『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』のペニーとココから人間と類人猿の境界線を学ぶ
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人間と類人猿の境界線を研究から考える映画
『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』のペニーとココから人間と類人猿の境界線を学びました。この記事は※ネタバレがあります注意してください。
基本的にはフランシーヌ・ペニー・パターソン氏とメスのローランドゴリラのココの研究を過去の映像とBBC Earthが1ヶ月間取材した時の映像をとおして紹介してくれるドキュメンタリー映画です。
フランシーヌ・ペニー・パターソン氏
この映画の話に行く前にまずペニー・パターソン氏について調べてみます。
Francine "Penny" Patterson (born February 13, 1947) is an American animal psychologist. She is best known for teaching a modified form of American Sign Language, which she calls "Gorilla Sign Language", or GSL, to a gorilla named Koko beginning in 1972.
ペニー・パターソンはアメリカの動物心理学者の方です。ココというゴリラにアメリカ手話を1972年から教えて類人猿の言語能力の実験を行い知られている方でありゴリラ財団のトップです。
ココ
続いてココというメスのゴリラについて調べてみます。
Hanabiko "Koko" (July 4, 1971 – June 19, 2018) was a female western lowland gorilla known for having learned many hand signs from a modified version of American Sign Language (ASL).
Hanabiko(花火子)という本名を持っていますがココと呼ばれています。メスのニシローランドゴリラで先述のペニー・パターソンからアメリカ手話を学んだことで知られています。映画撮影時は44歳でしたが2018年6月19日に46歳で既に亡くなっています。
ニシローランドゴリラについては以下に載せておきます。
ニシローランドゴリラ(参考サイト)
この映画はペニー・パターソンとココの研究の記録を追いかけたドキュメンタリーです。それでは映画の話にいきます。
ペニー・パターソン達とココ
1951年と1960年代 ココの研究までの流れ
著述家のユージン・リンデン氏によると1951年チンパンジーをしゃべらせようとしましたが上手く音が出せませんでした。理由は唇や舌を人間の様には動かせないからだと言います。ユージン・リンデン氏については以下に載せておきますがこの件についての記載はありませんでした。
Eugene Linden(参考サイト)
そこで1960年代にチンパンジーに手話を教えた人がいました。それがアレン・ガードナー氏(Allen Gardner)と妻のベアトリクス氏(Beatrix Gardner)です。
夫妻が育てたチンパンジーはワシューという名前でした。
Washoe (c. September 1965 – October 30, 2007) was a female common chimpanzee who was the first non-human to learn to communicate using American Sign Language (ASL) as part of a research experiment on animal language acquisition.
人間以外で初めてアメリカ手話を習得したメスのチンパンジーで350もの手話を覚えたと紹介されています。詳しくは調べてみてください。そして大学でガードナー夫妻の講演を聴いたペニーは研究にすごく興味をもったそうです。
1971年 ココの誕生と2人の学生
1971年7月4日ココはサンフランシスコ動物園で生まれました。母親のジャクリンに優しく抱かれる映像が残っていました。当時からゴリラの数は減っていてこの新しい命の誕生は嬉しいニュースだったのが動物園の方の言葉から伺えます。
当時ペニー・パターソンとその相方ロン・コーンはスタンフォード大学の学生でした。ロン・コーンはペニーの長年の研究の相方でありココの映像を記録し続けた撮影者です。以下に載せておきます。
Ronald Cohn is a long-time research collaborator of psychologist Francine Patterson in her work in training Koko the gorilla in the use of American sign language.
心理学専攻のペニーはアニマルコミュニケーションの世界に進んでいきます。そしてガードナー夫妻の影響を受け手話の相手をサンフランシスコ動物園に探しに行ったのです。そして園長にゴリラの研究がしたいと申し出ました。
そこで群れを見せてもらいその中から母親にしがみついているココを見つけ希望したが断られました。理由はゴリラの赤ちゃんは生後何か月か母親にしがみついて暮らすため家族から引き離すべきではないとの判断でした。
1972年~ ココの入院とペニーの研究
生後6か月経った頃ココは集中治療を受けました。赤痢菌に感染し死にかけていたのです。兄のモジャはそれで亡くなったそうです。ココは一命をとりとめましたが集団に戻すとよそ者扱いされるおそれがあったため半年間園内の保育室で育てられました。
ペニーはまた動物園を訪れた際に飼育員が覚えていてくれてココと対面したといいます。その時にかかとを噛まれたそうです。その数日後からペニーは保育室で研究を始め、最初に手話を教える際に3つの手話に絞りました。
- eat(食べる)
- drink(飲む)
- more(もっと)
の3種類です。ペニーはココと生活するうえでその3種類は使用頻度が高いだろうと判断したからです。最初は形を作るところまで導きそのうち自分でやるようになるのを狙っていました。
習得するスピードはペニーの予想を超えていました。ココは月に1個新しい手話を習得していったのです。そしてココはやがて複数の手話を繋げ始めるのです。
そこに映るゴリラの姿は多くの人が想像する「ゴリラ」とは全然違うものでした。ペニーにとってココは小さくて可愛くて独創的にみえていました。ロンとゴリラ財団のミッツィ・フィリップス氏はそれは強い「絆」によるものだと述べています。
1974年~ 動物園から大学へ
2年間でココは80の手話を習得したと言います。しかしある問題が起きました。それは来園者に気を取られ学習が進まなくなってきたのです。そのため動物園にココの貸し出しを願い出て1974年スタンフォードに引っ越します。
研究場所が大学に移ったことでペニーはココに費やせる時間が増加します。それと同時にココはボキャブラリーが激増しました。
人は加速度的に言語を習得する ココは少し違ったけど本当に速かった 一度覚えると忘れないんだ 素晴らしかったよ 毎日のように信じられないことが起きて新しい単語もどんどん覚えていった
映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用
スタンフォードに移ってわずか1年でココのボキャブラリーは倍増し200近くにまでなったそうです。
1976年~ ココの返却と問題
プロジェクトが開始してから4年が経過しある問題がおこります。動物園の園長が変わりココの返却を求められたのです。
野生のゴリラは絶滅の危機にあり動物園としては繁殖目的でココをロサンゼルスに移そうとしていたのです。そして動物園側とペニー側で対立がおこるのです。
絶対嫌だと思った 重要だと思うことはあらゆる手を尽くしてなんとかする これは私の人生で一番重要なことだった
映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用
当時を振りかえるペニーはそう言っていました。そしてペニーは動物園側に方針の変更を求めるため賛同者を募っていきます。動物園はサンフランシスコ市の管理下にあったため政治家に頼めば道が切り開けるかもしれないと考え市長に掛け合うのです。
そしてココの譲渡額は1万2500$とされたそうです。さらに絶滅危惧種のため繁殖につながるオスの相手を見つけることも条件に盛り込まれたのです。
ここで一つの法律が重要になってきます。日本語で言う絶滅危惧種保護法です。アメリカ政府の公式ページがあったので載せておきます。
下の方に書いてありますがざっくり言ってしまえば1973年のESAにより絶滅危惧種の輸出入が禁止されていたのです。つまりオスのゴリラを見つけることが非常に困難であるということです。
しかし73年より前に捕獲された個体であれば移動に問題が無かったためにあるディーラーからゴリラを買いました。それがウィーンから来たオスのゴリラのマイケルです。寄付金で代金を賄いましたがマイケルのルーツについてはよくわかっていません。
ロンは空港まで迎えに行ったときに飛びついてきて肩に噛みつかれたと笑いながら話していました。ペニーはココとマイケルを会わせて社会性を身に着けさせることを計画していました。
そしてマイケルにも別のスタッフに手話を教えさせ、ペニーは新しく創ったゴリラ財団で1977年6月15日ココを買い取ったのです。
1977年~ ココの育成と野生のゴリラとの違い
ココを育成するにあたりペニーは弟や妹を育てたときつまり小さい子供を育てたときにとても類似していたといいます。
野生のゴリラは群れで過ごし仲間との「絆」に頼って生きています。7歳になったココは野生のゴリラとは全く違いました。ちなみにココは自身のグッズやクレジットカードなどを所有しているという野生のゴリラと異なる点もあります。
そしてココを一躍有名にする出来事がおこります。1978年にナショナルジオグラフィックの表紙に飾られるのです。
後にもう一度飾られるのですがナショナルジオグラフィックの公式サイトで2018年にココについての記事がありそこで画像が見れるので載せておきます。1978年に表紙を飾ったのは複数の画像の中にある6枚目のカメラを構えたココの画像です。1978年号と撮影者についての記載があります。
そして続く1979年にペニーはローランドゴリラの言語能力という博士論文を発表します。その論文の中で300を超える手話を使いココは複雑な感情を伝えることができると述べました。
1979年~ 懐疑的に捉える学者の出現
ペニーの研究は順調に進んでいったわけではなく動物行動学者の中には懐疑的に捉える人が出てきます。その中で先導したのがハーバート・テラス氏です。
Herbert S. Terrace (born 29 November 1936) is a Professor of Psychology and Psychiatry at Columbia University. His work covers a broad set of research interests that include behaviorism, animal cognition, ape language and the evolution of language.
コロンビア大学のテラス教授はプロジェクト・ニムの研究リーダーでした。ニムについて載せておきます。
教授も研究の最初の3年はチンパンジーは手話を使えると確信していたと言います。そしてペニーと同じく1979年11月に『Can an Ape Create a Sentence?』という論文を書いています。検索かければコロンビア大学のページから論文が見れました。
教授はこの「サルは文章を作れるか?」という問いに対して最初は答えはイエスという立場だったそうです。そんな教授が何故、ペニーの研究に懐疑的立場を示したのでしょうか。それには理由がちゃんとありました。
何回もニムの動画を見返してあることに気づいたそうです。ニムは誘導されて手話をしていたに過ぎなかったと言います。つまり人間の指示に反応して手話をしているにすぎなくて自身で組み立てているものではないとなったのです。
そして先ほどの論文の最後に“サルの言語学習能力はきわめて限定的だ”と書いてあります。そしてココは褒美がほしいからペニーの動きを真似ているのだと批判を続けました。
ちなみに調べていたら教授は2019年に新しいオーディオブックを出すようです。
Why Chimpanzees Can't Learn Language and Only Humans Can
- 作者: Herbert S. Terrace,Jonathan Davis
- 出版社/メーカー: AUDIBLE STUDIOS ON BRILLIANCE
- 発売日: 2019/12/31
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そしてテラス氏はペニーとココの信頼関係は素晴らしいものだとしつつもあくまで人間の情が動物がそう思っている、行動しているように見えてしまうというだけに過ぎず実際にはサル達の理解はないという立場でした。あくまで信頼関係と言葉を生み出せるかどうかは別の問題だとしています。
地位のある学者に否定されたことはペニーの研究にとって大きな逆風になります。動物達の行動を観察してこの意味は〇〇だと信じてもそれを証明することは難しいとユージン・リンデンは言います。
そして論文を発表したペニーがキャンパスに残ることを大学側は認めませんでした。さらに新しい問題を生み出します。
資金調達が難しくなるのです。類人猿の研究から離れていく学者も出始め学者が2分されます。他の研究に移るものと類人猿の研究を続けるものです。ペニーは研究を続行します。そして以後カリフォルニア州北部ウッドサイドに移されたのです。
1980年~ ペニーの反論と研究者の関心の変化
ペニーはニムの映像を観たうえで反論しています。ニムは手話をしていたが付きっきりで世話をしたものはおらず25人くらいのメンバーが交代して教えていたことが問題だと指摘しています。
信頼関係に基づく問題だから難しいとしながらも絆がない人間がいきなりゲージに入ってしゃべりかけてもダメでサル達はあくまで好きな人としゃべりたいと映画では述べていました。
80年代以降、類人猿に手話を教える新たな試みはほとんどないそうです。その理由として研究者の関心が「人間と動物の会話」から「動物達の仲間内の意思疎通」に変化していることが考えられるといいます。
最近の研究ではゴリラ自体がココのような「アメリカ手話」を使わなくても仲間内で100を超えるジェスチャーで会話しているといいます。
1984年~ ゴリラと猫と本
1984年ココは再びナショナルジオグラフィックに掲載されます。先ほど載せた公式サイトの画像の中に猫とゴリラの一緒に映る画像があります。ココはその猫を「ボール」と呼んでいました。フルネームはオールボールだそうです。丸いから。しかし半年後交通事故でボールが亡くなります。
新しい子猫を飼いたいと募集すると学者がココの見解を例え認めなくても賛同する人が増えたといいます。そして児童向けに絵本まで出版されました。凄い評判だったそうで手紙がたくさん届いたといいます。
Koko's Kitten (Reading Rainbow Book)
- 作者: Francine Patterson,Ronald H. Cohn
- 出版社/メーカー: Scholastic Pr
- 発売日: 1987/06/01
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有名になっていくココがいる一方、ニシローランドゴリラの生息数は20年で3分の1にまで減ったと言います。
ですがこれに関しては調べてみたところ2018年の米科学誌「サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)」に掲載された国際チームが2018年4月25日に発表した論文で絶滅危惧種には変わらないものの想定よりも多く生息しているとしています。
西アフリカのゴリラ、従来推計より多く生息か 絶滅危機は変わらず 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News(参考サイト)
プロジェクトの資金集めが行いやすくなりマスコミと連動することの重要性を感じたといいます。ですがそれは取材を受け続けなければならないということでもありました。
ココと家族
ペニーはココに子供を持たせてあげたいと考えンドゥメというオスのゴリラを呼び寄せます。マイケルのことは弟とみなしていたからです。
しかしその願いは叶いませんでした。ペニーはそれを悔やんでいます。もっとうまく行動していればココに家族を持たせてあげられたのではないかと考えていました。
そしてココは2018年6月19日に46歳で亡くなりました。その時のTwitterでのゴリラ財団の発表などを書いてくださっていた記事があったので載せておきます。
ココはペットじゃない あの子は個性を持った存在で会話する力も感情も全て持っている ココがいつ単語を100個覚えていつ1000個に増えたか そんなのすぐに忘れられて誰の心も揺さぶらない でもココに愛する力があって違う生き物であっても愛し合えるという事実を伝えれば 皆生きるということについて深く考えるはず 私達はそれを願っている
映画『ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語』より引用
とペニーは述べています。映画の話は終わりです。
学んだことと書きたいこと
この映画を観てまず自分なりに思ったことがあります。たしかにペニー氏とココには特別な想像以上の関係が築き上げられていた様に感じました。
しかし言語能力についてはテラス氏が反論している通りでペニー氏の反論や映画を通しての全体的な意見が感情論のような部分が多く決定打が無いような感じでした。
ココ以外のゴリラや類人猿でも同じような実験をして再現性がないのであれば本人たちが言うようにココが特別だったで終わってしまうのです。
たしかにチンパンジーのニムやココと同じゴリラのマイケルにも手話を覚えた様子はありましたがテラス氏の言う限定的の域を超えた様子は映像からは分かりませんでした。
そしていつの間にか人間と類人猿の境界を越えて意思疎通が図れるというものからゴリラやチンパンジーの権利が尊重される問題に感情で繋げられたような違和感を感じました。
個人的には人間と類人猿には境界線は存在していると考えます。
ですがココだけを観るのであれば本当に想像を超えるような一生を遂げたゴリラでありそこには異なる種の動物に本当に愛情を抱いているとも捉えられる奇跡的な映像が残っているのも事実です。
発音ができないのであれば手話を教えればいいという発想をしたガードナー夫妻には凄いなと思いましたし、それをゴリラで試し奇跡を起こしたペニー氏にも心揺さぶられました。良かったら観てみてください。余談ですが『神様メール』という映画でゴリラと奥様が恋愛するシーンがありましてなんとなくそれを思い出しました。
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