『ぼくの名前はズッキーニ』のズッキーニから自分の居場所を学ぶ
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子供の視点から自分の居場所を学べる映画
『ぼくの名前はズッキーニ』のズッキーニから自分の居場所について学びました。スイス、フランス、ポルトガルの映画です。この記事は※ネタバレがあります注意してください。基本的には母を過失で殺してしまった9歳のイカールが警察官に保護され施設に入り過ごしていく物語です。
イカールからズッキーニへ
イカールは名前がありながらも母親から“ズッキーニ”と呼ばれていました。そしてアルコールに溺れる母に怒られることに怯えて咄嗟に突き飛ばしてしまいます。その結果母親は死んでしまいます。そして保護され警察官のレイモンと出会い施設へ連れて行かれます。
ズッキーニにとっての母親と父親
母親と父親にについてこのように話しています。
レイモン「お母さんは優しかった?」
ズッキーニ「 ビールばっかり飲んでたけど作るポテトはおいしいし たまに笑ってた」
レイモン「そうか 笑わない時は? お父さんはどこに?」
ズッキーニ「ここ メンドリと一緒にいる パパは若い娘が大好きなんだって」
映画『僕の名前はズッキーニ』より引用
つまりレイモンの質問に対してはっきりした解答はしていません。
ですが父親が若い娘と不倫をして母親は見捨てられそこからアルコールに溺れるようになりズッキーニにきつくあたるようになった様に僕には思えました。そして母から呼ばれた“ズッキーニ”という呼ばれ方をとても大切にしています。
だからズッキーニにとって母はどうであろうと母であり父は父なのです。そんな風にこの会話から感じました。
そして両親を失ったズッキーニにとって母は“ビールの空缶”、父は“メンドリとヒーローの絵が描かれた凧”という物に置き換わります。
施設での居場所
施設でズッキーニは心を閉ざしたままでした。ベットの下に母と父を大切にしまいます。しかし翌日、凧を勝手に触られシモンを突き飛ばします。これをきっかけに2人は話し合います。
施設にいる子供たちがどんな理由でここに連れてこられたか教えてもらったのです。そしてズッキーニも連れてこられた理由を話しました。そこのシモンの言葉が印象的だったので紹介します。
シモン「皆 同じさ 誰にも愛されてない」
映画『僕の名前はズッキーニ』より引用
そして絵を描きながら施設での暮らしをレイモンにみせます。心を開き始めたズッキーニは徐々に施設に馴染んでいきました。
カミーユとの出会い
ズッキーニが施設にはいってからしばらくしてカミーユという女の子が施設に連れてこられます。しかしカミーユは自分が連れてこられた理由を話しませんでした。
カミーユが来た理由が知りたいズッキーニとシモンは夜に園長室に忍び込み資料を目にしてカミーユが連れてこられた理由を知ります。
大人の種類
スキー場で子供同士でふざけていると注意してくる大人が居ました。親は何処と聞かれ正直に答えても“ウソ”と捉えられ相手にしてもらえません。自分の常識から逸脱したものは信じることができない本当と捉えられない大人の醜い部分が感じられました。
対照的に転んだ少年を優しく抱き起し額にキスをするシーンで大人、親の子供に対しての愛情のようなものに施設の子供たちは全員その様子に釘付けになります。
シモンの言う誰にも愛されていないというのが焼き付けられているかの様でした。
子供たちの共通点
たとえどんな事情で親から引き離されてもこの施設にいた子供たちは親からの愛情を誰よりも欲している様に思いました。ズッキーニがレイモンと警察で会話していた時にも感じたように各々が親との繋がりを施設に居ながらもずっと求めているのです。
“ズッキーニ”という名前も親との数少ない繋がりからくる執着なのかもしれません。
レイモンとカミーユの叔母
大人の種類でも書きましたが2種類の大人が強調して出てきています。
レイモンは子供に理解がありどうにかしてあげられないか誠実に考える大人、対してカミーユの叔母はどうにかカミーユと同居して補助されるお金を目当てにしています。そして子供たちはそれをちゃんと察知していました。
新しい居場所と子供達の葛藤
ある日レイモンからズッキーニとカミーユと3人で一緒に暮らさないかと提案されます。しかし施設の他の子は残るのに自分達だけ新しい居場所を見つけていいのか気にするのです。
しばらく考えてシモンはちゃんと受け止め送り出してくれました。僕たちのためにも2人は出ていくべきだと判断したのです。
レイモンと初めて暮らし始めたときのカミーユの涙はその葛藤の涙とようやく辿り着いて背負っていたものから解放されたような安心感からなる2つの涙が混ざっていたように見えます。そしてシモンは心の予報を晴れにして施設全員の子が晴れマークになりました。
学んだことと書きたいこと
子供たちは大人の勝手な都合で居場所を奪われることがあります。しかしこれは子供に限らず人間にあてはまるように感じました。
そして自分の居場所がないと壊れないにしても施設に入りたてのズッキーニの顔のようにとても暗くなってしまうのでしょう。
孤独でも暗くならない人は自分の居場所をしっかり作り上げているのだと思います。
そして居場所を作るには“愛”というものがとてもキーワードになっている風にこの映画から学びました。
形だけの居場所というのはたくさん存在していますがそこに物足りなさを感じるのは愛が足りず、カミーユの叔母のような存在の何かがあるからなのかもしれませんね。
現実的な居場所ではなく心の居場所は愛によって作られていることを考えた映画でした。短いので観やすかったです。
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