ニートが好きだね?

ニートが好きだね?

昨日と違うニートになる。頭はたくさん動かした。手の動くままにやってみるよ。

ニートが好きだね?

『ファースト・マン』のアームストロングから月面着陸までの流れを学ぶ

【スポンサーリンク】

f:id:slpmaru:20191119170842j:plain

NASAによる人類初の月面着陸までの流れを学べる映画

『ファースト・マン』のニール・アームストロングからジェミニ計画とアポロ計画を通して人類初の月面着陸までの流れを学びました。アメリカの映画です。この記事は※ネタバレがあります注意してください。

基本的には人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロングの1961年から1969年までのNASAでのミッションを実話に基づいて描いた映画です。

1969年7月21日 人類初の月面着陸と2種類の日付時刻について

とりあえず簡単に月面着陸について触れておきます。

月面着陸(げつめんちゃくりく、英: Moon landing)は、地球の衛星である月への着陸をいう。英語では他に、lunar landing とも。人類史上初の月面着陸は、アメリカ合衆国のアポロ11号計画における船長ニール・アームストロングと月着陸船操縦士エドウィン・オルドリンによるものだった。

月面着陸 - Wikipedia より引用

 調べてみて気づいたのですが日付が7月20日というものと21日というものの2種類があります。これについて考えたのですがおそらく基準にしている時間が違うか船が月に着いた時間か人が降りた時間の違いから混同しているだという結論に至りました。

以下の文にUTCという文字が確認できると思うのですがこれは協定世界時間のことを指します。そして7月20日のものはEDT東部夏時間を採用していました。

このブログではUTCの1969年7月21日2時56分が人類が降り立った時間で7月20日の20時17分は「イーグル」号を月に着陸させた時間として話を進めます。

Still frame from a video transmission, taken moments before Neil Armstrong became the first human to step onto the surface of the Moon, at 02:56 UTC on 21 July 1969. 

Moon landing - Wikipedia より引用

ニール・アームストロング氏について

Neil Alden Armstrong (August 5, 1930 – August 25, 2012) was an American astronaut and aeronautical engineer and the first person to walk on the Moon. He was also a naval aviator, test pilot, and university professor.

Neil Armstrong - Wikipedia より引用

ニール・オールデン・アームストロングはアメリカ合衆国の宇宙飛行士の方です。そして人類で初めて月面に降り立った人物になります。

この映画はそんな彼が月に降り立つまでの流れを描いています。それでは映画の話にいきます。

1962年(1961年)テストパイロット時代

映画の冒頭カリフォルニア州モハべ砂漠に緊急着陸シーンがあります。

調べてみると以下の文と共通しているところが多かったのでこのことを基にしたものと思われますが実際には1962年の出来事だそうです。

Armstrong was involved in several incidents that went down in Edwards folklore or were chronicled in the memoirs of colleagues. During his sixth X-15 flight on April 20, 1962, Armstrong was testing the MH-96 control system when he flew to a height of over 207,000 feet (63 km) (the highest he flew before Gemini 8). He held up the aircraft nose for too long during its descent to demonstrate the MH-96's g-limiting performance, and the X-15 ballooned back up to around 140,000 feet (43 km). He flew past the landing field at Mach 3 at over 100,000 feet (30 km) in altitude, and ended up 40 miles (64 km) south of Edwards. After sufficient descent, he turned back toward the landing area, and landed, just missing Joshua trees at the south end. It was the longest X-15 flight in both flight time and length of the ground track.

Neil Armstrong - Wikipedia より引用

X-15の試験飛行をしていた際に高度14万フィートでは大気が薄く翼が役に立たず制御出来ていない様子でした。

なんとか緊急着陸させましたがエドワーズ空軍基地から64kmも離れた場所まで行ってしまったようです。Joshua treesを調べると分かりますがYuccaと呼ばれていてそこからこの映画のモハベ砂漠のシーンと関連していることが分かります。

エドワーズ空軍基地について詳しくは調べてください。

エドワーズ空軍基地 (参考サイト)

Yucca brevifolia (参考サイト)

1962年 娘カレン

第2子のカレンは脳幹に悪性腫瘍があったため放射線療法をうけていました。ニールは出来る限りのことをしていましたが1962年の1月28日にカレンは亡くなりました。

泣き崩れるニールはカレンのしていたブレスレットを大切にしまいますが心に大きな傷を負います。仕事に打ち込むことで少しでもその現実から離れたいように感じました。

そんな状況下でニールの目に入ったのは“NASAジェミニ計画の宇宙飛行士選考”のパンフレットでした。

f:id:slpmaru:20191119170836j:plain

1962年~ ジェミニ計画

1962年8月13日 エリントン空軍基地 ジェミニ計画宇宙飛行士選考

周囲が軍人だらけの中面接を受けに来たニールはそこでエリオット・シーと出会います。お互い民間人として面接に臨みました。面接の内容はこんな感じです。

  • “直接上昇方式”は見送りが決定し“月軌道ランデブー”がジェミニ計画の目標になった決定をどう思うか
  • 計画の上で課題は何だと考えているか
  • なぜ宇宙を目指しているか
  • 娘の死は影響を与えると思うか

そんな中面接でのニールの言葉が印象的だったので紹介します。

ニール「X-15機に乗り間近に見たんです 大気圏を とても薄く地球のわずかな一部でしかなく ろくに見えない 地上から見上げると実に広大なのに 普段は気にもしない 別の地点に立つと見方が変わるんです 宇宙探査で何を発見するか分かりませんが探査が目的であってはなりません 我々がとうの昔に知るべきだったのに今まで不可能だったことを教えてくれるものでなくては」

映画『ファースト・マン』より引用

そしてニールはジェミニ計画の一員に選ばれます。新しい冒険が始まろうとしている、そんな彼の顔は微笑んでいました。

実際にはこの選考は第2次の宇宙飛行士選考でした。ジェミニ計画について調べるとわかりますがこの計画はマーキュリー計画とアポロ計画の間に行われた計画です。そのためマーキュリー・セブンと呼ばれる7人(アメリカ人初の宇宙飛行士達)に続くメンバーに選ばれたのがニールになります。

ジェミニ計画について

Project Gemini was NASA's second human spaceflight program. Conducted between projects Mercury and Apollo, Gemini started in 1961 and concluded in 1966. The Gemini spacecraft carried a two-astronaut crew. Ten Gemini crews flew low Earth orbit (LEO) missions during 1965 and 1966, putting the United States in the lead during the Cold War Space Race against the Soviet Union.

Project Gemini - Wikipedia より引用

ジェミニ計画はNASAの2番目の有人宇宙飛行計画で上でも述べた通りマーキュリー計画とアポロ計画の間に行われたものです。

宇宙船は2名の宇宙飛行士を宇宙まで送ることができました。この計画で最終的には10人の宇宙飛行士がLEOを飛行しました。

1961年~1966年まで続き冷戦時代のアメリカと旧ソ連の宇宙開発競争においてアメリカの技術力を旧ソ連に見せつけるものになりました。

これまでとの違い

それまでは宇宙船1機で往復する発想というものでしたが1つのロケットに複数の船を積んで共に宇宙へ行き宇宙飛行士も母船から小型船に移り月面着陸を目指すというものをNASAは考えたようです。

またこのシーンである人物が紹介されていました。ジュール・ヴェルヌという方です。SFの父と呼ばれている方だそうです。その時代から月に行くことを夢みてきた人類は実際にたどり着くところまで来つつあるということだと思います。よかったら調べてみてください。

ジュール・ヴェルヌ (参考サイト)

1965年6月3日 ジェミニ4号 旧ソ連に先を越される“EVA” 

EVAとはextra-vehicular activityで船外活動、宇宙遊泳のことです。ジェミニ4号でエドワード・ホワイトが船外活動を行うことを祝っている際テレビにある映像が映ります。

それはソ連が初のEVAを達成したというものでした。ここからもアメリカとソ連でいかに宇宙開発競争をしていたかが分かります。またこの映像でCCCPという文字が頭に書いてありました、これは旧ソ連の国名のロシア語における頭文字だそうです。

  • 1965年3月18日 旧ソ連のアレクセイ・レオーノフがボスホート2号から人類初の宇宙遊泳
  • 1965年6月3日   アメリカのエドワード・ホワイトがジェミニ4号からアメリカ人初の宇宙遊泳

このわずか3か月の差が人類初かアメリカ人初かの大きな違いであることが映画の彼らの機嫌からうかがえます。

エドワード・ホワイト (参考サイト)

1965年8月21日 ジェミニ5号 8日間宇宙へ

ジェミニ5号の大きな功績は8日間宇宙滞在することに成功したことです。これが何を意味するかというとアポロ計画において最低限必要な日数滞在することに成功したことを意味し電源に初めて燃料電池を使用しました。ゴードン・クーパーとピート・コンラッドによって達成されました。

ゴードン・クーパー (参考サイト)

ピート・コンラッド (参考サイト)

そしてそんな中映画ではジェミニ8号の船長にニールが選ばれ打ち上げた無人のアジェナにデイヴと共に史上初のドッキングを任されます。

1966年2月28日 エリオット・シー氏

ニールのもとにある報せが来ます。それは面接のとき一緒で同じく第2グループとして選ばれていたエリオットが死んだのです。

彼とパイロットのチャールズ・バセットは、搭乗前の訓練用のT-38がマクドネル宇宙センターとして知られるマクドネル・エアクラフト101ビルに撃突して死亡した。

エリオット・シー - Wikipedia より引用

ジェミニ8号に乗る話も出ていてジェミニ9号船長に決まっていたエリオットの死について原因を憶測で語る者にニールはしっかり否定します。知ったかぶりはしないと。そして一瞬娘カレンの幻影を見ます。

1966年3月16日 ジェミニ8号 アジェナとのドッキングと緊急着陸

ニールと一緒に搭乗したデイヴについて少し載せておきます。彼は後にNASAの宇宙飛行士で7番目に月面を歩いた人物です。

David Randolph Scott (born June 6, 1932) (Col, USAF, Ret.) is a retired test pilot and NASA astronaut who was the seventh person to walk on the Moon.

David Scott - Wikipedia より引用

ジェミニ8号のミッションは既に述べた通りアジェナとのドッキングです。そして史上初のドッキングに成功するのですが異常が発生します。機体が異常回転し始めたのです。

そのためアジェナとの切り離しをはかりますが回転は止まりません。アジェナに原因があると判断していましたが原因はジェミニのスラスターにあると分かった時には既に制御が利かなくなっていました。

訓練であったように高速な回転を続けると人間は意識を失います。そんな朦朧とした状態の中ニールによりなんとか制御をとりもどし緊急着陸します。これはアメリカの宇宙開発において初の緊急着陸だそうです。

  • 1966年3月26日 ジェミニ8号 帰還後記者会見
  • 1966年4月  1日 任務評価

という流れになります。記者たちの質問攻めや原因の調査、そして雑誌であることないことを言われ現実に戸惑っていました。そしてエドワード・ホワイトに酒を飲みに行こうと誘われそこであることを伝えられます。アポロ1号にエドワード・ホワイトが乗ることが決まったのです。

最終的には無事にトラブルはあったものの生還してくれたことでアポロ計画に進むことができるという評価でした。こうしてジェミニ計画で数々のミッションを達成して遂にアポロ計画に移っていきます。

f:id:slpmaru:20191119170829j:plain

1967年~ アポロ計画

アポロ計画について

The Apollo program, also known as Project Apollo, was the third United States human spaceflight program carried out by the National Aeronautics and Space Administration (NASA), which succeeded in landing the first humans on the Moon from 1969 to 1972.

Apollo program - Wikipedia より引用

1961年のケネディ大統領の声明の発表からだったり無人から指すものや有人の部分だけを指すものもあったりで迷ったのでこのブログでは1961年からアポロ計画ははじまっていてその一環の中にジェミニ計画があったという解釈でいきたいと思います。

1967年1月27日 アポロ宇宙船最終テスト

2月21日に発射を控え最終テストの段階にきていました。そんな時にある悲劇が起きます。映画でも取り扱われていますが火災が発生し火花が出て酸素により爆発を起こしました。

同年1月27日、ケープ・カナベラル空軍基地34番発射台上で発射の予行演習を行っていた際に発生した火災により、船長ガス・グリソム(Virgil I. "Gus" Grissom)、副操縦士エドワード・ホワイト(Edward H. White)、飛行士ロジャー・チャフィー(Roger B. Chaffee)の3名が犠牲になり、司令船も焼失した。

アポロ1号 - Wikipedia より引用

この事故によりアメリカの有人宇宙飛行は20ヶ月間中止されました。事故のニュースを眺めるニールの表情はなんとも言えないものがありました。

1968年10月11日~1969年5月18日 アポロ7、8、9、10号

有人飛行が再開されアポロ計画における最初の有人飛行はアポロ7号でした。そして10号まで実験がおわり全ての準備が整い11号は順調にいけば月面着陸ができるというところまできます。その船長に選ばれたのがニールでした。

アポロ11号

1969年7月 5日 アポロ11号記者会見

ここでニールは今日があるのは過去の飛行のおかげであると述べます。毎回新しい目標が達成され積み重ねてきました。そして月に着くまで付け加えることはあとわずかであると。しかし成功すればニールの名が残ることに記者とニールの間で考え方の違いがあるように見えました。

ニールは全員で目指してきたものであり成功は全員が祈っているものだと。つまり最初に自分が達成しても関わってきた人間すべての集大成であるという考え方だったのです。ですが記者達の質問はニール1人に向けられたようなものばかりだったのが印象的でした。

1969年7月16日 アポロ11号発射

フロリダ州ケープ・ケネディから搭乗したのは船長ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3人。

そして月に到着した3人のうちニールとオルドリンはイーグル号に乗り移ります。ミッション開始から100時間12分でイーグル号を切り離したと映画ではありました。燃料がぎりぎりで当初の着陸予定位置よりずれたなどトラブルはありながらも1969年7月20日の20時17分無事着陸に成功します。

そして1969年7月21日2時56分人類が初めて月に降り立ちます。有名な言葉も生まれました。

That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

ニール・アームストロング - Wikipedia より引用

そして映画内でニールはあるものを月に置いていきます。無事地球に帰還したニールは歴史に名を残すと共に人類が見たことのないものを見てきたのです。manの前にaをつけ忘れたらしく後日その話を語ったそうです。

f:id:slpmaru:20191119170820j:plain

学んだことと書きたいこと

ニール・アームストロング船長のことは知っていましたがあくまで月に降りた人という理解しかしていませんでした。

そんな彼がここにたどり着くまでにたくさんの飛行がありたくさんの想いがあったことを知りました。

そしてそれらは本人達にしか分かりえない領域の偉業だと思います。

しかしそんな偉業を自分だけでなく人類の偉業として捉えた言葉にとても感銘を受けました。

また映画では常ににカレンという存在がニールにはありそれは彼ら宇宙飛行士の戦いが常に死と隣り合わせにあるかのようでした。

最後に1961年の大統領の演説が扱われていました。

We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.

アポロ計画 - Wikipedia より引用

10年以内に月に行くと決めたのは簡単だからではなく困難だから行くんだと言っていました。その先は映画では扱われていませんでしたが人類として凄い目標を立てて本当に凄いことをしたんだなと改めて思いました。

          広告 

ファースト・マン (字幕版)

予告編はこちら

www.youtube.com

 

おすすめ記事

 星を通して恋愛を学ぶ映画の記事はこちら

www.slpneet.work

 同年代のアメリカで起きていた公民権運動の流れが学べる映画の記事はこちら www.slpneet.work 

【スポンサーリンク】