ニートが好きだね?

ニートが好きだね?

昨日と違うニートになる。頭はたくさん動かした。手の動くままにやってみるよ。

ニートが好きだね?

僕とあなたと期待

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引きこもりニートの発見 

 自分とは一体なんだ?自立ってなんだ?どうして僕は引きこもった?そんなことをずっと考えていました。ようやく数ヶ月前の自分より考えが進んだので記事を書き始めたわけです。働いている人や考え方が異なる人には気分を悪くしてしまうかもしれない内容になっています。それに関しては最初に謝罪しておきます申し訳ありません。

他人に期待しない

 今日はそんなことを僕なりに考えていきたいとおもいます。最終的にたどり着いたのは「他人に期待しない」のが難しいのは「自分に期待する」がよく分からないからであります。これは僕の頭の中の旅の記録のようなものです。のんびりお付き合いください。

 よく本や動画などでいろんな方の意見を聞いていますと「他人に期待しない」という言葉に行き着くことがあります。今回は知り合いの方にふとこのテーマに触れる機会を頂いたので僕なりに考え始めたのが始まりです。

 「他人に期待しない」と言われても頷きながらも実際は難しくてどうしていいかわからない、わかっているはずなのに行動できないとなることが僕は多いのです。初めて意識しはじめたのはアドラー心理学についての本『嫌われる勇気』で「課題の分離」に触れたあたりからでしょうか。長くなりましたがそれでは考えていきましょう。

他人に期待すると自分に期待する

 まず「他人に期待しない」がよく分からない僕は「他人に期待する」を考え始めたわけです。『うみねこのなく頃に』で「チェス盤をひっくり返す」という技術を学んだので使ってみます。

 「他人に期待する」とはどういった状態のことでしょうか。何かやりたいことや達成したいことがあったときにそれを他の人によって叶えようとする状態というのはどうでしょうか。

 例えば、「現状の〇〇に不満」と思っても「他人に期待する」という状態だと文句をいいながら「現状の〇〇に不満」を誰かが解決してくれると維持するわけです。 

 それでは「他人に期待する」の他人の部分が対になる「自分に期待する」はどうでしょうか。先ほどの例で考えてみることにします。

 「現状の〇〇に不満」と思うと「自分に期待する」という状態だと文句を言わずに「現状の〇〇に不満」を回避する策を自分で実行する。と言えるのではないかと考えたわけです。

 そしてある疑問が浮かびます。「他人に期待しない」と「自分に期待する」は果たして同じことと言えるのかということです。たしかに2回ひっくり返せば元に戻りそうなものですが、実際には期待の部分と他人の部分のように半分ずつひっくり返していて表から裏になっただけとも捉えられます。この錯覚の様なことを紐解くとすっきりした答えが出てくるのかなと感じたのであります。

他人に期待しないと自分に期待する

 そこで何故僕は「他人に期待しない」が頷けるのにもかからわず、実行が難しいと感じてしまうのかという問いにある仮説をたててみました。それが「他人に期待しない」と「自分に期待する」が同じものなのか違うものなのかそれともどちらでもないのか曖昧のまま生きてきた(即ち他人に期待しないを自分なりに理解できていない)からなのではないかというものです。「知行合一」に通ずるものがあるかもしれませんね。

 「他人に期待しない」と「自分に期待する」が結び付けられれば自然と文句を言わずに叶えたいことを実行するはずなのです。しかし現実は行動までなかなかいきません。なのでもう少し分解してみました。

 「期待」という単語を自分に使うのに何か違和感を覚えるのです。どうしても「期待」という単語には自分以外の他の対象や人がいてはじめて成り立つように感じる部分があります。なので僕の場合、自分を分解することでそれを解決しました。刻々と変化している自分を別のものだと考えれば「自分に期待する」という言葉は使えそうだなと思ったのです。

 不満に思った自分がいて行動する自分がいて目的を達成する自分を別々であると捉えることで「自分に期待する」というなんとも言えない違和感を解消します。

自分に期待しないという場所

 よくわからないところに流れ着いてきました。くわえてとても楽しくもなってきました。おそらく僕の場合より前に進むには「自分以外の他人に期待しない」と理解する必要があります。そして「自分以外の他人に期待しない」は「自分に期待しない」と「自分に期待する」のどちらの条件も満たしているということです。

 そして「他人に期待しない」がなんとなく理解できるのに動けないのは「自分に期待しない」というあまり表面からは見えない場所にいるからではないでしょうか。つまり僕は「他人には期待しない」は突破しているにも関わらず自分にも期待していないのです。

 そして「自分に期待しない」から抜け出せないのは「自分に期待する」がなんともいえない違和感を含んでいるからだと思います。それを解決するために「自分」を別々の自分として捉えて「過去の自分の経験や知識から現在の自分で行動して未来のありたい自分の状態に構えること」と解釈しました。

 つまり「他人に期待しない」と「自分に期待する」は違うものだったけど繋がっているもので間に「自分に期待しない」があるんだということです。少し着地点が見えたかもしれません。まとめていきましょう。

さいごに

 僕が行き着いたのは僕は「他人に期待しない」はできている。できていないのは「自分に期待する」に伴った行動である。

 行動できていないのは「他人に期待しない」が「自分以外の他人に期待しない」であるという自覚の欠如と途中にある「自分に期待しない」という場所にいる居場所の把握ができていなかったこと。

 つまり考えなければいけないのは「自分に期待しない」からどうしたら「自分に期待する」にたどり着けるか。そのために僕は自分を時間軸で分解して別々として捉えて「自分に期待する」の違和感を解消してみた。

 もちろんほかにもいろんな考え方があると思いますが、自分なりに着地できたのでとりあえず今日は終わろうと思います。毎回考えながらそのまま文章を書いているので矛盾や飛躍があるかと思いますが今はこんな感じであります。

 それでは今日はこのへんで。

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