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『アメイジング・グレイス』のウィルバーフォースから奴隷貿易法成立までの流れを学ぶ

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イギリスの奴隷貿易法成立までの流れを学べる映画

『アメイジング・グレイス』のウィルバーフォースから『Amazing Grace』という曲を通してイギリスの奴隷貿易法成立までの流れを学びました。イギリスの映画です。この記事は※ネタバレがあります注意してください。基本的にはウィルバーフォースという奴隷廃止運動に尽力した国会議員の半生と有名な曲『Amazing Grace』の誕生の話が共に描かれている映画です。

1807年の奴隷貿易法とは

まずイギリスで1807年に成立した奴隷貿易法とはどういうものなのか簡単に調べてみました。

1807年3月25日、イギリス議会で奴隷貿易法(en:Slave Trade Act 1807)が成立し、イギリス帝国全体での奴隷貿易を違法と定めた。イギリス船で奴隷が見つかった場合の科料は1人あたり100ポンドとされた。

奴隷制度廃止運動 - Wikipedia より引用

今回の映画はここにたどりつくまで壮大な話なのです。そしてその成立に貢献し奴隷廃止運動のリーダーとして活動した人物がいます。

ウィリアム・ウィルバーフォース氏について

ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce、1759年8月24日 - 1833年7月29日)は、イギリスの政治家、博愛主義者、奴隷廃止主義者。奴隷貿易に反対する議会の運動のリーダーを務めた。

ウィリアム・ウィルバーフォース - Wikipedia より引用

イギリスの政治家の方です。あくまで映画ではウィルバーフォース氏の人生全てではなく1780年頃~1807年の奴隷貿易法の成立までという彼の奴隷廃止運動に焦点があてられています。

1775年~アメリカ独立戦争 “融和”と“降伏”の違い

まず1775年~イギリス軍と植民地軍の間に何が起きていたのか調べてみます。

1775年にレキシントンで、イギリス軍と植民地軍との間の武力衝突が起こった。これが植民地全域にまで拡大し、アメリカ独立戦争に発展した。植民地軍はジョージ・ワシントンを司令官として粘り強く対抗、翌1776年には独立宣言を発した。イギリスを除く他のヨーロッパ列強は、当初事件の推移を傍観していたが、1778年にベンジャミン・フランクリンの説得によって、新大陸での利権回復の好機と見たフランスが対英宣戦した。1780年にはロシアのエカチェリーナ2世の提唱によって武装中立同盟が成立し、ヨーロッパの中でも孤立したイギリスは苦戦を強いられた。

イギリスの歴史 - Wikipedia より引用

このような時代背景のある中1780年に21歳にしてウィルバーフォースは国会議員になりました。

1782年庶民院でのやりとりでホイッグ党の党員にトーリー党の党員としてまだ20代前半であったウィルバーフォースはアメリカでの戦争の意義を整理していました。

イギリスには独立軍を倒す兵力はあるが武力と正義の線引きは必要だと考えていました。個人の利益より国益を優先するべきだと。

ウィルバーフォースは“融和”と“降伏”の違いをこのように述べていました。

ウィルバーフォース「その2つの違いは単にかかる時間です 時間をかければ1万の若者が無駄に命を落とす」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

つまり孤立して苦戦を強いられ戦争が長引き多くの若者が命を落とす、つまり“降伏”する前に“融和”するべきだと力説するのです。そんな彼を同じ国会議員であり友人のウィリアム・ピット氏は「屈しない男」と評価します。 

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 1783年~ウィリアム・ピット首相時代

選択を迫られる「屈しない男」

ウィリアム・ピットがイギリス首相になる直前、ウィルバーフォースは信仰の道に進むか政治家の道に進むか選択を迫られていました。

フォックスは、大きく失われたジョージ3世の引き立てを得ようと、エドマンド・バークによる東インド会社改革法案を国会に提出したが、国王の支援は得られず、その後フォックスとノースの連立は崩壊した。フォックスは、この法案は東インド会社の倒産を防ぐために不可欠であると明言していた。ピットはこれに対してこう述べた。「不可欠という言葉は、人間の自由を侵害するものの言い訳でしかなかった。それは暴君の主張であり、奴隷主義であった。」

ウィリアム・ピット (小ピット) - Wikipedia より引用

ウィルバーフォースの活躍もあってフォックスとノースの連立が崩れ首相になる機会がくることに気づいたウィリアム・ピットは側近に友人であり「屈しない男」であるウィルバーフォースが欲しかったのです。

動き出すウィリアム・ピットと「自分の目で見るまで信じない男」

ウィルバーフォースはウィリアム・ピットと共に夕食に人を招待します。そこに招かれたのが以下の6人です。

  • ジョン・ラムゼイ牧師

映画内ではジョン・ラムゼイとなっていたのですがジェームズ・ラムゼイという奴隷制度廃止運動に関わっている方がいました。おそらくその方をさすのだと思いますが牧師の記載は見当たりませんでした。

  • エドワード・ホープ
  • マイケル・ショウ クエーカー教徒

1783年にクエーカー教徒ウィリアム・ディルウィンが渡英して反奴隷貿易を掲げる2つの組織をつくっていることは分かりましたがこの方の名前を見つけることができませんでしたがここからクエーカー教徒が関わっていることがわかります。クエーカー教徒が議会に入れない事情もウィルバーフォースが運動のリーダーになった1つの要因かもしれません。

最初の3人はちょっと見つけられませんでしたが分かった範囲で記載します。

夕食を食べながら彼らの目的が徐々に分かってきます。エクィアノに何故ロンドンに来たのか尋ねるとウィルバーフォースに会うためだと言うのです。

そしてトマス・クラークソンとエクィアノから「奴隷用の首輪、手枷、足枷」と胸に焼き付けられた「焼き印」を見せられジャマイカの農園までどのように奴隷が送られるかの話を聞きます。

2人の話をまとめると以下のようになります。少し内容がきついので注意してください。

 

注意

アフリカを出る時に120×45cmの空間に押し込まれます衛生状態は最悪で少量の食糧しか与えられず水は汚れています。3日間でそこには血や排泄物が溜まり鎖は身投げ防止用つけられているのです。

鎖が外れるのはジャマイカのプランテーションに到着してからなのですがそれまでに半数が死ぬといいます。

そして売られる際赤痢だとばれないように結んだ綱を肛門に入れられ農園で焼かれたコテで胸に焼き印をいれられると言います。

エクィアノはこう言いました。

エクィアノ「神のしもべから人の財産になった証です」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

そして6人は信仰の道も政治の道もどちらも進んでほしいと願います。ウィリアム・ピットは彼の個人的活動を政治に利用していきました。そこまでして側近にウィルバーフォースが欲しかったのです。また目的のためなら手段を選ばないウィリアム・ピットの一面を感じました。

ジョン・ニュートン牧師 孤独

1785年に選択に迷いがあったウィルバーフォースは助言を求めて少年時代から知るある人物を訪れます。その人物がジョン・ニュートンです。

John Newton (/ˈnjuːtən/; 4 August [O.S. 24 July] 1725[1] – 21 December 1807) was an English Anglican clergyman and abolitionist who was forced to serve as a sailor in the Royal Navy for a period. He was first a slave of Princess Peye, a black princess of the Sherbro people and then, years after, He became the captain of slave ships. He became ordained as an evangelical Anglican cleric, served Olney, Buckinghamshire, for two decades, and also wrote hymns, known for "Amazing Grace" and "Glorious Things of Thee Are Spoken".

John Newton - Wikipedia より引用

簡単に書いておくと賛美歌『Amazing Grace』の作詞者であり奴隷船の船長から牧師になった方です。

2人で孤独について話し合うシーンが印象的だったので紹介します。

ジョン「君のような人間が世をすて孤独に生きてはいかん」

ウィルバーフォース「あなたは孤独では?」

ジョン「私が独りではないことは知っているはずだ」

ウィルバーフォース「だからです」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

ジョンは2万人の奴隷の幽霊に囲まれているから孤独ではないと少年のウィルバーフォースに説明していました。そしてそれは時が経っても変わっていません。奴隷船の船長として2万人の奴隷の亡霊と生きてきたのがジョンなのです。

ジョンは自分が殺したのだと責めながら生き続けていました。そんな彼に奴隷制と戦いたいウィルバーフォースは協力を求めますが断られます。

しかしジョンの実態を見ろ、人も都市も悲惨なことになっている神のためにも戦ってほしいという強い願いにウィルバーフォースの気持ちはだんだんと固まっていきました。

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本格的に活動を始めるウィルバーフォース達

議会での最初の結果は散々なものだったようです。しかしその時から活動に参加していた者たちは「自分の目で見てきた」という共通点がありました。そしてその悲惨さをどのように人々に伝えていくか試行錯誤していきます。

そして議員を招き奴隷船のにおいを焼き付けさせたのです。アフリカからジャマイカに向かい死んでいった者達のにおいとその船マダガスカル号を見せつけることでその悲惨さを人々に伝えていきました。

そして各々は議会に提出する証拠となるものを冬の間集めていったのです。その時の活動としてトマスは船医や奴隷自身から話を聞きエクィアノは自伝を書きました。

その自伝が『The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano』というものです。映画でも彼の本が売れているシーンがあります。2か月で5万冊売れたと映画にはありましたがとにかく反響があったことは間違いなさそうです。

In London, Equiano was part of the Sons of Africa, an abolitionist group composed of Africans living in Britain, and he was active among leaders of the anti-slave trade movement in the 1780s. He published his autobiography, The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano (1789), which depicted the horrors of slavery. It went through nine editions and helped gain passage of the British Slave Trade Act of 1807, which abolished the African slave trade.

Olaudah Equiano - Wikipedia より引用

 1789年にこの本を出版して1807年の奴隷貿易法の成立を助けたことが書かれています。また映画では自分はアフリカでは王子だったと述べていました。

The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano - Wikipedia (参考サイト)

本についてはこちらにより詳しく説明されていたので読んでください。

そしてこれらの活動の影響により人々の砂糖に対しての行動に変化が出たようです。奴隷はジャマイカの農園につれていかれ砂糖を作らされていたわけですが“自由人の作った砂糖”しか買わなくなったりそもそも砂糖を使わないといった影響が出てきました。

そして証拠をつきつけろという議会に対して国中の都市を回って奴隷貿易廃止のための署名を披露しました。その名前の数は39万人にものぼりました。しかしダンダス卿が買収されたことにより思いもがけない事態になります。

Thomas Dundasと調べるとたしかに時代が一致するイギリスの政治家の方が出てくるのですがこの件についての記載はありませんでした。

奴隷貿易廃止に賛成はしたもののすぐに違法にすると国内の多くの都市が財政危機に陥るとして時間をかけて移行をすることにされたのです。

この時にアメリカ独立戦争のところのウィルバーフォースの言葉を思い出しました。“融和”と“降伏”は出てきませんがこの問題も時間をかけるほど命を落とすものが増えると。

トマス・クラークソンはフランスで革命が起こるためそこに向かいます。その時行き詰りつつあったウィルバーフォースにこう言いました。

トマス・クラークソン「自由な労働者と同じ権利が奴隷にあるなら彼らにも繁栄する権利がある」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

ボストンからのアメリカの独立戦争そしてフランス革命、次はロンドンというトマス・クラークソンにウィルバーソンは二度と革命の話をするなと突き放します。そして自分の越えるべき壁を整理しました。

  1. 奴隷貿易停止
  2. 社会の変革

変化した情勢 1789年フランス革命 挫折

最初の法案を出してから5年が経っていました。徐々に票が伸びてきたときに情勢は変わります。首相であり友人のウィリアム・ピットに戦争時でのこの活動は暴動の扇動者とみられることになると忠告しますがウィルバーソンにはその忠告は届きませんでした。

彼の机の上にあったのはPhilip Doddridgeの“The Rise and Progress of Religion in the Soul”という本でした。

His The Rise and Progress of Religion in the Soul was translated into seven languages.

Philip Doddridge - Wikipedia より引用

つまり彼はいつの間にか周囲の情勢が見えなくなってしまい信仰の道と政治の道両方を進んでいたはずがとにかく妄信的に活動するようになっていたように僕は感じました。

そしてウィリアム・ピットの言うように人々の奴隷貿易への風向きが変わってしまいます。法案は却下されてしまいましたこれがウィルバーフォースが折れてしまった流れです。

1797年~バーバラと結婚 友との再会

そしてトマス・クラークソンは隠退、チャールズ・フォックスは様子見し、クエーカー教徒は活動を続けるも反応するものはいませんでした。さらにエクィアノは1797年に亡くなりました。

戦況が落ち着き人々の心に余裕が生まれれば上手くいくとバーバラに説得されます。ある1点を除いて全てが一致していたウィルバーフォースとバーバラ。

その1点とは奴隷制度廃止が終わるか最後までやりきるかの違いでした。そして再び心を取り戻したウィルバーフォースはバーバラと結婚し結婚式でウィリアム・ピットと再会を果たします。そんな二人の会話が首相として友として素敵だったので紹介します。

ウィルバーフォース「今も扇動罪か?」

ウィリアム・ピット「首相として注意する」

ウィルバーフォース「友としては?」

ウィリアム・ピット「気にせずやれ」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

再び動き出す

彼が訪れたのはジョン・ニュートンのところでした。ジョン・ニュートンは自伝を書いていたのです。覚えていることのすべてを。そんな奴隷制度廃止を願う彼の言葉がとても印象的でした。

ジョン「名前を思い出したいよ わたしといる 2万人の幽霊の 全員名があった 美しいアフリカの名前が だが我々は彼らを名前でなど呼ばなかった」

映画『アメイジング・グレイス』より引用

 そしてウィルバーフォースを送り出します。

次に訪れたのはトマス・クラークソンのところでした。こうして再び仲間を集め直します。そしてカリブでの状況を仲間たちから聞き作戦を練ります。しかし証拠を出すだけでは今までと同様に同情をかうだけでなにも進展しません。

秘策“ノーサス・デキピオ”

その戦略の名が“ノーサス・デキピオ”というラテン語の名前です。意味は“ズル”になります。具体的にはその年は奴隷廃止法案を提出しないというものでした。その代わりに中立旗を掲げる貨物船の問題を扱うというのです。

“アメリカ国旗をつけたフランス船は拿捕してもよい”と愛国心から法案を作ったことにします。

これには目的がありました。奴隷船の8割は私掠船よけにアメリカの旗を掲げていたのです。僕は知りませんでしたが私掠船というのは戦争状態にある敵国の船を攻撃しその船の積み荷を奪う許可を得た船のことだそうです。

つまりほとんどの奴隷船が奪われないようにアメリカの旗を掲げています。上に書いた法案を通すことにより8割の奴隷船は保護の対象ではなくなります。そのため船主は船を出さなくなるはずだという戦略です。

しかしイギリスの船が対象から漏れてしまいます。なので穴を無くすために一度でもアメリカの旗を掲げた船すべてを対象としたのです。

友との別れそして成立へ

1806年首相であり友であったウィリアム・ピットが亡くなります。そして成し遂げることを約束するのです。

トマス・クラークソンはエクィアノの墓の前で酒を飲んでいました。もう少しだと。そして運命の日は訪れました。

それまで20年間にわたって尽力してきたウィルバーフォースへの賛辞がなされる中、法案は283対16で可決され、奴隷貿易法は1807年3月に国王の裁可を受け成立した。

ウィリアム・ウィルバーフォース - Wikipedia より引用

 映画ではフォックスからも賛辞を送られていますが実際は前年の9月に亡くなっていたようです。その後もウィルバーフォースは活動を続けていきました。

学んだこと書きたいこと

まずこれはあくまでもイギリスの奴隷廃止運動の一部分であるということです。

フランス、アメリカでも運動は起こりこの映画の舞台となったイギリスでも奴隷貿易法が成立した1806年以降も続いていきます。そしてイギリスでは1833年の奴隷制度廃止法が成立します。

ただ1806年にたどり着くまでに数多くの活動家の想いとたくさんの亡くなった方の想いがありました。讃美歌『Amazing Grace』はそんな歴史の中で作詞された曲なのです。

多少映画のエクィアノの出版の時期やフォックスの死期など200年以上前のことですから僕が調べたものと違和感があったりする部分もありましたがおおまかな流れを学ぶという意味ではとてもありがたい映画でした。

そして調べていくうえで色んな情報に触れれたのでとても勉強になりました。

映画もですが『Amazing Grace』という曲も素敵な曲なので是非2万人とその時代の人々を考えながら一度聴いてみてください。今までと何か違うように聴こえると思います。大変長くなってしまいましたが読んでくださってありがとうございました。誤字脱字は後に修正します。

大変参考にさせていただいた資料

http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/vol_14/sentences/3.fujikawa.pdf (参考サイト)

簡単にまとめてくださっているWIKI

奴隷制度廃止運動 - Wikipedia (参考サイト)

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アメイジング・グレイス(字幕版)

予告編はこちら

www.youtube.com

 

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