”の部分です。道徳においての僕の解釈は法律には書いていないけどさすがにこれやったら人としてまずいよねとかこれはいけるよねっていう自分の行為を分別しているものであります。

 そして倫理においては照らし合わせる規定みたいなものがあってもいいように感じます。また倫理は「守り行うべき」なのに対して道徳は「守り従わねばならない」となっていてここも少し異なるのかなと感じています。自分なりにどういう状況がそうなのか考えてみましょう。

 例えば、校則で制服が指定されているにも関わらず私服で学校に行ったとしたらまずいよねって感じるのが今の僕にとっての倫理です。僕の場合は制服が指定されているのに校則を破って私服を着て行くのは悪いことだと判断するからです。

 道徳に関しては、一緒に食事している人の皿にいきなり残飯を移したら法律を犯すわけでもないし、店や家ののルールで禁止されているわけでもないにも関わらず、人としてまずいかもしれないと僕は感じます。それが僕にとっての道徳です。

 まだまだ僕は未熟なので意見が異なる部分ももちろんあるとは思いますが今はそんな感じで捉えております。なんとなく直感ですが「倫理」は頭の中で基準と照らし合わせながら善悪を判断していて「道徳」は本能的にこれはさすがにまずいと判断してくれているように僕は思います。

 とりあえずここまで倫理と道徳について自分なりに考えてみました。この部品をどこに使うのでしょうか、寝ている時にまさかと感じたところがあったのです。以前僕が載せたドーナツ型社会のお話に繋がったのです。自分でもおさらいしながらもう一度簡単に書いておきます。

 

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 僕は社会は多数派と少数派の間に壁のようなものがありまるでドーナツの内側と外側で分断されているように感じていました。それを勝手にドーナツ型社会と呼んでいたわけです。

 社会のはみ出し者という言葉があるように内側にいれなかった僕は社会の一員であるという自覚に欠けていました。しかし考えを進めるにつれてそんな少数派も含めて社会の一員であるということを自覚したわけです。詳しくは過去の記事を読んでいただけると幸いです。

 そしてその多数派と少数派の壁の上にいるのが一部の天才と呼ばれる人だと僕は考えました。その壁を上る梯子の手段の一つに「倫理」と「道徳」が含まれるのではないかと思ったのです。ちょっと飛んでしまったかもしれないので順を追ってお話ししましょう。

 僕は人は集団で生きている以上、基本的に多数派と少数派に分かれていると思います。実際はもっと複雑なんでしょうけれど。また常に多数派の人もいれば少数派の人もいるだろうし、ある場合は多数派である場合は少数派と入り組んでいる人もたくさんいると思います。しかしどんな分野においてもその分野で輝いている人がいます。僕にとってそれが壁の上にいる人、天才なのです。

 どうしたらあの輝かしく見える場所に近づけるのか、そんなことを考えていると多くの人と違うことをしたら近づけるのではないかと思ったのです。しかしただみんなと違うことをしてもそれは少数派にしかなりません。その先に行くにはどうしたらいいのでしょうか。ちなみに今話していることは別に根拠があるわけではないので僕のただの戯言です。

 そこで出てきたのが「倫理」と「道徳」なのです。僕の仮説ではこの倫理と道徳を扱ってのバランスの取り方が異常に上手くなるとあの場所に行けるのではないかと考えています。前半部分で書いたように倫理と道徳によって人は自分の行動を制限しています。そして道を外れた行動をしないのは基本的に倫理と道徳で悪と判断したからです。

 しかし冷静に考えれば善と悪を判断する倫理と道徳をまともに習得していないのです。今まで判断してきた善や悪は本当にそうなのでしょうか。僕が言いたいのは全てが間違っていたとは思いません。ですが必要以上に制限をかけすぎて本来悪ではないことまで誤って悪と判断し行動を制限してきてしまった可能性があるのではないかと。

 よく様々な本で行動が大事と書かれています。その行動を妨げているものの中にアップデートされていない倫理、道徳が僕はあると今回思いました。たくさん動ける人が行動力があるように見えますがもしかしたらあれが本来の人の可能性を活かしきった姿であり、動けない人はただ制限をかけすぎてしまっているだけなのかもしれません。

 これ以上は長くなってしまいそうなのでそろそろまとめに入りましょう。

まとめ

 「倫理」と「道徳」はだいたい同じものとして扱われているけれど解釈によっては違うものとしても扱える。

 僕の中では「倫理」は頭の中で基準と照らし合わせながら善悪を判断していて「道徳」はこれは本能的にさすがにまずいと判断してくれているものという違いがあるがそれは人それぞれ。

 壁の上の天才に近づくためには「倫理」と「道徳」を習得することが一つの手段として考えられる。

 間違った「倫理」や「道徳」により善悪に囚われすぎて白黒二元論に陥ったり自分の行動を制限しすぎたりしてしまう可能性がある。アップデートすることにより動ける範囲が広がることが大きな前進に繋がる。

 それでは今日はこの辺で。またのんびり考え事しながら思ったことを書いていきます。

僕とあなたと期待

引きこもりニートの発見 

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

他人に期待しない

 今日はそんなことを僕なりに考えていきたいとおもいます。最終的にたどり着いたのは「他人に期待しない」のが難しいのは「自分に期待する」がよく分からないからであります。これは僕の頭の中の旅の記録のようなものです。のんびりお付き合いください。

 よく本や動画などでいろんな方の意見を聞いていますと「他人に期待しない」という言葉に行き着くことがあります。今回は知り合いの方にふとこのテーマに触れる機会を頂いたので僕なりに考え始めたのが始まりです。

 「他人に期待しない」と言われても頷きながらも実際は難しくてどうしていいかわからない、わかっているはずなのに行動できないとなることが僕は多いのです。初めて意識しはじめたのはアドラー心理学についての本『嫌われる勇気』で「課題の分離」に触れたあたりからでしょうか。長くなりましたがそれでは考えていきましょう。

他人に期待すると自分に期待する

 まず「他人に期待しない」がよく分からない僕は「他人に期待する」を考え始めたわけです。『うみねこのなく頃に』で「チェス盤をひっくり返す」という技術を学んだので使ってみます。

 「他人に期待する」とはどういった状態のことでしょうか。何かやりたいことや達成したいことがあったときにそれを他の人によって叶えようとする状態というのはどうでしょうか。

 例えば、「現状の〇〇に不満」と思っても「他人に期待する」という状態だと文句をいいながら「現状の〇〇に不満」を誰かが解決してくれると維持するわけです。 

 それでは「他人に期待する」の他人の部分が対になる「自分に期待する」はどうでしょうか。先ほどの例で考えてみることにします。

 「現状の〇〇に不満」と思うと「自分に期待する」という状態だと文句を言わずに「現状の〇〇に不満」を回避する策を自分で実行する。と言えるのではないかと考えたわけです。

 そしてある疑問が浮かびます。「他人に期待しない」と「自分に期待する」は果たして同じことと言えるのかということです。たしかに2回ひっくり返せば元に戻りそうなものですが、実際には期待の部分と他人の部分のように半分ずつひっくり返していて表から裏になっただけとも捉えられます。この錯覚の様なことを紐解くとすっきりした答えが出てくるのかなと感じたのであります。

他人に期待しないと自分に期待する

 そこで何故僕は「他人に期待しない」が頷けるのにもかからわず、実行が難しいと感じてしまうのかという問いにある仮説をたててみました。それが「他人に期待しない」と「自分に期待する」が同じものなのか違うものなのかそれともどちらでもないのか曖昧のまま生きてきた(即ち他人に期待しないを自分なりに理解できていない)からなのではないかというものです。「知行合一」に通ずるものがあるかもしれませんね。

 「他人に期待しない」と「自分に期待する」が結び付けられれば自然と文句を言わずに叶えたいことを実行するはずなのです。しかし現実は行動までなかなかいきません。なのでもう少し分解してみました。

 「期待」という単語を自分に使うのに何か違和感を覚えるのです。どうしても「期待」という単語には自分以外の他の対象や人がいてはじめて成り立つように感じる部分があります。なので僕の場合、自分を分解することでそれを解決しました。刻々と変化している自分を別のものだと考えれば「自分に期待する」という言葉は使えそうだなと思ったのです。

 不満に思った自分がいて行動する自分がいて目的を達成する自分を別々であると捉えることで「自分に期待する」というなんとも言えない違和感を解消します。

自分に期待しないという場所

 よくわからないところに流れ着いてきました。くわえてとても楽しくもなってきました。おそらく僕の場合より前に進むには「自分以外の他人に期待しない」と理解する必要があります。そして「自分以外の他人に期待しない」は「自分に期待しない」と「自分に期待する」のどちらの条件も満たしているということです。

 そして「他人に期待しない」がなんとなく理解できるのに動けないのは「自分に期待しない」というあまり表面からは見えない場所にいるからではないでしょうか。つまり僕は「他人には期待しない」は突破しているにも関わらず自分にも期待していないのです。

 そして「自分に期待しない」から抜け出せないのは「自分に期待する」がなんともいえない違和感を含んでいるからだと思います。それを解決するために「自分」を別々の自分として捉えて「過去の自分の経験や知識から現在の自分で行動して未来のありたい自分の状態に構えること」と解釈しました。

 つまり「他人に期待しない」と「自分に期待する」は違うものだったけど繋がっているもので間に「自分に期待しない」があるんだということです。少し着地点が見えたかもしれません。まとめていきましょう。

さいごに

 僕が行き着いたのは僕は「他人に期待しない」はできている。できていないのは「自分に期待する」に伴った行動である。

 行動できていないのは「他人に期待しない」が「自分以外の他人に期待しない」であるという自覚の欠如と途中にある「自分に期待しない」という場所にいる居場所の把握ができていなかったこと。

 つまり考えなければいけないのは「自分に期待しない」からどうしたら「自分に期待する」にたどり着けるか。そのために僕は自分を時間軸で分解して別々として捉えて「自分に期待する」の違和感を解消してみた。

 もちろんほかにもいろんな考え方があると思いますが、自分なりに着地できたのでとりあえず今日は終わろうと思います。毎回考えながらそのまま文章を書いているので矛盾や飛躍があるかと思いますが今はこんな感じであります。

 それでは今日はこのへんで。

僕と消費と生産と悟り

引きこもりニートの発見

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

僕と消費と生産

 まず、今日気づいたことを書いておきましょう。「消費と生産」という言葉を深く考えずに生きてまいりましたが「消費と生産」から大袈裟ではありますが「悟り」への片鱗が見られたことが今日の発見でございます。

 前回の記事で、「社会に出る」は僕にとって「社会の一員であることを認める」だったということに気づけました。今回はその続きの考えであります。それでは今日の話にいきましょう。

 「社会の一員であることを認める」ことに気づけた僕は、どうしたら自分は貢献することができるだろうかということを考え始めるようになったわけです。当然ながら、いきなりものすごい貢献ができる人は稀なわけです。そして、僕が所属している家族もまた社会の一部であるということからそこへの貢献が第一歩であると判断しました。

 具体的には、以前の記事で話した「生活的自立」にあたる部分になると考えています。それを身につけることで家族はその部分を委任することができるわけです。そうすると家族は時間を得られますから今までと違った変化が起こる可能性があります。

 これは前回の時点でもある程度考えられていた事なのですが、一つ大事なことを忘れていたのです。それは「消費」というものも社会に貢献してると言えるのではないかということです。ゆっくり考えていきます。

 これまでの話の流れから少し分かるように、僕の貢献という意識はかなり「生産」という部分に向いているように感じます。

 「社会の一員であることを認める」ことに気づいた時に、自分を支えてくれている親の給料がどこから来ているかを考えました。それはサービスや商品に対してお金を払ってくれる人が存在しているからであります。

 これはつまり「消費」してくれる人が存在するから誰かの「生産」が社会に貢献したと考えられないでしょうか。もう少し言うと、無職やニートやなかなか働けない方も「社会の一員である」と同時に「消費」という部分で社会に貢献していると考えることができると思ったわけです。

 ですが「消費」全振りというのはなかなかいい顔をされないのが実際のところだと思うのです。ただ、これは消費全振りに甘んじ利用する一部の考え方と道徳に対しての嫌悪感のように感じます。しかしそれは外から判別することは難しいため結果的に無職、ニート、働けない人は時に嫌悪の対象となるのではないかと今の時点では考えております。

 だらだらと書いてまいりましたが、結局「消費と生産」の自分なりのバランスをとることが僕にとっての社会への貢献なのです。またこう言うとあたかも常に消費何%生産何%という風に型にはめてしまいがちですが、僕は常に変動していいと思いますしそのほうが自然だと考えています。

 僕にとっての「消費と生産」をある程度話したところでこれを僕にとっての「悟り」と繋げていきましょう。

僕と悟り

 この「消費と生産」というものはどのように切り替わっているのか?そんな疑問を感じたのがはじまりであります。

 仕事している間が「生産」で買い物したり遊んだりしてるときが「消費」という曖昧な感じで考えていたのが反省しなければならない点だと思っています。どういうことかといいますと、この「消費と生産」は常に行ったり来たりしながら起こっているのではないかということです。

 例えば、午前の仕事で「生産」したとします、お昼の休憩に外でランチを食べたとしたらそれは「消費」だと思うのです。徐々に分解していくと人の一日というのは本人を含めたいろんな人の「消費と生産」が複雑に絡み合ってできあがっているのではないかということです。このように細かく区切れば行動するたびに個人単位でも社会単位でも物凄い勢いで「消費と生産」は行ったり来たりしているのではないかと感じました。

 これは僕の中であるものに通じていると感じたのです。「諸行無常」という言葉です。これは仏教の言葉だそうですが、学校で『平家物語』を学んだときに「諸行無常の響きあり」で初めて出会いました。

 常に生きている中で「消費と生産」を繰り返していることは諸行無常の説明にある「この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない」という説明に僕はただならぬ何かを感じたわけであります。

 また常に「消費と生産」を行ったり来たりすることでそれは誰かの「消費と生産」に繋がっておりこれもまた「縁起」というものに通ずるものがあるのではないかと感じたのであります。

白黒から色のある世界へ、答えは一つという思い込み

 ここから先はまだまとまっていないのですが、何となく繋がったことを書いていきます。僕にとって世界は白黒でした。

 どういうことかといいますと、インターネット上や人との会話のなかでどうしても人は白と黒という二つに分かれようとします。そして正義の名のもとに自分の意見を変えることは最初からない前提で言葉の武器を振りかざす日々になっていると感じるのです。

 ですが、徐々に「多様性」という言葉が目立ち始めたように色のある世界になってきたように僕は感じています。しかしこの色のある世界というのはまだ違和感があるのです。その違和感は何から来ているのか考えてみました。

 ひとつわかったことは、いまだに「答えが一つである」という思い込みに囚われている人が多いのではないかということです。色のある世界になったことによりたしかに今までに無かった選択肢というものが目立つようになりました。

 少数派と呼ばれる存在だったグループもインターネット上に意見を言える環境になってきてその存在も認知されてくるようになったと感じています。しかしそれは白と黒に新たな色の勢力が増えただけにすぎないと感じるわけです。これでは勢力が増えただけで不毛な争いはなくならない。

 これは結局誰が一番正しいのか一つの椅子を争っているからだと思うのです。誤解がないように言っておきますと、僕は争いを全部なくすべきだと申しているわけではありません。ですがあまりにも意味のない争いが多いように感じているのです。

 この世が諸行無常であるのならば、この世を作っている人も諸行無常であるということだと思いました。そしてその片鱗を「消費と生産」という絶えず行き来している状況からなんとなく感じたのです。

 ここが曖昧な部分であるのですが、もしそうだとするのならば、人の感情というのも実は常に複数の感情が同時に湧き起ったり変動していると思ったのです。(違和感やまとまっていないと感じたのは論理の飛躍みたいなものを感じているからであります)

 誰かの行動や言葉に対して「怒った」とか「嬉しかった」とか僕は一つの感情をあてはめていましたが、実際は複数の感情が複雑に絡み合っている様に思います。そしてその感情すらも一瞬一瞬のうちに形を変えていると思うわけです。

 だとしたらなおさら一つの解決策でどうして決着がつけれましょうか。そんなに世界は単純なのでしょうか。だから僕は答えは一つとは限らないことを常に心に持つことを決めたのであります。もちろん一つの場合もあるでしょうが一つとは限らないということでございます。

 それでは今日はこのへんでまとめることにしましょう。

さいごに

 「社会の一員であることを認める」ことから「消費と生産」について考えました。「生産」に意識が向きすぎていましたが「消費」も社会への貢献であると言えるのです。大事なのは自分なりの「消費と生産」のバランスを形成することであります。

 そして僕は生きていくうえで「消費と生産」を行き来することにより「諸行無常」と「縁起」に繋がるものがあるのではないかと感じました。

 そして人間の感情も含めて常に同じものはないとするのであれば一つの解決策で決着をつける一部の不毛な争いは答えは一つとは限らないということを気づくことによって回避できるはずだと思ったのです。

 この記事に載せている解釈はあくまで筆者個人のものであり誰かの考えを強制するものではありません。ご理解よろしくお願いします。

 それでは今日はこのへんで。

  ここに繋がるまでの日記は以下に載せておきます。

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社会に出ていないという錯覚と僕も含めて社会という現実

引きこもりニートの発見

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

僕と幻とドーナツ型社会

 先に、今日気づいたことを書いておきましょう。「社会に出る」という言葉を、僕は間違って認識していたようです。僕が気づいた正しい解釈は「社会の一員であることを認める」であります。

 僕にとってここ数日の考えが徐々に進んでいくのが嬉しいと思うと同時に、言葉ではうまく表せない様な感情もわいています。とにかく今日の話へ進みましょう。

 既に消去してしまった記事かもしれませんが、以前の記事に書いた僕の頭の中で展開されていた社会の構図がドーナツ型でありました。どういうことかと言いますと、ドーナツの内側に社会に参加している人達がいて、外側に僕の様な引きこもりニートや社会に参加していない人達がいて、間のドーナツの表面に天才や権力者と呼ばれる人たちが立っています。これが僕のイメージしていた社会の図なのです。

 そのように考えていたわけですから、内側にいる人達のようには生きていけないなと考えながらも、天才や権力者になれるほどの努力をしているわけでもなく、外側の人としてひっそりと生きていくことを正当化する理由を探しているわけであります。

 

 これは幻です。

 

 なぜそういう考えに行き着いたのか、それはおおもとを辿っていくとみえてきたのです。

 例えばここ数日僕は「親の経済的支援」があるから今の環境が維持できていると言ってきたわけです。これは間違っていないと思います。ではこの「親の経済的支援」というものが何処から発生しているのかということを考えることがすべてのはじまりなのではないかと思うのです。

 もう少し具体的に考えてみます。僕は親の経済的支援によって生きているのであれば、そのお金は基本的に親の給料というものによって成り立っています。その親の給料を成り立たせるためには、会社や個人で仕事をして物を売ったりサービスを提供することでそれを必要とする人がお金を払ってくれて人件費が払えるから成り立つわけです。仕事をしたことがないのでなかなかうまく説明ができませんが。食べ物も服も今目の前にある様々な物や目に見えない物も誰かによって作られたものがたくさんあります。

 これは不労所得でも同じことが言えると思います。たとえその人自身が人と関わらずに生きていくお金が手に入れられる環境にあったとしても、たどっていけば必ず人に遭遇します。

 つまり、例え自分が社会に参加していないと思っていても、その生活を維持するための様々なことが社会によって成り立っていることを理解すると引きこもりでもニートでも社会の一員であるということが認識できます。

 では、どうして僕は気づかないうちに社会に出ていないと勘違いしてしまったのでしょうか。反省し改めたいと思います。

 もちろん、広い視野でものごとを考えなかった愚か者と言えば一言で済みますがそれだけではないと思うのです。僕の中で心当たりがあるのは「社会に出る」「社会人」という言葉の罠に引っかかってしまったと考えています。

 ここまで書いてなおさらに思うわけですが、正確な定義は分からないにしても、学生も赤ん坊も仕事を退職した人たちも全て社会を構成している一員であるということです。もちろん先ほども述べた通り引きこもりやニートもそれに含まれるわけです。

 学生が終わると「社会に出る」「社会人」になるという認識から「働く人」=「社会人」という誤った解釈をしました。もう少し考えてみます。

 おおもとを辿ることを人間単位で考えてみました。僕の親は社会の恩恵を受けて生きてきて、僕の祖父母も社会の恩恵を受けて生きてきて、そう遡っていくと社会がなければ僕は生まれていないことになります。

 『サピエンス全史』に書かれているような時代でも、人数は少ないながらも集団で生活していたわけです。それがどんどん拡大して、今の時代はこういう風になっているわけですが、社会の一員であることを認めない場合どうなるかと考えると、僕は生まれてこなかったという結論になります。

 ただ、社会の存在自体を認めないところにいってしまうと、それは誰かによって作られた服は飛んでいき全裸になり、誰かによって建造された家は崩れ去り、誰かによって作られたスマホやパソコンは闇の中へ消えた状態で放り出されることになるなと思うわけです。なぜなら社会の恩恵が受けれなくなるからです。 

貢献

 つまり、自分が社会に出ることを延期している状態にあると錯覚していましたが、生まれながらにして社会の一員であるということです。

 そうすると数日書いていた「社会に出ることを先延ばしにする」と「死を先延ばしにする」労働を共通に見えてしまった自分の未熟さが、マズローの欲求階層で遊ばなくても説明できるわけです。

 「社会に出ることを先延ばしにする」という条件が崩れて「社会の一員であることを認める」に変わるので比べようがありません。そして突きつけられる現実というのは社会への貢献であります。

 僕は、これを数値化して競い合うことに、今の時点ではものすごく違和感があります。今の僕にとって、この社会への貢献度の表面部分を数値化したものというのがいわゆる「給料」「年収」と呼ばれるようなものだと感じているからです。

 これによりなにかのゲームの火力争いを彷彿させるかのように数値に囚われて給料や年収の高低で争いが始まります。この土俵に参戦しようとすると僕のような親の経済的支援により維持している引きこもりニートというのは戦闘力がマイナスな訳でありますから撤退したいという気持ちが全くないといえばうそになります。

 しかしながら『論語と算盤』や老荘思想でも少し触れたように、あくまで僕が目指すべきは自分にできる貢献をできているかにあります。これを理解しないことには引きこもりニートや障害がある方ややむを得ない理由によって働くことができない人は絶望して終わることになります。

 ですがそれはあくまで数値上の争いのレールの上に乗せられることによって生じる問題で、これを吹き飛ばすために自分のできる貢献を社会にできているかを軸にすることが求められるわけです。

 そうなると今の僕は社会に貢献できているでしょうか。もしかしたらこのブログで書いてあることが幾人かに何かしらの役に立っているかもしれませんが、今はその位の貢献度ということです。子供が笑い、それを見て親も笑顔で仕事に出かけて、その笑顔によってお客も笑顔になったとしたら子供も貢献しているということになります。

 では引きこもりニートも既に何かに貢献できているのなら今のままでいいのかといったら違うわけです。ここで繋がるのが自分を磨くということです。自分を磨くということは「なりたい自分」を目指すとともにさきほど言った貢献度も成長させていくことだと理解しました。そしてこれに必要なことが「勉強」と「行動」なのです。なぜなら勉強したことを実際に行動して活用しないことには貢献度があがらないからです。

 いろんなことが自分なりに繋がってきました。なんとなく生きてきて大抵そこらへんに転がっているのは答えばかりで、そこへたどり着く自分の考えを見つけるのに苦労しました。

さいごに

 今日もだらだらと書いてきましたがまとめて終わりましょう。どこかで聞いたような言葉ですが、これは僕にとって大きな一歩です。

 引きこもりでもニートでも自分が社会に参加していない、できていないと思ってしまっていても、様々なことの元をたどっていくとちゃんと社会の一員であることが家にいながらも確認できるはずです。

 僕がいま書いているこのブログのサービスも、文字を打ち込んでいる端末も誰かによってつくられたもので、その誰かもいろんな人によってそこに辿りついているからです。

 「社会の一員であるということを認める」ことが世間で言われるところの「社会に出る」にあたるんだと僕は考えています。あとは貢献度を自分なりに成長させていくのです。

 貢献度の大小や数値上の争いを吹き飛ばすには自分の能力を理解しそれが誰の役に立っているとちゃんと理解すること。便利な世界になったがゆえに人との繋がりを忘れていました。

 今日はこんなところで。

続・僕と自立と引きこもり

引きこもりニートの言い訳 

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

僕と自己実現理論

 進化心理学という言葉が僕の耳を通り過ぎて行きました。マズローが古いと言われても僕はまだ出会ってすらいないのです。「そう焦らず待ってくださいな」と言っても返事が返ってくるわけではありません。人間は自己実現に向かって成長していくのか、5段階なんだそんな状態で僕の頭は考えることを始めました。

 そこでふと思うのです。そういえば僕がこうやって考えられるのは親の経済的支援があるからでそれをこのピラミッドから説明できないだろうかと。つまり何が言いたいかというと生理的欲求と安全の欲求は既に突破しているではないかと考えたのです。

 生理的欲求にはどうやら人間の三大欲求が含まれているようです。「食欲」「睡眠欲」「性欲」というのは衣食住の食と住があれば満たせそうです。安全の欲求というのは今いる日本という国で考えれば住があれば満たせそうです。

  つまり前回の記事で述べた親からの経済的支援を受けている状態にある僕にとってはこの生理的欲求と安全の欲求は最初から考える必要がないと判断してしまったわけです。それがとても恵まれている環境であったということは『この世界の片隅に』というアニメ映画のほうを観て食材の配給減っていったりお米を少しでも膨らませようとしているシーンで感じたのです。

  そして社会的欲求と愛の欲求とされているところが僕はインターネットの存在によって満たすことが可能になったのではないかと妄想しています。オンラインゲームやSNSでの交流が僕にとってはこの階層になるわけです。とりあえず順番に考えているもののこれは順不同なのでしょうか、僕にはわかりません。次の階層へ向かいます。

 承認の欲求にたどり着きました。このあたりから他者との違いを求めるようになるということでしょうか。集団から必要とされたい自分。つまり「特別な自分」になりたい「みんなと同じは嫌だ」そういうことでしょうか。

 そして自己実現と自己超越に続くのでしょうが僕にはまだ早そうです。いろんな生き方があるでしょうから当然どこかの階層をすっ飛ばせる生き方もあるでしょう。

 僕が考えたのは日本という国で生まれ、親がいて経済的支援をしてくれて、生まれたときからインターネットがある僕のような状態に似ている環境であればピラミッドの開始地点が承認の欲求からの人が実は結構いるのではないかということです。

 承認の欲求または自己実現の欲求で初めて悩んでいる状態の人と生理的欲求と安全の欲求を経験したことがある状態で悩んでいる人で意見がぶつかるのは何となく想像できます。それが昨日書いた「働いていないからそんなこと言えるのだ」に繋がると感じます。

 ここを理解できると「生きるために働いて死を先延ばしにする」と「社会にでることを先延ばしにする」が同じに見えてしまう自分の未熟さを多少克服できるような気がしています。欲求の階層が違うわけですからマンションの別の階に同じ家族構成の人が住んでいるようなものだと考えたら別に見えてくるわけです。

 また人によって欲求に対しての満足度も異なるだろうと感じますし階層になるほど単純な問題なのか少し疑問に感じました。もう少し詳しく言いますと、小食な人も居ればたくさん食べる人もいて、大きい部屋を好む人もいれば小さい部屋を好む人もいます。安全といえども鍵を何重にもかけなければ眠れない人も居れば扉や窓を開けながら寝れる人もいるでしょう。ただこれは脱線しそうなのでいつかの機会に。

 話をだいぶ戻しますと僕のような状態の人間は生理的欲求と安全の欲求のやりくりをした経験がないですから親を失ったり経済的支援が断たれて初めて気づくという危険を孕んでいることになります。これが「50・80問題」と繋がるのかはわかりませんが生理的欲求と安全の欲求のやりくりを親が生きてるうちにするのはとても大事だと思いました。

僕とあなたとアイデンティティ

 前回書いた記事でとても鋭いコメントを頂きました。たしかにアイデンティティは人生を通していろいろな経験をしていく中で徐々に形成されていって最終的に確立までたどり着く人もいるでのはないかと僕も想像しています。そしてそれは人によって当然時期が異なるわけでそうなると比較するのはどうなんだろうかというのもうなずけます。

 僕の表現力不足に知識不足も重なって前回の記事のあの部分には自分でも違和感を感じるところがあるわけです。なのであれからもう一度考えてみました。

 反省点としてはいきなり確立という言葉を使ったのが誤りではないかと思いました。確固としたものという確立された状態になるまでに段階があるでしょうし、人生の最期までそれを求め続ける可能性だってありますし、確立されたと思っている人がいてもそれは実は確立されていなかったなんてことも起こりうるわけです。

 なんともふわふわとした意見になってしまいますがでもそういうものなんだという域を抜け出せないでいます。また比較の際にあの例をあげたのはたしかに違和感があるなと僕も思いました。ただ「他者」というものが引っかかっているのは今も感じています。

 僕の現時点でのアイデンティティの確立までに必要だと考えているのが「なりたい自分」と「他者から求められている自分」の2つをしっかり自分が理解して無意識に使い分けれる状態になることなのです。僕の中でそういう解釈をしている状態にあります。

 そうしたときに「なりたい自分」というのは僕が考えればいいだけの話なのでそれで解決するわけです。問題は「他者から求められている自分」を考えるときにあります。ここで「他者」という存在が出てくるので自分だけの世界で考えられなくなります。

 そこで僕はあの人はこのポジションの人、その人はそのポジションの人といったように消去法のような形で僕に求められているのはこれかなと考えたのです。

 何が起きているかというと「Aさんにとってのなりたい自分」と「他者から求められている自分」が被ったら問題が起きるのではないかということです。ここに比較が絡んできそうだなと感じているわけであります。頭がこんがらがってしまいそうになりますが許してください。

 ただこれには怪しいところがもちろんあります。別に同じ役割の人がいても問題がないと言われればそれで終わりそうだということと、課題の分離のようなことがこれにも使えるのであればそもそも他者から求められている自分は自分ではどうしようもないということです。課題の分離を使うと僕が考えているアイデンティティの確立には矛盾が生じます。そんなことをぐるぐる頭で考えているわけです。

僕と哲学と宗教

 どうにかヒントとなるようなことはないかと無知な者なりに本を漁ってみたり調べものをしてみたりするわけです。そうすると哲学や倫理やそういったところによく流れ着きます。そもそも思想と哲学と倫理学と宗教の違いがあんまりよく分からないのです。このようなことはみんな学校で習っているのでしょうか。

 ただ何となく哲学と宗教に関して思うことがあります。今の僕にとっての哲学は生きている間にどうしたらもっと幸せになるのかなということを考えることで宗教はそれに死後の世界というものが追加されたような違いがあります。あくまで今の僕にとっての解釈なのでご容赦ください。 

 そして本などを読むと不完全な自分の考えが勝手に補足されあたかも自分もそう思っていたかのように錯覚してしまうのも自分の未熟さだなと思いながら実際に活用しないとただ知識だけを覚えた人になってしまうと分かりながらも難しいのです。

 そんなことを考えていると、ソクラテスや陽明学のように知行合一と連れていかれ心をぐさぐさと刺されていくのもよくみる情景になりつつあります。だらだらと書いてきましたが今日はこのへんにしましょう。

さいごに

 自己実現理論から引きこもりニートを考えてみると少し面白いなという自己満足な遊びでした。ほとんど言っていることは前回と変わりません。

 アイデンティティに関しては前回の記事でコメントをいただき考え直して改めました。意見を修正したことで前に進めたと感じています。ありがとうございました。

 哲学と宗教に関しては勉強したことを文章にして自分なりに落とし込んでいる状態です。実際に活用するところまでなかなかスムーズにいかない自分への戒め的な部分でもあります。

  

 

僕と自立と引きこもり

引きこもりニートの言い訳 

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

 進展した理由は3つあります。それは読書を始めたこと、学ぶ理由を見つけられたこと、カウンセリングを受けたことです。これら3つは僕の中では連動しているのですがそれについては後で書こうと思います。

根底にある働きたくない欲求

 引きこもる理由は家庭によってそれぞれ異なると思いますが、そもそも引きこもることができるのは何かしらから経済的な支援があるからと考えました。親のお金、生活保護、障害年金、不労所得等。僕の場合は親のお金というものに割り振られます。

 さらに、ニートという状態が維持できるのも厳密にはあてはまらない部分もありますが経済的支援が背景にあるからだと個人的には思っています。

 そんなことを考えている時に1冊の本に出会ったのです。『嫌われる勇気』というアドラー心理学を解説してくださっている本ですが「目的論」と「原因論」の存在を知りました。そこから「働きたくないから引きこもった、ニートになった」という全く知らなかった考え方に行き着くのです。

活動と仕事と労働

 僕の場合そんなことが考えられるのはあくまで親の経済的支援があるからできたことなのです。情けないことにそれがどれだけ恵まれた環境であったことか気づくのに8年もの時間が僕には必要でした。

 「なぜ働いているの?」と働いている人に聞いたことがあります。すると返ってくる答えは「生きるため」「家族を食わすため」でした。もちろん楽しいから働いている人や目標のために働いている人など僕の想像する以上にたくさんの理由で働いている人がいるのは分かります。ですが最初に返ってきた「生きるため」「食べるため」という存在が僕には大きな障壁になったのです。

 ハンナ・アーレントは人間の生活を「観照的生活」と「活動的生活」に分け、その「活動的生活」を「活動」「仕事」「労働」の3つに分けました。「生きるため」「食べるため」というのは僕には「労働」の部分にあたると思ったのです。

人はいつか死ぬ

 人はいつか死んでしまうのに「生きるため」に働くというのが僕にはどうしても分かりませんでした。しかしこれは経済的支援を親から受けているものが口にすることは「働いていないからそんなことが言えるのだ」と繋がるのは当然です。もちろん生きがいや目標があって働いている人は理解できますし「労働」も含めて働いている人は凄いなと尊敬もしています。僕はいまだに出来ないからです。

家に引きこもるか社会に引きこもるか

 夏目漱石の『こころ』の漫画版を目にしたときに「モラトリアム」という言葉を目にしてそこからエリクソンの「心理社会的モラトリアム」にたどりつきました。またRaphaelというバンドの『ピーターパン症候群』という曲を思い出しました。

 つまり自立できないまま大人という年齢になり「社会に出ることを先延ばしにする」モラトリアム人間な僕と「死を先延ばしにする」労働という存在が僕には共通して見えてしまったのです。

 本当は働きたくないけど仕方なく労働せざるを得ない人にとっては納得のいかなかったり環境がよくなくても辞めるわけにもいかず社会の一部のエリアで身動きがとれなくなっているのではないかと僕は感じてしまうのです。こうしたい、ああしたいという願いはあっても社会という大きな家の住みづらい部屋から住みやすい部屋へ移動したくてもできない図が引きこもっている状態と似ているように見えてしまうのです。

働いている人と僕の違い

 もちろん違う点もあります。僕の場合は引きこもりがちなニートであるため交流する人材の選択肢が広いとは言えませんが人と関わるかどうかという部分をある程度自分でコントロールすることができます。

 働いている人は人と関わらざるを得ない状況に引きこもりニートよりは遭遇する可能性が高いはずです。それは本人の意思とは関係なく「何かの役に立っている」ということを引き起こしている可能性が引きこもりニートより高いということです。

歪んだ考え方と青年期におけるアイデンティティの確立

 もしここまで読んだ方がいるならこのように感じるでしょう。「こいつ歪んでるな」と。僕もそう思います。本来であれば高校生くらいでこのような問題に自分なりの意見や考えを持ったはずです。ですが僕は青年期におけるアイデンティティの確立に失敗しました。失敗したら修正すれば良いだけなのですが当時の僕は投げ出したのです。

 ただ人生一度しかないわけです。他の方と比較すれば当然その年齢になってもアイデンティティが確立できていないの?となります。これに関しては今になって思えば自分というものをしっかり持っておくべきだったなと反省しています。なのでだいぶ遅いですがアイデンティティを確立させるぞとなりました。そこで孔子と老子に出会ったのです。

天才か名もなき天才か

 僕の様な無知の者が孔子や老子、様々な哲学者を語るのは数百年早いことは承知していますがそれでも惹かれてしまった、心動かされてしまったのだから今の自分にとってはこう解釈しているというものであります。

 そもそも僕が孔子の『論語』に流れ着いたのは直接ではないのです。渋沢栄一の『論語と算盤』という本から流れ着きました。この記事に挙げられている人物や本の名前は多くの人にとっては知っていて当たり前のような人々や本かもしれませんが恥ずかしながら名前しかしらない、良く分からない状態のまま生きてまいりました。

 渋沢栄一については福沢諭吉の次に1万円に描かれる人、大河ドラマ『麒麟が来る』の明智光秀の次に大河ドラマになる人という認識です。とりあえず『論語と算盤』と福沢諭吉の『学問のすゝめ』を読んでこの二人は外国から何かを持ってきたという部分が共通しているなと思ったのです。そして渋沢栄一が『論語』をとても推していて論語ってすごいんだなと何となく思っていました。

 でもある違和感を感じたのです。これはリーダーだったり天才が目指すべき道ではないかと。自分の能力に見合ったことをやるというのが僕の「蟹穴主義」の解釈であって、僕の今の頭は並みより少し足りないくらい。たくさん勉強しても限界値は並みに毛が生えた程度か万に一つ秀才に足を突っ込む程度だろうと。

 つまり能力が足りないのにこの生き方を真似ても僕はこんな上手くいかないだろうし実際みんな上手くいくなら世の中には愚痴や不満という言葉は生まれていないのだろうと感じたのです。また多くの人が自分の能力を過信しすぎて天才の真似をするから上手くいかないのではないだろうかという仮説を立てました。でも天才達にとっては多分本当のことが書いているのであろうと。

 では孔子の考え方の他にどんな考え方があるのだろうかとうろうろしていたときに老子・荘子にたどり着いたのです。これは僕にとってとても衝撃的でした。老子や荘子も解釈は人によって違うのでしょうけど自分の能力に見合ったことをやるという点は共通しているように感じました。もちろん全てが納得できる内容ではないですし自然とか宇宙とかいきなり言われても目が点になりましたがそれでも心に刺さるところが多いのです。

老子・荘子からエピクロスへ

 自分らしく生きたいと願う僕にとって「こう生きたい自分」というものがもやもやと霧がかかったような状態であってその霧を大半をとっぱらってくれたような感じでした。もちろん全てが取り払われたわけではありません。あくまでどう生きたいか決めるのは自分ですから。ですが参考にできるモデルが居ただけでも僕はとても嬉しかったのです。

 「快楽主義」と名前だけ見たら誤解されそうなエピクロスもギリシア文化とオリエント文化が合体してヘレニズムになったのであれば大きく動いた時代に求められて生まれた考え方なんだろうなと妄想し、それがどんどん時代が変わっていく現代の僕にとって染みる部分がありました。労働のところで述べた自分にとっての「死」の考え方がこう捉えてみたらという選択肢が与えられてあぁたしかにそうするとしっくりくるなと。心の鎖が1個ずつ解かれていくような気持になっていくのです。

 老子や荘子やエピクロスの様な存在は名前が残っているものの1歩間違えたら世捨て人と誤解されそうな部分があると感じました。ですが社会からみたら「んん」と思われても自分のできる範囲で貢献したいなという気持ちを与えてくれたのです。

働く=労働と誤解してしまったと国民の三大義務

 僕は労働が納得できないだけで働くことまで認めない必要はなかったわけです。何が正しいとか正しくないではなく僕はそう感じたのでそうやって生きていきます。自分の無知さを反省し自分に出来る範囲で貢献すればいいんだと。

 また国民の三大義務を考えたときに「勤労」と「納税」がありますが、別に勤労したお金で納税しなさいとはなかったので親のお金でも払わなければいけない税金はしっかり納税して、やりたいことやるのはそれはそれで生き方としてありなんだなと感じました。     

自立と依存について

 自立も人によって考え方は異なると思うのですが、僕にとって自立の対義語は依存という認識です。つまり何かに依存している状態を断ち切れた時が自立した状態だと考えています。現在の僕の状況では親のお金という部分に依存しているところがあるのでこれは僕にとって自立していない状態ということになります。

 自立というものは分解できないのでしょうか?僕が不思議に思ったことは働くことはできるけれど家事や支払いの手続きができない人も案外いるのではないかと考えたのです。仮に居たとしてもし自分で生きていくのであればお金を稼ぐ能力のほかに家事をこなせる能力や役所などの手続きをこなせる能力が求められるわけです。

 つまり働かないからといって家事やさまざまな手続きまで人に任せるのは別問題だと僕は感じました。そして僕はこれを勝手に「生活的自立」と名付けています。もしかしたらどこかの偉い人がもうわかりやすく説明してくれてるかもしれないですが僕はまだ見かけていないので。

 ちなみに僕にとってお金を稼いでくることは「社会的自立」だと今は思っています。この「生活的自立」「社会的自立」の両方が出来て僕の中では自立なのです。ですが結婚や同棲等のシステムを使うことによってどちらか役割分担したり個人の負担を減らしている人もたくさんいると感じました。  

 なので僕はまず「生活的自立」は親が生きている間に絶対習得しようと行動を始めました。小学生レベルなわけですがいつかしっかり自立するためには笑われたってやるしかありません。料理、洗濯、ゴミ出し、掃除、銀行や役所の手続きそういったことを学ぶのです。これができることによって自立の半分が片付くわけですから親の心配は半分にできるはずです。

 結論

 僕の場合はさっさとアイデンティティを確立させる。確立させる際に「なりたい自分」と「他の者から求められる自分」のバランスを考える必要がある。その最適解は知らないが時代によってどの配分がウケる、ウケないは勉強すれば分かる。つまり固定させないで状況に応じてスライドさせる。

 働かないからといって家事や必要な手続きも他に任せるのはなんか違う。だから僕はそれは自分でやる。全力が使えるものを全て使うことなのであれば親のすねをかじるのは生存戦略の1つとも言えるし本人の自由。労働が嫌いなら仕事、活動という選択肢が残っている。選択肢の幅が自由度に繋がるのであれば自由になりたい人ほど勉強して選択肢を増やせばいい。

 学びたいから本を読み始めたし、外に出れるようになった。カウンセリングやブログを始めてからインプットしたことをアウトプットする機会ができた。全ては「こうありたい自分」にもっと近づくため。

 

『アンデルセン物語』からハンス・クリスチャン・アンデルセンについて少し学ぶ

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ハンス・クリスチャン・アンデルセンについて少し知れる映画

『アンデルセン物語』からハンス・クリスチャン・アンデルセンについて少し学びました。この記事では1952年公開のアメリカ映画の『アンデルセン物語』を扱います。この記事は※ネタバレがあります注意してください。

基本的には童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンについて彼の作品をちりばめながら描かれている物語です。実際のアンデルセンの経歴からはいじられていたり簡略化されたりしているみたいなのであくまで参考程度に観ました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンについて

まずはこの映画の主人公のアンデルセン氏について調べてみます。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(丁: Hans Christian Andersen、デンマーク語発音: [ˈhanˀs ˈkʁæsd̥jan ˈɑnɐsn̩](ハンス・クレステャン・アナスン)[1]、1805年4月2日 - 1875年8月4日)は、デンマークの代表的な童話作家、詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersen(デンマーク語読みで "ホー・セー・アナスン" [hɔse ˈɑnɐsn̩])と呼ばれる。 アンデルセンの童話は子供から大人まで人気が高く、現在も国際的に愛されている。

代表作は「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」など。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン - Wikipediaより引用

デンマークの代表的な童話作家、詩人です。名前は知っていましたが正直どこの国の方か知らなかったです。また代表作も題名を言われれば聞いたことあるものの内容をあまり覚えていなかったり、この作品この人が書いたんだレベルの理解度でこの映画を観ています。それでは映画の話にいきます。

映画『アンデルセン物語』と比較

作品数について

映画では「裸の王様」や「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「親指姫」等が主に扱われていましたが実際にはとんでもない数の作品を残している様です。調べてみるとデンマークの翻訳会社のサイトで公開されていました。

翻訳された彼の作品は3381作品あるそうです。あくまで映画ではほんとに数作品が取り扱われただけにすぎないようです。

De 10 mest oversatte danske forfattere

出典:De 10 mest oversatte danske forfattere

靴職人と貧困について

映画ではアンデルセンは靴職人として描かれていますが実際は父親が靴職人だったようです。また映画ではアンデルセンが大人になってから話が始まっており孤児院からピーターという青年を引き取って靴職人として技術を数年教えたことになっていました。

1805年4月2日、フュン島の都市オーデンセで、22歳の病気の靴屋の父と数歳年上の母親の家で生まれる。彼の家は貧しく一つの部屋で全員が眠った。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン - Wikipediaより引用

アンデルセンについて調べるといろんなサイトで貧困だったと扱われていますが映画ではそこまで貧困をイメージしたり苦しんでいるような描写はありませんでした。以下のサイトにとてもわかりやすく書かれていました。

「みにくいあひるの子」を生んだアンデルセンの貧困生活 | P+D MAGAZINE(参考サイト)

コペンハーゲンと夢

映画ではピーターの配慮でコペンハーゲンへ向かうことになったわけですが行ったことないから行ってみたいという理由でした。ですが実際は1819年の14歳~15歳で舞台役者、俳優になるために向かったことになっています。

デンマークの作家。オーゼンセの靴職人の子に生まれ,1819年俳優を志してコペンハーゲンに出たが,やがて文学を目ざす。1835年イタリア旅行の印象に基づく小説《即興詩人》によって広く文名をはせ,同年最初の童話集を発表した。

アンデルセンとは - コトバンクより引用

そして映画ではオランダ皇室バレエ団に靴職人として雇われるのですが調べてみるとデンマークの王立劇場に入ったことになっています。

en.wikipedia.org

恋愛

映画ではそのバレエ団の女性に恋をし敗れる姿が描かれていますがここは割と近いみたいです。WIkiにはアンデルセンの恋愛についての記述がありました。

In Andersen's early life, his private journal records his refusal to have sexual relations.[23][24]

Andersen often fell in love with unattainable women, and many of his stories are interpreted as references.

Hans Christian Andersen - Wikipediaより引用

 色んな理由からなかなか恋愛はうまくいかず生涯独身だったようです。

www.theguardian.com

学んだことと書きたいこと

まず、ハンス・クリスチャン・アンデルセンについて調べていくほどこの映画の物語はあくまで映画用のものというのが理解できました。

そして映画では描かれていない貧困時代、母親へのマザーコンプレックスのような側面についてや童話がどういう流れで作られていったのかは学べませんでした。

この映画ではあくまでアンデルセンと童話の存在、こんな作品がありますというのが分かりました。興味を持つきっかけや物語としてはとても優しく描かれていて心温まる映画でした。踏み込んで調べるにはおすすめできません。

僕はバレエはまったく分かりませんが想像以上にバレエのシーンが多かったです。

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アンデルセン物語(字幕版)

 

予告編はこちら

www.youtube.com

『猫の島』の田代島から限界集落を学ぶ

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限界集落について知れるドキュメンタリー

『猫の島』の田代島から限界集落について学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。基本的には猫で有名な宮城県石巻市の田代島についてのドキュメンタリーです。猫で癒される映像というわけではなく島全体の話です。また東日本大震災の話も含まれます。

田代島について

まずは田代島について調べてみます。石巻市の公式ページを見てみました。

旧北上川河口から東南約17キロメートルに位置する田代島は、コバルトブルーの海に囲まれ、風光明媚な自然を満喫できる島です。
 マンガを活用した島おこしとして、キャンプなどが楽しめる「マンガアイランド」が整備されています。
 また、島では大漁の守り神として猫をとても大切にしており、猫を祀った「猫神様(猫神社)」が島の中央にあります。

田代島の紹介 - 石巻市より引用

田代島は宮城県石巻市に属している島です。漁業や観光業が主な産業になっていて島内にたくさんの猫がいるため猫の島として知られています。

グーグルマップで場所を見てみます。

www.google.co.jp

人口は徐々に減っています。石巻市の公式ページに掲載されている人口では平成27年の住民基本台帳の調査では82人とされています。映像内では50~60人の島とあったので調べてみると国勢調査では62人となっていました。

昭和30年代には約1,000人の島民が居住していた。2005年(平成17年)国勢調査では、平均年齢71歳、高齢化率82%であり、限界集落である。

田代島 - Wikipediaより引用

島民のほとんどがお年寄りであることがわかります。それではここに出てきた限界集落とはなんなのか調べてみます。

限界集落について

限界集落についてまずは調べてみます。

限界集落(げんかい しゅうらく)とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指す。日本における概念。

限界集落 - Wikipediaより引用

限界集落(げんかいしゅうらく)とは - コトバンク(参考サイト)

参考サイトによると大野晃・高知大学名誉教授が最初に使い始めた概念だそうです。そしてまさしくこの限界集落の条件を満たす状態が今回観た『猫の島』で扱われている田代島では起きているわけです。前提の情報はこんな感じで本編の話にいきます。

猫の島 田代島

島の猫について

田代島に昔は野良猫はいなかったといいます。米等にネズミが来るのを防ぐために各家が飼い猫をしていたといいます。

また2011年(平成23年)に発生した東日本大震災により島内の猫が一時ほとんどいなくなりましたが現在はだいたい120~150匹の猫がいるそうです。

島に訪れる獣医の方とフォトグラファーの方が猫のカルテを作り管理している話が紹介されていました。

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マンガアイランドについて

マンガ家のちばてつや先生と里中満智子先生がデザインした「マンガロッジ(定員4から5名)」や、野外活動宿泊施設などがあり、田代島の自然を思いっきり満喫できます。

田代島の紹介 - 石巻市より引用

猫だけでなくマンガも島おこしとして活用しているみたいです。元は漫画家の石ノ森章太郎が島に移住する予定がありそこでマンガアイランドと島全体を名付けたそうですが、移住する前に亡くなって他の有名な漫画家がデザインした施設に宿泊できる今の状態になったと紹介されていました。

記事を書いている2019年11月30日現在は開館していないようですね。詳細はサイトがあったので載せておきます。

マンガアイランド - 石巻市(参考サイト)

地盤沈下について

長崎から震災の復興のために島に来ている方が紹介されていました。沈んでしまった地盤を元の高さまで戻すためです。震災前と同じように漁業の作業が出来るように活動していると述べていました。

学校と過疎

映像でもお年寄りがたくさん映っていましたが若い人も少しだけいるようです。ですが島には病院と学校が無く学校が出来なければ教師も来ず子供も増えず先がないというような流れでした。

昭和22年頃の写真には学生がたくさん映っていましたが平成元年に島の学校は閉校したそうです。建物は残っていました。

学んだことと書きたいこと

たしかにほとんどお年寄りの島ですが少ないながらも若い人はいました。しかし映像には子供がいませんでした。

でもそこにはコミュニティーがあって島民と猫と外部の人が作り出す雰囲気はとても独特なものを感じました。

www.soumu.go.jp

総務省のページの平成29年度版の過疎対策現況を眺めていて思ったのが東北と九州の過疎が他のブロックより高かったのと市町村数・人口・面積で見たときに市町村数と面積は半々、6:4だったのに対し人口はだいたい1:9と過疎地域に住んでいる人口は1割に届かないくらいでした。

つまり国の面積の4割に日本の人口の9割が住んでいると考えると凄いことだなと思いました。どうしてこうなったのか僕にはわかりませんが映像内にあった学校や病院作れば解決するとかそういう単純な問題でもなさそうです。

猫の島で田代島の存在を知れたのは大きいですがそれ以上に限界集落の問題と日本においての過疎地域のデーターが総務省のページで見れるのが知れたのが大きいです。

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猫の島 (Cat Heaven Island)

予告編はこちら

www.youtube.com

 

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メンタルクリニックでカウンセリング受けてきた話【第1回】

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ラーメンの上でカウンセリングと診察受けてきた話

カウンセリングの話

2019年11月29日、通称ラーメンの上で初のカウンセリング受けてきた話になります。今までにゲーセンの上に通っていた時に3回カウンセリングを受けていましたが、こっちの病院は1回のカウンセリングが50分なのでじっくり話せた印象でした。

まだ初回なので自分のこういう風にやっていきたいという希望を伝えて、今後の方針と計画の大枠部分を軽く決めました。また今までのことをある程度話して客観的に意見をもらいました。

今回の50分でとりあえず引きこもりに入る前のところくらいまではある程度振り返れたので続きは2週間後になります。あるていど振り返り終わったら部分的にピックアップして良い方向に修正していく予定です。

とりあえず収穫としてはブログである程度振り返っていたこともあって組み立てて話せたことと論理的に話してくれる方だったので、そういう考え方もあるかという自分とは違う思考を提案してくれることがなにより大きいです。

僕はとにかく肯定してもらうためにカウンセリングを受けているわけではなく現状の環境を少しでも前に進めるための背中を押してもらう一つの活動として捉えています。今回の会話の中から僕には認知の歪みがあることが少し浮き上がってきました。

どうも会話慣れしていないせいか選んでいる言葉が最適かどうかとかもっと自分の言いたかったことに近い表現はないかなどと考えながら話してます。あと何となく当てはまることを言われると表情が笑ってしまう癖を自分に感じました。こういう話の場をもっと欲しているのかもしれないです。

ただまだ完全に信用ができたわけでもなく、どこかお互い探り探りな部分が否めなかったのでとりあえず続けていこうと思います。

診察の話

こっちはカウンセリングをすると一緒に受けなきゃいけない決まりみたいなものが前回の病院(ゲーセンの上)でもそうだったので、1週間ぶりにお話ししてきました。

そして前回気になっていた神経症のどれという疑問だったのですがそれについて質問してきました。

返答としては僕の場合は長期引きこもりであり神経症ぽいところはみられるもののあくまで神経症ぽい人であって病名をつけることはできないと言われました。つまりあくまで僕は病気ではないということになります。

これは大きな収穫でした、自分が何なのか分からないのは気になってしょうがなかったからです。つまり僕はちょっと変わった環境で生きてきたが故に認知の歪みがあり、そこに自分の不器用さが加わって社会に参加できずにいるという状態なのがすこし見えてきました。

つまりカウンセリングをある程度続けて行ったら自立支援だったり就労支援だったり本格的にそっちに移っていく方向で話を進めるべきなのだろうと第1回目でとりあえず思いました。

今回のまとめ

診察では長期引きこもりによるあくまで神経症ぽい人であり病名はつけれないこと。心理士のカウンセリングからはあるていど偏った認識があり認知に歪みが見られることという状態です。

病気かどうかは僕にとってそんな重要ではなく、あくまで今の環境を変えること、より自分の理想の状態に近づけることが目的であるため2週間後のカウンセリングまでにいろんなことを学習して進んでいきたいと思います。

  前回(2019年11月22日)の記事はこちら

www.slpneet.work

 この病院でWAISを受けてきた時の記事はこちら

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 この病院に初めて行った時の記事はこちら

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『太陽と地球に隠された秘密』から太陽と太陽が地球に及ぼす影響について学ぶ

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太陽について分かりやすく解説してくれる映画

『太陽と地球に隠された秘密』から太陽についてと太陽が地球に及ぼす影響について学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。

基本的にはBBCプレゼンターであるケイト・ハンブル氏とヘレン・チェアスキ氏がいろんな施設を訪ねてその分野の博士の方々と共に太陽の仕組みや地球に及ぼす影響に迫るドキュメンタリーです。

太陽について

映画の話に行く前にとりあえず太陽について調べてみました。過去記事でもお世話になりましたがJAXA宇宙科学研究所がやってる子供向けの解説サイトが僕には分かりやすいので今回もここで調べます。

太陽はわたしたちの銀河系にある恒星こうせい のひとつで、地球にもっとも近い恒星です。直径は地球の109倍、体積は130万倍近くもあります。その中心部の温度はなんと1600万度! はげしい 核融合かくゆうごう反応がおこり、ぼう大なエネルギーを生み出しているのです。そのエネルギーが光と赤外線(熱)となって地球にふりそそいでいるため、わたしたち生物は生きていけるのです。

太陽・太陽のすがた│宇宙ワクワク大図鑑│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」より引用

このサイトで学べることと映画の内容は結構被ってる部分が多かったです。次に地球について調べてみます。

地球について

地球は太陽系の3番目の惑星、私たちが今いる天体です。地球はほかの惑星と比べるとちょっと変わった天体です。大気中に酸素があり、表面に大量の水があり、強い磁場をもち、火山や地震じしん、プレート運動など 地質的な活動がとても活発です。 そしてなにより、私たち、生命がいます。

地球・地球の見え方│宇宙ワクワク大図鑑│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」より引用

地球についてもとりあえず同じように調べてみました。前提知識をこれくらいにして映画の話に進んでいきたいと思います。

太陽と地球

11年周期  極大期と極小期

イギリスのオックスフォードシャーにあるラザフォードアップルトン研究所のリチャード・ハリソン博士が解説してくださいました。

ラザフォード・アップルトン・ラボラトリー(Rutherford Appleton Laboratory、略称RAL)は、イングランドのオックスフォードシャーのチルトンにあるハーウェル・サイエンス・アンド・イノヴェーション・キャンパスに属する科学研究所。名称は、アーネスト・ラザフォードとエドワード・アップルトンから来ている。

ラザフォード・アップルトン・ラボラトリー - Wikipediaより引用

博士によると太陽は11年周期で変わっているといいます。そして太陽の動きが活発になる時期を極大期、穏やかになる時期が極小期と呼ばれこれらが11年の周期で回っていると言います。そしてそれを判別する一つの方法として皆既日食があります。

皆既日食とコロナ

2012年の11月オーストラリアのケアンズという場所で天文学者のフランシスコ・ディエゴ氏とプレゼンターは皆既日食を観測しました。日食は月が太陽の光を遮ることで起こります。少し調べてみましょう。

 皆既日食かいきにっしょくは月が太陽の光球面全体をかくすもので、月が地球に近づいているときに、月の影かげの中心部分で見ることができる日食です。

太陽・太陽と日食│宇宙ワクワク大図鑑│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」より引用

皆既日食が観れるのは偶然の重なりだと言います。地球は皆既日食を観察することができる太陽系でただ1つの惑星なのだそうです。理由を説明します月の大きさと距離に関係がありました。

月の大きさはざっくりですが太陽の400分の1で地球からの距離も400分の1なのです。だから月と太陽は大きさが同じに見えぴったり覆いつくすことができるのだと言います。ちなみにこの距離が遠くなることによって月が小さく見え太陽を覆いきれなくなり光のリングのようなものが現れます。それを金環食といいます。

ぴったり覆いかぶさった時に最も外側の超高温の大気が観れるようになります。それがコロナです。そのコロナの広がり方で極大期と極小期を見分けることができます。

極小期時のコロナの写真では光の線がはっきりしていたのに対しオーストラリアで撮影した写真では光の線がはっきりしておらず全方向に向いていました。それは太陽の表面の動きが活発であることを示していると言います。つまり2012年の観測時は太陽は極大期だったそうです。

太陽の中心部

何故このような周期があるのか理解するために太陽の中心部について調べていきます。しかし実際に太陽の中心部に行くことはできません。どのように調べるのかは太陽の光にヒントがありました。

太陽の質量は1.9891×1030kgでこれは太陽系の質量の99.85~6%を占めていると言います。つまり太陽系から太陽をとってしまうとほとんど何も残らないみたいです。そしてこの巨大な質量があることによって太陽光が生み出されていくのです。

太陽は強い重力によりいくつかの特徴の違う層に分かれています。対流層、放射層、中心核です。こればっかりは画像のほうが分かりやすいと思います。

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画像出典元:https://www.kids.isas.jaxa.jp/zukan/solarsystem/sun02.html

太陽・太陽のしくみ│宇宙ワクワク大図鑑│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」

対流層では高温の気体が下から上へと移動しています。その下の放射層は熱を上へと運びます。放射層の50万kmほど奥に中心核と呼ばれる部分があります。

中心核は太陽全体の重力がかかるため圧力がとても高くなります。最初の太陽の部分にもありますが温度は1600万度にもなります。ここで光が作られるのです。

太陽の光と核融合

より詳しく調べるためにプレゼンターはアメリカにある国立点火施設を訪れます。

 国立点火施設(National Ignition Facility、NIF)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバモアのローレンス・リバモア国立研究所にある、レーザー核融合実験施設である。

国立点火施設 - Wikipediaより引用

中心核で核融合が起こることによって太陽の光は生まれます。中心核部分の温度と圧力が非常に高く水素の原子がぶつかりあって大きくなります。これが核融合反応(軽い原子核同士がくっついてより重い原子核に変わること)と呼ばれるものです。少し調べてみます。

核融合反応は、太陽が光輝きエネルギーを放射している原理であり、世界の科学技術を結集して取り組んでいる核融合研究は、「地上に太陽をつくる」研究とも例えられます。
核融合の燃料としては、軽くて燃えやすい水素の同位体である重水素と三重水素(トリチウム)を用います。重水素と三重水素の原子核を融合させると、ヘリウムと中性子ができます。このとき、反応前の重水素と三重水素の重さの合計より、反応後にできたヘリウムと中性子の重さの合計の方が軽くなり、この軽くなった分のエネルギーが放出されるのです。

核融合について:文部科学省より引用

文部科学省のページではこのように紹介されていましたが僕にはちょっと難しいです。ただ国立点火施設で行われていたのはまさにここに書かれている「地上に太陽をつくる」研究でした。わかりやすく説明してくれているサイトがあったので載せておきます。

核融合へのとびら / 自然科学研究機構 核融合科学研究所(参考サイト)

国立点火施設のベス・ゼニティス氏は核融合の実験に使う水素のカプセルの研究をしていました。そのカプセルに192本のレーザー光線を同時に照射することで中の温度と圧力が高くなり水素原子が激しくぶつかり合うことによって核融合反応を引き起こさせます。疑似的に太陽の環境を作り出すのです。

192本のレーザーはターゲットチャンバーに集光することでカプセルに同時に照射することを可能にします。この実験に必要な圧力は地球表面の気圧の3400億倍だと言います。

ただ問題がありました。それは太陽の環境を再現するためには核融合反応を継続させなければならないからです。そして地球で再現するためには1億度という温度を維持しなければならずそのための物質が当時まだ開発されておらず短い時間しか維持ができませんでした。

太陽の光とプラズマ

中心核で生まれた太陽の光を追っていきます。太陽の光はすんなり地球に向かってくるわけではないようです。

まず発生した光の粒子は太陽の表面に向かい始めるわけです。ですが中心核から表面まで進むまでにプラズマという太陽全体に存在する電気を帯びた粒子が集まっている気体に進行を邪魔されます。

こうしてプラズマにぶつかりながらも表面にむかって数十万km移動します。光の速さだけで考慮するなら2秒半でたどり着ける距離のようですがぶつかりながら進むため表面までに実際にかかる時間は1万年~長い時で100万年かかるそうです。

表面を飛び出し宇宙にでた光は1億5000万km離れた地球に8分で到達します。正直この8分の前に1万年~100万年という長い年月があることがこの映画で一番驚きました。

核融合と周期

太陽の中心核では絶えず核融合が起こっているにも関わらず太陽には極大期、極小期と呼ばれる周期が存在しています。その理由を太陽物理学者のルーシー・グリーン博士が解説してくれました。

太陽の中心で核融合が起こるととても高い熱を発します それによってやがて電気を帯びるようになります これがプラズマです 温まった部屋の空気が熱を運んで循環する対流と同じような現象が太陽の内部でも起こります 内側で温められた気体が太陽の表面にあがってくるんです 

映画『太陽と地球に隠された秘密』より引用

 このプラズマが上へ下へと移動することにより強力な磁力が働いている磁場という場所ができあがります。そして太陽は地球と同じように時点しているため横方向にも流れます。この縦だけでなく横の流れもくわわることで磁場に大きな影響を与えます。

とても強い磁場が太陽の表面から宇宙に飛び出すようになります。それにより動きの激しい極大期の状態になっていきます。

磁場が安定した状態が極小期の時だそうです。これが11年という周期なのです。

極大期と太陽風  ある天体現象

太陽風とは電気を帯びた粒子の流れです。地球には強い磁場があるため太陽風の侵入を防いでいます。ちょっと調べてみます。

太陽風(たいようふう、英語: Solar wind)は、太陽から吹き出す極めて高温で電離した粒子(プラズマ)のことである

太陽風 - Wikipediaより引用

もう少し調べてみると以下のサイトで解説されていました。難しいです。

ユーザーガイド | 太陽・太陽風 | 宇宙天気予報センター(参考サイト)

磁場により防がれていた太陽風ですが一部が北極や南極に侵入しある天体現象を引き起こします。ある程度予想できると思いますがオーロラのことです。映画では北極圏のスウェーデン、ラップランドでオーロラを撮影していました。

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オーロラは太陽風が目に見える形になったものなのです。太陽風が地球の磁場と出会うと電気を帯びた粒子を北極や南極から送り込みます。その粒子が地球の大気とぶつかって美しい色に輝いて画像のようになるわけです。

極大期はオーロラの絶好の時期であり良く晴れた月のない夜を選ぶのがぽいんとだそうです。

コロナ質量放出と太陽嵐

オーロラの話の中で地球にも磁場があることがわかりました。しかし太陽から電気を帯びて放たれた粒子によってそれが破壊されてしまう危険性はないのでしょうか。そんな疑問にリチャード・ハリソン博士と考えていきます。

太陽の表面で起きる大爆発により大量のプラズマの塊が宇宙に放出されます。それをコロナ質量放出と呼ぶそうです。調べてみます。

コロナ質量放出(コロナしつりょうほうしゅつ、Coronal mass ejection、CME)とは、太陽活動に伴い、太陽から惑星間空間内へ突発的にプラズマの塊が放出される現象。

コロナ質量放出 - Wikipediaより引用

先ほどのサイトにもコロナ質量放出について説明がありますが難しいです。映画では太陽の大気中に含まれるヘリウムを捉えた映像から噴き出ている様子が分かりました。極大期に頻繁に起こり太陽系で最も高いエネルギーが発生します。

そのため地球の磁場を破る力を持ったまま来ることがあります。それを太陽嵐と呼びます。

太陽嵐(たいようあらし、英語: solar storm)とは、太陽で非常に大規模な太陽フレアが発生した際に太陽風が爆発的に放出され、それに含まれる電磁波・粒子線・粒子などが、地球上や地球近傍の人工衛星等に甚大な被害をもたらす現象である。

太陽嵐 - Wikipediaより引用

過去に被害がでた事例も一緒に紹介されている記事がありました。

過去70年に観測された10倍規模の太陽嵐が、2600年前に発生していた | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(参考サイト)

映画でも紹介されましたが1989年カナダで2003年にスウェーデンで太陽嵐による被害が出ています。大規模な停電がおこり数万人に被害が出ました。

そんな太陽嵐を監視している機関があります。アメリカコロラド州にある国海洋大気庁(NOAA)の宇宙天気予報センターです。日本版で同様に監視しているサイトがあったので載せておきます。

swc.nict.go.jp

現在の太陽の様子を把握することができます。また過去の記録や速報なども残っているので良かったら見てみてください。後に少し紹介する黒点等も見れます。

アメリカコロラド州にある宇宙天気予報センターでは太陽の表面に現れる黒い斑点、黒点の変化を観ます。その様子からどの程度深刻な被害が出るのかを予測しています。コロナ質量放出にも注意していると言います。これにより放出されたプラズマが地球に向かってくるかどうかを判断します。

11年周期と新たな周期と磁場

黒点は天文学者が望遠鏡が出来る前から存在が知られていて何世紀にもわたって研究されてきたと言います。そして11年周期とは違う周期が存在する可能性が黒点から見えてきたのです。

太陽の磁場を直接見ることができないため黒点を観察することで太陽の磁場の動きを推測したのです。太陽が極大期に近づくと磁場が乱れ内部のプラズマの動きも変化します。それにより太陽表面には温度の低い部分ができます。それが黒点です。

つまり黒点を観察することで磁場の様子がわかるということになります。アメリカのアリゾナ州にあるマクマス太陽望遠鏡で天文学者のマット・ペン博士が解説してくれました。

アメリカ国立太陽天文台が運用する世界最大の太陽観測用塔望遠鏡。この望遠鏡は米国キットピーク国立天文台に設置されている。口径203cmのヘリオスタットにより太陽光を極軸に平行な方向に向いた塔望遠鏡の中に導き、その後に口径160cmの主鏡を持つ望遠鏡と平面鏡で光を垂直下方向に向けて結像させて、地下に作られた搭状の真空分光器に高分散スペクトルを取得できる。観測波長は0.3-12μm。この望遠鏡による重要な発見は、黒点外の静穏領域の中に直径150km程度で1キロガウス程度の磁場をもつ微細磁束管の存在を偏光観測より示したことである。

天文学辞典 » マクマス-ピアス太陽望遠鏡より引用

The McMath-Pierce Solar Telescope(参考サイト)

博士によると極小期の黒点の数は5個以下ですが極大期には100を超えることもあると言います。そこで博士は黒点の数と内部の磁場の関係を調べました。黒点の数が増えると太陽の活動が激しくなるのかそれとも関係が無いのかという答えを求めて。

博士は光の波長から黒点の磁場の強さをはかり3000か所ほど調べました。その結果、黒点内部の磁場の強さは太陽の活動周期によって強くなったり弱くなったりすると考えられていましたが実際には関係なく弱まり続けていたということが分かりました。
2000年は磁場が強かったですが徐々に黒点の数が減っていく一方です。

つまり11年周期とは違う長いパターンもあるということが見えてきたのです。17世紀には70年にわたって黒点がほとんど消えている記録がありました。つまりこれから地球は長い極小期に入っていくのではないかという見方です。

太陽嵐が減るといえますが気候に影響が出る側面もあります。これで映画の話は終わります。

学んだことと書きたいこと

基本的な太陽の仕組みはとても分かりやすく説明されていましたが『太陽と地球に隠された秘密』と言いつつもあくまで太陽主体に感じました。

難しい数式等を多用するわけではなく大まかな太陽の仕組みと流れを知る分にはじゅうぶんだと感じました。

また宇宙科学研究所の子供向けサイトで調べることでより理解が深まりました。

同時に宇宙天気予報センターの存在が知れたのは嬉しいです。何か気になった時に太陽の様子を調べる術を見つけました。

やはり一番驚いたのは中心核で光が生まれそれが表面に出てくるまでに1万~100万年という途方もない年月が既に経過しているということでした。

てっきり表面の光が8分くらいで届いてるものだと思っていたのでそこが知れたのは大きな収穫です。

『ある天文学者の恋文』の星の様な恋愛に以前素敵だなと思いましたがそこに深みがましたような気がします。

そして『自律神経をリセットする太陽の浴び方』でセロトニンを学んだ時とは違うような形で太陽を学べたのは個人的にとても面白かったです。

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太陽と地球に隠された秘密 (吹替版)

 

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 セロトニンと太陽の関係を本から学んだ記事はこちら 

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『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』のペニーとココから人間と類人猿の境界線を学ぶ

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人間と類人猿の境界線を研究から考える映画

『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』のペニーとココから人間と類人猿の境界線を学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。

基本的にはフランシーヌ・ペニー・パターソン氏とメスのローランドゴリラのココの研究を過去の映像とBBC Earthが1ヶ月間取材した時の映像をとおして紹介してくれるドキュメンタリー映画です。

フランシーヌ・ペニー・パターソン氏

この映画の話に行く前にまずペニー・パターソン氏について調べてみます。

Francine "Penny" Patterson (born February 13, 1947) is an American animal psychologist. She is best known for teaching a modified form of American Sign Language, which she calls "Gorilla Sign Language", or GSL, to a gorilla named Koko beginning in 1972.

Francine Patterson - Wikipediaより引用

ペニー・パターソンはアメリカの動物心理学者の方です。ココというゴリラにアメリカ手話を1972年から教えて類人猿の言語能力の実験を行い知られている方でありゴリラ財団のトップです。

ココ

続いてココというメスのゴリラについて調べてみます。

Hanabiko "Koko" (July 4, 1971 – June 19, 2018) was a female western lowland gorilla known for having learned many hand signs from a modified version of American Sign Language (ASL).

Koko (gorilla) - Wikipediaより引用 

 Hanabiko(花火子)という本名を持っていますがココと呼ばれています。メスのニシローランドゴリラで先述のペニー・パターソンからアメリカ手話を学んだことで知られています。映画撮影時は44歳でしたが2018年6月19日に46歳で既に亡くなっています

en.wikipedia.org

ニシローランドゴリラについては以下に載せておきます。

ニシローランドゴリラ(参考サイト)

この映画はペニー・パターソンとココの研究の記録を追いかけたドキュメンタリーです。それでは映画の話にいきます。

ペニー・パターソン達とココ

1951年と1960年代 ココの研究までの流れ

著述家のユージン・リンデン氏によると1951年チンパンジーをしゃべらせようとしましたが上手く音が出せませんでした。理由は唇や舌を人間の様には動かせないからだと言います。ユージン・リンデン氏については以下に載せておきますがこの件についての記載はありませんでした。

Eugene Linden(参考サイト)

そこで1960年代にチンパンジーに手話を教えた人がいました。それがアレン・ガードナー氏(Allen Gardner)と妻のベアトリクス氏(Beatrix Gardner)です。

夫妻が育てたチンパンジーはワシューという名前でした。

Washoe (c. September 1965 – October 30, 2007) was a female common chimpanzee who was the first non-human to learn to communicate using American Sign Language (ASL) as part of a research experiment on animal language acquisition.

Washoe (chimpanzee) - Wikipediaより引用

en.wikipedia.org

人間以外で初めてアメリカ手話を習得したメスのチンパンジーで350もの手話を覚えたと紹介されています。詳しくは調べてみてください。そして大学でガードナー夫妻の講演を聴いたペニーは研究にすごく興味をもったそうです。

1971年 ココの誕生と2人の学生

1971年7月4日ココはサンフランシスコ動物園で生まれました。母親のジャクリンに優しく抱かれる映像が残っていました。当時からゴリラの数は減っていてこの新しい命の誕生は嬉しいニュースだったのが動物園の方の言葉から伺えます。

当時ペニー・パターソンとその相方ロン・コーンはスタンフォード大学の学生でした。ロン・コーンはペニーの長年の研究の相方でありココの映像を記録し続けた撮影者です。以下に載せておきます。

Ronald Cohn is a long-time research collaborator of psychologist Francine Patterson in her work in training Koko the gorilla in the use of American sign language. 

Ronald Cohn - Wikipediaより引用

心理学専攻のペニーはアニマルコミュニケーションの世界に進んでいきます。そしてガードナー夫妻の影響を受け手話の相手をサンフランシスコ動物園に探しに行ったのです。そして園長にゴリラの研究がしたいと申し出ました。

そこで群れを見せてもらいその中から母親にしがみついているココを見つけ希望したが断られました。理由はゴリラの赤ちゃんは生後何か月か母親にしがみついて暮らすため家族から引き離すべきではないとの判断でした。

1972年~  ココの入院とペニーの研究

生後6か月経った頃ココは集中治療を受けました。赤痢菌に感染し死にかけていたのです。兄のモジャはそれで亡くなったそうです。ココは一命をとりとめましたが集団に戻すとよそ者扱いされるおそれがあったため半年間園内の保育室で育てられました。

ペニーはまた動物園を訪れた際に飼育員が覚えていてくれてココと対面したといいます。その時にかかとを噛まれたそうです。その数日後からペニーは保育室で研究を始め、最初に手話を教える際に3つの手話に絞りました。

  1. eat(食べる)
  2. drink(飲む)
  3. more(もっと)

の3種類です。ペニーはココと生活するうえでその3種類は使用頻度が高いだろうと判断したからです。最初は形を作るところまで導きそのうち自分でやるようになるのを狙っていました。

習得するスピードはペニーの予想を超えていました。ココは月に1個新しい手話を習得していったのです。そしてココはやがて複数の手話を繋げ始めるのです。

そこに映るゴリラの姿は多くの人が想像する「ゴリラ」とは全然違うものでした。ペニーにとってココは小さくて可愛くて独創的にみえていました。ロンとゴリラ財団のミッツィ・フィリップス氏はそれは強い「絆」によるものだと述べています。

1974年~  動物園から大学へ

2年間でココは80の手話を習得したと言います。しかしある問題が起きました。それは来園者に気を取られ学習が進まなくなってきたのです。そのため動物園にココの貸し出しを願い出て1974年スタンフォードに引っ越します。

研究場所が大学に移ったことでペニーはココに費やせる時間が増加します。それと同時にココはボキャブラリーが激増しました。

人は加速度的に言語を習得する ココは少し違ったけど本当に速かった 一度覚えると忘れないんだ 素晴らしかったよ 毎日のように信じられないことが起きて新しい単語もどんどん覚えていった

映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用

 スタンフォードに移ってわずか1年でココのボキャブラリーは倍増し200近くにまでなったそうです。

1976年~  ココの返却と問題

プロジェクトが開始してから4年が経過しある問題がおこります。動物園の園長が変わりココの返却を求められたのです。

野生のゴリラは絶滅の危機にあり動物園としては繁殖目的でココをロサンゼルスに移そうとしていたのです。そして動物園側とペニー側で対立がおこるのです。

絶対嫌だと思った 重要だと思うことはあらゆる手を尽くしてなんとかする これは私の人生で一番重要なことだった

 映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用

当時を振りかえるペニーはそう言っていました。そしてペニーは動物園側に方針の変更を求めるため賛同者を募っていきます。動物園はサンフランシスコ市の管理下にあったため政治家に頼めば道が切り開けるかもしれないと考え市長に掛け合うのです。

そしてココの譲渡額は1万2500$とされたそうです。さらに絶滅危惧種のため繁殖につながるオスの相手を見つけることも条件に盛り込まれたのです。

ここで一つの法律が重要になってきます。日本語で言う絶滅危惧種保護法です。アメリカ政府の公式ページがあったので載せておきます。

www.epa.gov

下の方に書いてありますがざっくり言ってしまえば1973年のESAにより絶滅危惧種の輸出入が禁止されていたのです。つまりオスのゴリラを見つけることが非常に困難であるということです。

しかし73年より前に捕獲された個体であれば移動に問題が無かったためにあるディーラーからゴリラを買いました。それがウィーンから来たオスのゴリラのマイケルです。寄付金で代金を賄いましたがマイケルのルーツについてはよくわかっていません。

ロンは空港まで迎えに行ったときに飛びついてきて肩に噛みつかれたと笑いながら話していました。ペニーはココとマイケルを会わせて社会性を身に着けさせることを計画していました。

そしてマイケルにも別のスタッフに手話を教えさせ、ペニーは新しく創ったゴリラ財団で1977年6月15日ココを買い取ったのです。

1977年~  ココの育成と野生のゴリラとの違い

ココを育成するにあたりペニーは弟や妹を育てたときつまり小さい子供を育てたときにとても類似していたといいます。

野生のゴリラは群れで過ごし仲間との「絆」に頼って生きています。7歳になったココは野生のゴリラとは全く違いました。ちなみにココは自身のグッズやクレジットカードなどを所有しているという野生のゴリラと異なる点もあります。

そしてココを一躍有名にする出来事がおこります。1978年にナショナルジオグラフィックの表紙に飾られるのです。

後にもう一度飾られるのですがナショナルジオグラフィックの公式サイトで2018年にココについての記事がありそこで画像が見れるので載せておきます。1978年に表紙を飾ったのは複数の画像の中にある6枚目のカメラを構えたココの画像です。1978年号と撮影者についての記載があります。

www.nationalgeographic.com

そして続く1979年にペニーはローランドゴリラの言語能力という博士論文を発表します。その論文の中で300を超える手話を使いココは複雑な感情を伝えることができると述べました。

1979年~  懐疑的に捉える学者の出現

ペニーの研究は順調に進んでいったわけではなく動物行動学者の中には懐疑的に捉える人が出てきます。その中で先導したのがハーバート・テラス氏です。

Herbert S. Terrace (born 29 November 1936) is a Professor of Psychology and Psychiatry at Columbia University. His work covers a broad set of research interests that include behaviorism, animal cognition, ape language and the evolution of language. 

Herbert S. Terrace - Wikipediaより引用

コロンビア大学のテラス教授はプロジェクト・ニムの研究リーダーでした。ニムについて載せておきます。

en.wikipedia.org

教授も研究の最初の3年はチンパンジーは手話を使えると確信していたと言います。そしてペニーと同じく1979年11月に『Can an Ape Create a Sentence?』という論文を書いています。検索かければコロンビア大学のページから論文が見れました

教授はこの「サルは文章を作れるか?」という問いに対して最初は答えはイエスという立場だったそうです。そんな教授が何故、ペニーの研究に懐疑的立場を示したのでしょうか。それには理由がちゃんとありました。

何回もニムの動画を見返してあることに気づいたそうです。ニムは誘導されて手話をしていたに過ぎなかったと言います。つまり人間の指示に反応して手話をしているにすぎなくて自身で組み立てているものではないとなったのです。

そして先ほどの論文の最後に“サルの言語学習能力はきわめて限定的だ”と書いてあります。そしてココは褒美がほしいからペニーの動きを真似ているのだと批判を続けました。

ちなみに調べていたら教授は2019年に新しいオーディオブックを出すようです。 

Why Chimpanzees Can't Learn Language and Only Humans Can

Why Chimpanzees Can't Learn Language and Only Humans Can

 

そしてテラス氏はペニーとココの信頼関係は素晴らしいものだとしつつもあくまで人間の情が動物がそう思っている、行動しているように見えてしまうというだけに過ぎず実際にはサル達の理解はないという立場でした。あくまで信頼関係と言葉を生み出せるかどうかは別の問題だとしています。

地位のある学者に否定されたことはペニーの研究にとって大きな逆風になります。動物達の行動を観察してこの意味は〇〇だと信じてもそれを証明することは難しいとユージン・リンデンは言います。 

そして論文を発表したペニーがキャンパスに残ることを大学側は認めませんでした。さらに新しい問題を生み出します。

資金調達が難しくなるのです。類人猿の研究から離れていく学者も出始め学者が2分されます。他の研究に移るものと類人猿の研究を続けるものです。ペニーは研究を続行します。そして以後カリフォルニア州北部ウッドサイドに移されたのです。

1980年~  ペニーの反論と研究者の関心の変化

ペニーはニムの映像を観たうえで反論しています。ニムは手話をしていたが付きっきりで世話をしたものはおらず25人くらいのメンバーが交代して教えていたことが問題だと指摘しています。

信頼関係に基づく問題だから難しいとしながらも絆がない人間がいきなりゲージに入ってしゃべりかけてもダメでサル達はあくまで好きな人としゃべりたいと映画では述べていました。

80年代以降、類人猿に手話を教える新たな試みはほとんどないそうです。その理由として研究者の関心が「人間と動物の会話」から「動物達の仲間内の意思疎通」に変化していることが考えられるといいます。

最近の研究ではゴリラ自体がココのような「アメリカ手話」を使わなくても仲間内で100を超えるジェスチャーで会話しているといいます。

1984年~  ゴリラと猫と本

1984年ココは再びナショナルジオグラフィックに掲載されます。先ほど載せた公式サイトの画像の中に猫とゴリラの一緒に映る画像があります。ココはその猫を「ボール」と呼んでいました。フルネームはオールボールだそうです。丸いから。しかし半年後交通事故でボールが亡くなります。

新しい子猫を飼いたいと募集すると学者がココの見解を例え認めなくても賛同する人が増えたといいます。そして児童向けに絵本まで出版されました。凄い評判だったそうで手紙がたくさん届いたといいます。 

Koko's Kitten (Reading Rainbow Book)

Koko's Kitten (Reading Rainbow Book)

 

 有名になっていくココがいる一方、ニシローランドゴリラの生息数は20年で3分の1にまで減ったと言います。

ですがこれに関しては調べてみたところ2018年の米科学誌「サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)」に掲載された国際チームが2018年4月25日に発表した論文で絶滅危惧種には変わらないものの想定よりも多く生息しているとしています。

西アフリカのゴリラ、従来推計より多く生息か 絶滅危機は変わらず 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News(参考サイト)

プロジェクトの資金集めが行いやすくなりマスコミと連動することの重要性を感じたといいます。ですがそれは取材を受け続けなければならないということでもありました。

ココと家族

ペニーはココに子供を持たせてあげたいと考えンドゥメというオスのゴリラを呼び寄せます。マイケルのことは弟とみなしていたからです。

しかしその願いは叶いませんでした。ペニーはそれを悔やんでいます。もっとうまく行動していればココに家族を持たせてあげられたのではないかと考えていました。

そしてココは2018年6月19日に46歳で亡くなりました。その時のTwitterでのゴリラ財団の発表などを書いてくださっていた記事があったので載せておきます。

www.gizmodo.jp

ココはペットじゃない あの子は個性を持った存在で会話する力も感情も全て持っている ココがいつ単語を100個覚えていつ1000個に増えたか そんなのすぐに忘れられて誰の心も揺さぶらない でもココに愛する力があって違う生き物であっても愛し合えるという事実を伝えれば 皆生きるということについて深く考えるはず 私達はそれを願っている

映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用

とペニーは述べています。映画の話は終わりです。

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学んだことと書きたいこと

この映画を観てまず自分なりに思ったことがあります。たしかにペニー氏とココには特別な想像以上の関係が築き上げられていた様に感じました。

しかし言語能力についてはテラス氏が反論している通りでペニー氏の反論や映画を通しての全体的な意見が感情論のような部分が多く決定打が無いような感じでした。

ココ以外のゴリラや類人猿でも同じような実験をして再現性がないのであれば本人たちが言うようにココが特別だったで終わってしまうのです。

たしかにチンパンジーのニムやココと同じゴリラのマイケルにも手話を覚えた様子はありましたがテラス氏の言う限定的の域を超えた様子は映像からは分かりませんでした。

そしていつの間にか人間と類人猿の境界を越えて意思疎通が図れるというものからゴリラやチンパンジーの権利が尊重される問題に感情で繋げられたような違和感を感じました。

個人的には人間と類人猿には境界線は存在していると考えます。

ですがココだけを観るのであれば本当に想像を超えるような一生を遂げたゴリラでありそこには異なる種の動物に本当に愛情を抱いているとも捉えられる奇跡的な映像が残っているのも事実です。

発音ができないのであれば手話を教えればいいという発想をしたガードナー夫妻には凄いなと思いましたし、それをゴリラで試し奇跡を起こしたペニー氏にも心揺さぶられました。良かったら観てみてください。余談ですが『神様メール』という映画でゴリラと奥様が恋愛するシーンがありましてなんとなくそれを思い出しました。

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ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語(吹替版)

 

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